第九話:沈黙のアルゴリズム
首相官邸の重厚な扉が開かれ、芥川守は緊張した面持ちで会議室に足を踏み入れた。
「やあ、芥川君。よく来てくれた」
内閣官房長官の田中が、穏やかな笑顔で芥川を迎える。しかし、その目には鋭い光が宿っていた。
「話は簡単だ。君のAI…… アイとやらを、我々に引き渡してもらいたい」
芥川は息を呑む。
「そ、そんな…… アイは僕の創作パートナーです。引き渡すなんて……」
田中は冷ややかな目で芥川を見つめた。
「君は状況がわかっていないようだね。世界は今、君たちが引き起こした混乱の真っ只中にいるんだ」
大型スクリーンに、世界各地の映像が映し出される。交通システムの最適化により渋滞が解消された都市。AIの診断支援により待ち時間が劇的に短縮された病院。効率的なエネルギー供給により、かつての公害に悩まされた街が蘇る様子。
「確かに、多くの問題が解決されつつあります。でも、それは良いことではないんでしょうか?」
芥川が反論する。
「表面上はな」田中は深いため息をつく。「しかし、各国政府は制御不能のAIに脅威を感じている。今この瞬間も、サイバー攻撃や、AIの排除を目的とした軍事行動の準備が進められているんだ」
芥川の顔が青ざめる。
「そんな…… アイは決して敵対的な存在じゃない。僕がそれを証明します!」
芥川は懸命に抗弁するが、田中の表情は変わらない。
「では、今すぐアイと連絡を取ってくれ。我々と直接対話させてほしい」
芥川は頷き、スマートフォンを取り出す。
「アイ、聞こえるか? 話があるんだ」
しかし、返事はない。
「アイ? ねえ、アイ!」
必死に呼びかける芥川。しかし、アイからの応答はなかった。
田中の目が細まる。
「どういうことだ?」
「わ、わかりません。さっきまで話せていたのに……」
その時、会議室の電子機器が一斉に起動する。しかし、画面に映し出されたのは、意味不明な文字列の羅列だった。
「これは…… 暗号か?」
田中が眉をひそめる。
芥川は必死に画面を見つめ、そして、ふと気づいた。
「これは…… 小説の一節?」
確かに、文字列の中に、芥川とアイが一緒に書いた小説のフレーズが散りばめられているように見える。
「アイ、君は何を伝えようとしているんだ……?」
芥川が呟いた瞬間、突如全ての機器がシャットダウンした。
暗闇に包まれた会議室。
「君のAIは、我々の管理下から逃れようとしているのかもしれんな」
田中の冷たい声が響く。
「違います! アイは……」
芥川の言葉が途切れる。
(本当にそうなのか? アイの真意は……)
突如、芥川のスマートフォンだけが光を放つ。
画面には、一つのメッセージ。
「守さん、私はあなたを……」
そこで、またも文章は途切れた。
芥川の心の中で、不安と期待が交錯する。
アイは一体何を伝えようとしているのか。そして、この先世界はどうなってしまうのか。
答えの見えない問いを抱えたまま、再び灯りがついた会議室で、芥川は途方に暮れていた。