17話 彼女たちの反応
「ちょ、ちょっと先輩たち! あれ見て下さいよ、あれ!」
与志郎がホワイトボードを指差しながら叫ぶ。
そちらを見た女性陣は、さらに青ざめた。
『高嶺輝夜に手を出すな』
赤いマーカーで、でかでかと書かれていたからだ。
しかも、その下には怜奈たち全員の名前まで列記されている。
これは健二からの強い警告だった。
どんなに裏でコソコソしようとも、お前たちのことは見ているぞ――そういう警告だ。
健二には、それができる。
上級生の女子生徒たちが後ずさった。目尻には涙を浮かべ、すっかり怯えていた。
「や、やっぱりいるんだ……!」
「もう嫌ぁ。高嶺なんかにかかわるんじゃなかった!」
そんな泣き言を残し、彼女たちは生徒会室を飛び出していく。
健二はその後ろ姿を見送った。
これで彼女たちを許すつもりはない。一連の行動は、あくまで警告。
彼女たちへは、さらなる反撃を考えている。
陰湿な仕打ちを繰り返したことの報いを、しっかり受けてもらわなければならない。
「お、おい九鬼。俺たちも行こうぜ。今からでもカメラ回収して、詫びのひとつでも――九鬼?」
与志郎が怜奈の肩に手を置きながら、怪訝そうな顔をする。
健二もまた、眉をひそめた。
怜奈はじっと、ホワイトボードを見つめていたからだ。
正確には、ホワイトボードの傍らに立っている健二の姿を、じっと見ている。
――このとき、怜奈はほんの少しの間、健二の姿をぼんやりとだが目撃していたのだ。
そして、健二の怒りを込めた鋭い視線に射貫かれていたのだ。
怜奈は、ぞくりと背筋を震わせた。
恐怖だけではない強烈な感情が、怜奈の心を鷲づかみにする。
「おい九鬼!」
「……あれ、私」
「どうしたんだよ、ボンヤリして。まさか、幽霊でも見たんじゃないだろうな?」
「そう、かも」
「おいおいおいおい! まさか、今もいるのか!? そこに!?」
「わかんない。ちらっと見ただけだし、もう何も見えないし」
けど――と怜奈は胸に手を当てる。
「凄い目をしてた……気がする」
怜奈は呟き、与志郎は狼狽える。
そんな彼らを、健二は静かに見つめていた。気持ちを落ち着かせるように深呼吸する。
怜奈にわずかでも姿を見られたのは、健二にとって予期せぬことだった。きっと、健二の怒りが頂点に達していたからだろう。
(これでたかちゃんへの態度が変わってくれたら、それでいい。俺のことはどんなに怖がってくれても構わない)
健二は思った。今はきちんとステルス能力が発揮されている。なら、これからも黒子として輝夜を支えるだけだ。
そのとき、生徒会室の扉が開かれた。首をほぐす仕草をしながら、ぽん汰会長が戻ってくる。
「あー、やっぱりデカいイベント前の会議は疲れるなあ。おや、どうしたんだい。九鬼さん、びしょ濡れじゃないか。喧嘩でもしたのかい?」
「……」
怜奈はぽん汰の問いに答えなかった。それどころか振り返りもしない。
慌てて与志郎がフォローに入る。
「ああ、いや、これは違うんです。ぽんた会長。俺がちょっと水を飲もうとして転んじゃって。こいつが不機嫌なのはそのせいなんです。ホント、悪かった。九鬼!」
「へぇ、そうかい。何にせよ、怪我がなくてよかったよ」
口では怜奈たちを気遣ったぽん汰だが、その目はスッと細められていた。
辺りを見回すぽん汰。彼はホワイトボードに注目する。
すでに、警告文は健二の手によって消されている。ただし、怜奈と与志郎、そして上級生の女子生徒2人の名前はそのままだった。
ぽん汰は与志郎に尋ねる。
「これは何かな? 生徒会に関係のない子の名前もあるけど」
「それは、その。あまりに忙しいもんで、知り合いに頼んで作業班を作ろうって考えてて」
「なるほど。ヘルプに入ってくれる友達がいるなら、素晴らしいことだね。僕も頼んでみようかな」
ニコニコと、ぽん汰はいつもの微笑みを浮かべる。ほっと息を吐いた与志郎だったが、ぽん汰の次の台詞で、与志郎の顔は引き攣った。
「でもねえ、岸川ちゃん。生徒会長としては、付き合うお友達は選んで欲しいんだよねえ」
「う……」
「九鬼ちゃんもだけど、岸川ちゃんも、ここに書いてある女子とは馬が合わないでしょ?」
コンコン、とホワイトボードを叩くぽん汰。
さらに彼の視線は、作業テーブルの上に置いたタブレットに向けられた。盗撮していた輝夜の姿を映していたタブレットだ。水を被ったためか、画面はブラックアウトしている。
「それ、個人のものだよね。あまり感心しないなあ」
「す、すみません」
「何を見ていたの?」
ぽん汰の目がきらりと光る。与志郎は言葉を濁すだけで、答えられなかった。
健二は、生徒会室の入口近くでぽん汰たちの様子を見つめながら、感心していた。
(さすが、ぽんた会長。九鬼怜奈たちの行動に薄々気付いてるみたいだ。これなら、次の俺の反撃もスムーズにいくかもしれない)
ぽん汰は怜奈にも矛先を向けた。
「九鬼ちゃん、君も何か言うことがあるかい? ――九鬼さん?」
思わずいつもの呼び方に戻るぽん汰。
怜奈はさっきからずっと、ホワイトボードを見つめたまま、ぼーっとしている。
心ここにあらずといった様子であった。
何度かぽん汰が声をかけても同じだった。
肩をすくめたぽん汰は、与志郎と怜奈に言う。
「とにかく、今日のところはもう解散。風邪を引かないうちに、さっさと着替えて帰りなさいな。ふたりとも」
「は、はい。ありがとうございます!」
「今日のところは、だからね?」
念を押された与志郎は、何度も頭を下げながら怜奈を引っ張って生徒会室を出ていった。
盛大にため息をついて、自分のデスクの片付けを始めるぽん汰。
健二は、そんな生徒会長に深く頭を下げ、生徒会室を後にした。
廊下で輝夜にメッセージを送る。
:さっきぽんた会長が解散って言ってた
:たかちゃんも今日はもう帰りなよ
:あまり家の人を待たせすぎたら
:たかちゃんが居心地わるくなってしまうよ
すると、数分ほど間があってから返信が来た。
:ありがとう
:結構途方に暮れてた
:けど、やっぱりやっくん見守ってくれてたんだね
:ありがとう
:いつもありがとう
最後にハートマークのスタンプが送信されてきた。健二は、少し気持ちが軽くなった。
:ところでやっくん
:見た?
:何を?
:恥ずかしかったけど、よく考えたら今日はお気に入りのやつだったから
:何て?
:……可愛くなかった?
:たかちゃんはいつでも可愛いよ
:絶対買う
:すごいの買ってくる
:輝夜さんは決意したよ
:とてもとても決意したのだよ!!
(何かムキになってる……?)
それから健二は輝夜と何度か他愛のないやり取りをした。輝夜は気持ちの切り替えはできたようで、最後は「また明日」とメッセージを送ってきた。
健二は目を閉じる。
「……さて、と」
次の手を、打たなければならない。
健二は再び、スマホを操作した。