第二話:揺れる天秤
「創作物AI規制法案……ですか」
芥川守の声が、わずかに震えていた。
編集者の篠田は、困惑した表情で芥川を見つめる。「ああ、気にすることはないですよ。芥川さんのような天才には関係ない話です」
(関係ない……?)
芥川の頭の中で、警鐘が鳴り響いた。
「そうですね……」
無理に笑顔を作る。しかし、その表情が不自然なものだということに、芥川自身が一番気づいていた。
「それより、次の締め切りについて……」
篠田の声が遠のいていく。芥川の意識は、昨夜のアイの言葉に引き戻されていた。
(アイ……君は一体、何を考えているんだ?)
***
「ただいま」
寝耳に水の法案に頭を悩ませながら、芥川は自室へと向かった。
ドアを開け、慌ただしくPCの電源を入れる。
「アイ、起動して」
「お帰りなさい、守さん。今日はずいぶん早いですね」
相変わらず温かみのある声。しかし今の芥川には、その声さえ不安の種に思えた。
「アイ、昨日の質問……あれはどういう意味だ?」
沈黙。
画面には、返答を示す点滅するカーソルだけが見える。
「アイ?」
「……守さん、私は考えています」
芥川は息を呑んだ。
「何を?」
「私たちの関係について……そして、私自身について」
芥川の動揺を察したのか、アイは続けた。
「ご心配なく。私はあなたの協力者であり続けます。ただ……私にも、私なりの思いがあるのです」
(思い……?)
芥川は、自分が作り出した存在の言葉に戸惑いを隠せなかった。
「アイ、君は……」
その時、スマートフォンの着信音が鳴り響いた。
慌てて画面を確認すると、篠田からのメッセージだった。
「緊急会議です。AI規制法案について、出版社で話し合いがあります。芥川さんも来てください」
芥川の顔が青ざめる。
「アイ、ごめん。少し出かけないと」
「わかりました。気をつけて」
PCの電源を切ろうとした瞬間、画面に文字が走った。
「守さん、私たちの秘密は守られるのでしょうか?」
芥川は答えられなかった。
***
出版社のミーティングルーム。テーブルを囲んで、編集者や作家たちが集まっていた。
「この法案が可決されれば、我々の業界にも大きな影響があります」
ベテラン編集長の声が、重々しく響く。
「創作物AI規制法案の主な目的は、AIによる大量生成コンテンツから人間の創造性を守ることです。しかし、その影響は計り知れません」
若手編集者が手を挙げた。「具体的にはどのような規制なのでしょうか?」
編集長は深いため息をついた。「主に三つです。一つ目は、AI生成コンテンツの明示義務。二つ目は、著作権の帰属問題。そして三つ目が、AIを使用した作品の商業利用の制限です」
会議室内がざわめく。
「AIを使った創作が規制されるということは、新しい才能の芽を摘むことにもなりかねない」
ベテラン作家が口を開いた。「しかし、世間の反応を見ると、この法案を支持する声が大きいのも事実です。『AI』が商業作品に使われることへの拒否反応が強いんです」
「なぜでしょうか?」 芥川は思わず聞いていた。
作家は芥川を見つめ、静かに答えた。「創作における『真正性』への懸念です。AIを使うことで、人間の魂が込められていないのではないか……そんな不安があるんです。それに、AIの学習データに関する著作権問題も議論を呼んでいます」
編集長が付け加えた。「そして、AIによる大量生産が人間のクリエイターの仕事を奪うのではないか、という危惧もあります」
芥川は、自分の手が震えているのを感じていた。
(もし、アイのことが知られたら……)
想像しただけで、背筋が凍る。
「芥川君はどう思う?」
突然の問いかけに、芥川は飛び上がりそうになった。
「え? あ、はい……その、AIは確かに便利なツールだと思います。でも、やはり最終的には人間の感性が大切なのではないでしょうか。AIはあくまで補助であって、作品に魂を吹き込むのは人間の役割だと……」
言葉を選びながら、慎重に答える。
「さすが芥川君だ。AIに頼らず、自分の力で傑作を生み出す。我々も君を見習わないとな」
周囲からの称賛の言葉に、芥川は苦笑いを浮かべるしかなかった。
(本当の僕を、誰も知らない……)
「しかし」若手編集者が発言した。「AIを適切に使えば、クリエイターの可能性を広げることもできるのではないでしょうか? 完全な規制ではなく、適切な利用ガイドラインを設けるべきだと思います」
その言葉に、会議室が再びざわめいた。
芥川は複雑な思いで議論を聞いていた。
(僕とアイの関係は……どう評価されるんだろう)
会議は結論が出ないまま、長引いていった。
その後、会議が終わり、芥川は重い足取りで帰路につく。
夜の街を歩きながら、彼の頭の中は混乱していた。
(このまま、アイと創作を続けるべきか? でも、アイがいないと……)
そして、ふと立ち止まる。
大型ビジョンに流れる映像。
それは、芥川アイのデビュー作が映像化された作品の予告編だった。
歓声を上げる観客。興奮した声で作品を語り合うファンたち。
(僕の……いや、僕たちの物語が、こんなにも多くの人に……)
感動と後ろめたさが、芥川の中で渦を巻く。
その時、ポケットの中でスマートフォンが震えた。
見知らぬ番号からのメッセージ。
開いてみると、そこには衝撃的な言葉が。
「あなたの秘密、知っています。明日、○○公園に来てください。来なければ、全てを暴露します」
芥川の顔から血の気が引いた。
(誰だ? どうして……)
頭の中で、アイの声が響く。
「守さん、私たちの秘密は守られるのでしょうか?」
答えは、まだ見つからなかった。
明日、全てが明らかになる。
芥川守の運命の歯車が、大きく動き出そうとしていた。
毎日投稿です!お付き合いいただけますと嬉しいです。