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小さな恩人

 思惑は外れた。


 いつもより間を開けて赤ん坊はやって来た。五日置きだったのが一五日以上開いたぐらいの感覚である。赤ん坊はハイハイをマスターしていてニコニコ自慢気に俺の元に来るとしばらく戯れて枷を外して帰っていった。もちろん阻止しようとしたが、こちらがか弱い体に手をこまねいてる隙を突かれて無駄に終わった。侮れない赤ん坊である。

 そんな風に間を置きながらすべての枷から解放される頃には赤ん坊は魔力が増えたのか枷を外した後も眠ることがなくなり、掴まり立ちをするようになっていた。


 その後も赤ん坊はなんだかんだやって来て、筋トレをする俺にまとわりついて遊んで帰るのを繰り返している。執拗に赤ん坊を転移させてくる何者かとそれを許している親に対して複雑な思いが募るが、早くここから抜け出せというメッセージだと思って魔力が溜まるまでトレーニングを続けた。

 この洞窟から脱出するには転移するか壁を破壊するかしかない。どちらも魔力をかなり消費するし、逃亡したところで戦闘になることも考えると魔力が万全じゃないと危険だ。


 さすが、戦士の洞窟と名付けられているだけに、鍛練を重ねると勘が冴えわたり技が磨かれていく感じがする。そうして戦士の洞窟で目覚めてから半年以上は経っただろうか。治癒スキルが自動発動し魔力がだいぶ溜まってきたのを確認できた頃、赤ん坊の服は薄着になり、ついに歩けるようになった。


「ちゃー!いひっえへえへえへ!」

「やあ、おちび。だいぶ歩けるようになったな」

「やー」

「挨拶できて偉いぞ」


 危なっかしく歩いてきた赤ん坊を抱き上げる。挨拶を返すことを覚えたことを褒めればぺちぺちを手を鳴らした。「偉い」「すごい」という言葉が聞こえると拍手をするのが最近のこの子の流行りだ。もしかしたら親か世話係の真似かもしれない。

 ふにゃふにゃからそこそこしっかりしてきた体を抱き直して灰色の目と合わせる。


「おちび、俺はここから出ようと思う」

「ん~?」

「ここに来てももう会えないんだ。”バイバイ”だ」


 ここを出たら仲間と合流して戦いに明け暮れることになる。万が一赤ん坊が俺を目印に転移してしまうと危ないため、しっかりと言い聞かせる。以前魔力低下中の印を付けたように、魔力で転移不要とメッセージを付けるつもりではあるが、どんなにこの子が泣き暴れてもお別れはしておきたい。次に赤ん坊が転移してきたら言おうと思っていたことだった。


「……あいあい?」

「そうだ。バイバイだ。……わかったか?」


 瞳を潤ませた赤ん坊はコクリと頷くと俺に縋りついてきたが、泣くことはなかった。予想よりずっと静かな別れに逆に胸を打たれてしまう。


「おぅる」

「……ああ。…………どうした?」


 しばらく頭や背中を撫でていると、赤ん坊は俺から体を離し床を指さして下ろすように言ってくる。いつもより赤い頬はいつものように持ち上がってはいなくて、代わりに唇が尖っている。名残惜しくてゆっくり丁寧に下ろしてやると一直線に壁に向かい手を置いてよちよち歩きだした。何かの遊びだろうか?危険なことがないように光球を赤ん坊の近くに寄せて後を付いていく。


 ドーム型の壁は立体的な装飾はなく赤ん坊の手が届く位置から俺の腰ほどの位置に模様が描かれている。床と同じく見た目はつるりとした石材で、触り心地はなんというかプニプニしている。赤ん坊の頬よりだいぶ固めのプニプニである。へえ、こうなっていたんだな。明かりを最小限に止めトレーニングばかりしていたため壁なんて気にしていなかった。そういえば、ここで名だたる英雄たちが鍛練を積んだと聞いたが、壁も床もほとんど傷がない。


「とっちよ~おいれ~」

「ここ?何かあるのか?」


 一周の五分の一を歩いた辺りで赤ん坊が足を止め、後ろにいる俺を振り向く。傍に立つと赤ん坊は角の取れた小石のような拳で壁をノックした。




 最初に感じたのは体を通り過ぎていくぬるい風。長いこと感じていなかった光に目を刺され思わず腕で庇う。そして同時に襲ってくる土と、草の匂い、虫や鳥の鳴き声。


 洞窟がぽかりと口を開け、暗い室内に夏の日差しを迎え入れていた。


「ちゃー?」

「――…………外だ…………森だ」

「んー、いきゅまちお~」

「…………昼だ……」


 俺の口もぽかりと開く。出入り口はなかったのではなく隠されていたのが正解だった。

 未だ衝撃から戻らない俺の服を掴んで勝手に歩きだした赤ん坊に連れられて洞窟から数歩出たところでようやく立ち直り、慌てて抱き上げて手頃な木に隠れる。周囲に人の気配はない。とりあえず赤ん坊に結界を張ってほっと息を吐いた。

