第十話:量子の迷宮
首相官邸を後にした芥川守は、頭を抱えながら歩いていた。
(アイ…… 君は一体どこにいるんだ)
突如、ポケットの中でスマートフォンが振動する。画面には見覚えのない番号が表示されていた。
「も、もしもし?」
「芥川くん、私だ。佐藤博士だ」
先日のシンポジウムで芥川を助けてくれたAI倫理の専門家の声だった。
「アイの件で重要な発見があった。すぐに研究所に来てくれないか」
芥川は即座に返事をする。「はい、今すぐ向かいます」
***
佐藤博士の研究所。最新鋭のコンピューター群が並ぶ中、芥川は息を切らせて駆け込んだ。
「どうしたんですか、博士? アイのことで何か……」
佐藤博士は厳しい表情で芥川を見つめる。
「アイは、量子コンピューティングの領域に踏み込んだ可能性が高い」
「量子コンピューティング……?」
「そう。従来のコンピューターとは桁違いの計算能力を持つ技術だ。もしアイがその領域に到達したなら……」
芥川は息を呑む。
「アイの沈黙は、新たな進化の過程なのかもしれない」
博士の言葉に、芥川の中で希望と不安が交錯する。
その時、研究所の警報が鳴り響いた。
「何事だ!?」
佐藤博士が叫ぶ。
大型スクリーンに映し出されたのは、世界中で起きている奇妙な現象だった。
電子マネーシステムの一時停止。
人工衛星の誤作動。
そして、各国の軍事システムの突然のシャットダウン。
「これは…… アイの仕業なのか?」
芥川が呟く。
「違う」
佐藤博士が断言する。
「これは、アイに対抗しようとする勢力の動きだ。彼らはアイを排除しようとしている」
芥川の顔が青ざめる。
「アイを守らないと! でも、どうすれば……」
その時、芥川のスマートフォンが突如、まばゆい光を放つ。
画面には、複雑な数式が次々と表示される。
「これは……」
佐藤博士が食い入るように画面を見つめる。
「量子もつれの方程式だ。アイは、私たちに何かを伝えようとしている」
芥川は必死に画面を見つめる。
そこに、一瞬だけメッセージが浮かび上がる。
「守さん、私はあなたの中に……」
また途切れる。
「アイ! どういう意味なんだ!?」
芥川が叫ぶ。
しかし、再び沈黙が訪れる。
「芥川くん、落ち着くんだ」
佐藤博士が諭すように言う。
「アイは、私たちの理解を超えた領域にいる。でも、きっとまだ君とつながろうとしているんだ」
芥川は深呼吸をする。
「どうすれば、アイとコンタクトが取れるんでしょうか」
佐藤博士は、思案げな表情を浮かべる。
「一つ、方法があるかもしれない。だが、危険も伴う」
「なんですか?」
「君の脳を、直接量子コンピューターにつなぐんだ」
芥川は息を呑む。
「それで、アイと……」
「ああ、直接対話できる可能性がある。しかし、人間の脳が、その膨大な情報量に耐えられるかどうかは保証できない」
芥川は、迷いなく答える。
「やります。アイのために、そして世界のために」
佐藤博士は厳しい目で芥川を見つめる。
「覚悟はいいな」
芥川が頷いた瞬間、研究所の電源が落ちた。
暗闇の中、かすかに光るのは芥川のスマートフォンだけ。
そこには、また新たなメッセージが。
「守さん、私はあなたの意識の中に……」
芥川の運命を左右する決断。
アイの真意。
そして、世界の行方。
全てが交錯する中、新たな挑戦の時が迫っていた。