3話 輝夜、恩人を自慢する
「かーぐやっ!」
「わっ!? びっくりした。杵築さんか」
クラスメイトの少女に背中を叩かれ、輝夜は目を丸くする。
杵築は、転校してきた初日から輝夜と友人になった少女だ。良くも悪くも遠慮がないその性格は、輝夜にとって新鮮だった。
杵築はにやにや笑いながらスマホを覗き込む。
「なぁに。また例の『やっくん』とラブってんの?」
「そんな、ラブってなんて。ぅえへへ」
「そのふにゃけた顔を皆が見れば、さっきみたいな勘違い男はいなくなるのにねえ。……まあ無理か」
「美人は大変だ」と冗談めかして言い、杵築は腰に手を当てた。
「で? やっくんはまだ見つからないわけ?」
「……うん」
幸せそうな笑みを一転して曇らせ、輝夜は頷いた。
「この学校にいるのは間違いないはずなんだけど。何度お願いしても『今のままで十分だから』って会ってくれないの」
「なんじゃそら。あの高嶺輝夜がお誘いかけてるのに、そいつホントに人類?」
「ちゃんと人類です。男の子です。はあ……せっかく5年分の恩返しができると思ったのに」
ぶつぶつと何事か呟く輝夜。杵築はこの1ヶ月の付き合いからだいたい察していた。
この超絶美人が、『やっくん』についてあれこれと妄想していることを。
杵築は明後日の方向を向いた。
「あんたの愛の深さを知ったら、やっくんもドン引きじゃないの?」
「う、ドン引き……」
「むしろ会わない方がいいまであるかも。あんたたち、お互い変人なんだから。顔合わせたら幻滅されそう」
「ひ、ひどい。私、そんなにおかしい?」
「そりゃあねえ。転校初日に『やっくん、いますか? いたら手を挙げてください!』って挨拶ぶっ込まれたら、誰だって変人認定したくなるわよ。クラスの皆、きょとんとしてたんだから」
「うう……!」
心当たりがあるのか、輝夜は半泣きの表情で天を仰ぐ。彼女はボソボソとぼやいた。
「やっくんと再会できますようにって1週間前から毎日祈ってたんだから、仕方ないじゃない。つい、我慢しきれずに言っちゃっただけだし」
普段の凜とした立ち居振る舞いが、『やっくん』のことになると崩れる。その事実は、まだ限られた人間しか知らない。
輝夜はスマホに目を落とし、切なそうにやっくんからのメッセージを読み返している。そんな友人の様子に、杵築は肩をすくめた。指折り数える。
「高嶺輝夜と言えば、文武両道、才色兼備、加えて超絶良家のお嬢様――と、非の打ち所のない完璧超人じゃない。ムカつくことに」
「褒めてるように聞こえない……」
「うっさい。庶民舐めんな。そんな天上人がなーんで、やっくん相手だとこんなになるかなあ? やっくんってそんなにイイの?」
「もちろんだよ!!!」
表情を一変させてグイと迫ってきた輝夜に、杵築はのけぞる。そのまま輝夜はまくし立てた。
「やっくんってね、本当にすごいの。いつも私のことを気にかけてくれるだけじゃなくて、悩んでるときとか、困っているときにピンポイントで的確なメッセージをくれるの!」
「へ、へぇ。超能力者?」
「それだけじゃないんだってば。忘れ物したときにいつの間にか届けてくれたり、片付けが苦手な私のために、いつの間にか整理整頓してくれてたり! 本当にすごいの!!」
「ほ、ほぅ。あれ? そんな有様なのに、やっくんの姿を見たことないの? あんた」
「そうなの!! ここ5年、ずっと!!!」
拳を握りしめて力説する完璧美少女の輝夜。
やっくんなる人物の(輝夜いわく)偉業を延々と語られた杵築は、呆れながら尋ねた。
「やっくんって、いったい何者よ?」
「すごいひと」
「すごい変なひとね」
「『すごい変』じゃなくて、『すごいけど変』って言って。せめて」
「はいはい、完全に理解理解」
クラスメイトのぞんざいな言葉に、輝夜は頬を膨らませた。
それから靴箱で内履きに履き替える輝夜たち。天翔学園の靴箱は、鍵付きだ。多くの生徒は面倒くさがるが、輝夜はマメに施錠している。そうしないと靴箱にあれやこれや突っ込む不届き者が現れるからだ。
「あれ? 輝夜、どこいくの? 教室はこっちじゃん」
「学園長室へ寄っていく。天翔祭の件で相談事があるの。杵築さんは先に行ってて」
「へーい。生徒会役員サマは大変だ」
早く放課後来ーい、などとぼやく友人にくすりと笑い、輝夜は歩き出した。鞄から資料を取り出し、軽くチェックしながら学園長室へ向かう。資料は天翔祭の予算絡みだ。
『天翔祭』とは、来月に行われる天翔学園の文化祭のことだ。
天翔学園の文化祭は近隣校と比べても大規模なことで有名だった。芸能界にも人脈があり、毎回びっくりするようなゲストが招待される。
しかも、天翔祭の前には生徒だけで行うプレイベントまで存在する。
ゆえに、他校と比べても生徒会にかかる負担は大きいのだ。
学園長室に向かう途中、輝夜は一度足を止めた。
前から歩いてくる生徒たちが、知っている顔だったからだ。
女子生徒と男子生徒のペアである。
一瞬だけきゅっと唇を引き締めた後、輝夜は精一杯の笑みを浮かべて言った。
「おはようございます。九鬼さん、岸川君」
輝夜の挨拶に対し、男子生徒――岸川与志郎は手を挙げて応えかけた。しかし、隣の女子生徒、九鬼怜奈の態度を見て口を閉ざす。
輝夜は再度、言った。
「九鬼さん。岸川君。おはようございます」
「……」
スッ――と。
怜奈は輝夜を無視して通り過ぎた。内履きの足音が、心なしか苛立っているように聞こえる。
輝夜はため息をついた。
怜奈と与志郎は、ともに生徒会の役員で同学年。輝夜の同僚である。
だが見ての通り、特に怜奈から嫌われている。
理由は輝夜にはわからない。
資料を抱え直した輝夜は、再び歩き出す。
気にしていない――と言えば、嘘であった。
「またやっくんに心配させちゃうなあ」
輝夜は呟く。やっくんは輝夜の不安や心配をすぐに見抜く。そして慰めてくれる。支えてくれる。
それは、やっくんがいつも自分を見守ってくれているからだと、輝夜は自分に言い聞かせている。
輝夜は振り返った。だが、そこには誰もいなかった。
それでも輝夜は言う。
「やっくんが見ててくれれば、私、頑張れるから」