 視線を巡らせると先程まで自分たちが居た方向にあったのは、洞窟の内部の広さとは全く大きさの合わない緑に飲まれそうなこぢんまりとした祠だけだった。


 軍服のシャツを引かれる感覚に意識を向ければ赤ん坊が心配そうな顔をして俺を見ている。明るいところで正面から見るとなんとなく既視感のある顔をしているな。それと赤ん坊の緑のワンピースの裾に施されている刺繍、実家周辺の地域で用いられる模様だ。出身が近いのかもしれない。


「ちゃー、たいたい?」

「あ、いや、怪我は治っている。”いたいいたい”は”ないない”だ」

「にゃいにゃい?」

「うむ……、ほらこれで”きれいきれい”だ」


 太陽の明かりで俺の服が血だらけでところどころ破けているのがはっきり見えて気になったらしい。洗浄魔法と修復魔法を掛けて身綺麗にすれば、赤ん坊は「しゅどい(すごい)」と拍手してくれた。お礼を言って慎重に歩きだす。とりあえずここから離れなければならない。


「あちぃ、めっよ。とっち」

「こっちに行きたいのか?」

「ん」


 気配を殺して進んでいると突然赤ん坊が進行方向と違う場所を指さす。普通ならそれどころじゃないと聞き入れないが、この子には何度も助けられている。大人しく従うことにした。

 だんだん森の境が見えてきたが、どうしても足が止まる。一旦赤ん坊を腕から下ろし、身体強化魔法で視力と聴力を上げて確認する。


「本当にこっちでいいのか?」

「ん」

「どう見てもユンデュモイ軍の訓練場なのだが……」


 木々の間からチラチラ見える黄色みのある赤色の軍服は敵国のものだ。訓練場の奥に見える建物は兵舎だろう。何度もこっちでいいのか聞いたが赤ん坊は頑なにそこに行けと言う。


「困ったな。下手に近付いたら魔力感知で気付かれるぞ」


 魔力が多いと気配を消しても魔力感知の得意な者にすぐ見つかってしまうのだ。隠密スキルや幻惑スキルを持っていれば別だが、俺は持っていない。赤ん坊も魔力が多いはずだし……、いや今は俺に譲渡しているから魔力量は少なくなっているのか。頭を掻いて息だけで唸っていると、しゃがんでいる俺の腕に赤ん坊が触れた。しゃがんでいても赤ん坊の頭の位置は俺の肩に届いていない。俺がデカいのもあってますます小さく感じる。フェルフ族の血が流れていると長身になりがちなのだ。


「おちぇび、いっちょ。ぁ、ぁい、ぁいどーむ」

「うん?……おちび、いっしょ、あいどーむ……大丈夫?……おちびが一緒だから大丈夫ってことか?」

「ぁいりょーぶ」


 任せろと言わんばかりに頷く赤ん坊。もしかして身を隠すようなスキルでも持っているのか?


「そう、だな。おちびが一緒だと心強い。よろしく相棒」


 頷き返して手のひらを向けてやれば、赤ん坊は嬉しそうに笑ってハイタッチをしてくれた。

 魔力は十分どころか未だに増え続けているし、赤ん坊には虫も通さぬ結界を張っている。せめておんぶ紐が欲しいが、まあ、無駄に誘拐だの幽閉だのされたせいで両手が塞がっている状態で戦うのには慣れている。何かあっても対処できるだろう。




 幸いにして相棒は優秀だった。訓練場を囲むように点在する倉庫や茂みを利用してうまく人と鉢合わせないように誘導してくれる。途中で干されていたシーツを一枚抱っこ紐代わりにした。風が強いので飛ばされたとでも思うだろう。おんぶではなく抱っこなのは体格差があり過ぎて赤ん坊の指さす向きが見えなかったのでやめた。


「ちゃー、あぇ」

「お……水と食料だ。おちび、お水飲むか?お腹は空いてないか?」

「おみじ、くりゃたい」


 ちょうどよく前室付きの小屋のやたら広い戸口が全開になっており、中には浄化魔法が付与された蛇口付きの水槽と大きな麻袋に入った野菜や調味料の入っていそうな壺などの食料が置かれていた。棚に積まれた浅い木箱には大きな平たいパン。前室には空の瓶が置かれているのでここは配達された食料を一旦置いておく場所なのかもしれない。水槽は重い荷物を運んできた配達人への配慮だろうか。年中温暖な気候のユンデュモイはこういう風にあちこちに喉を潤すための水槽があると聞く。

 しかしどうも逼迫している様子がない。我が軍は負けているのだろうか。


 赤ん坊を下ろすと風が汗ばんだ体を冷やして気持ちがいい。

 重厚な机の上に置かれた水槽の横にはコップがいくつか並んでいたので、コップに浄化を掛け赤ん坊に水を飲ませる。一人で飲めるか心配だったが上手に飲んでいる。

 俺も水分補給を済ませて木箱からパンをひとつ取り出すと木箱を揺らしてさりげなく隠蔽工作をし、パンに結界を張った。これでうっかり地面に落としても踏まれても大丈夫だ。腕を伸ばしてコップを机に戻そうとする赤ん坊を手伝い、シーツを割いてパンを包むと赤ん坊に両手を上げさせて斜めかけに体に巻き付けた。


「このパンを持っていて欲しい」

「ん」

「はは、頼もしいな」


 自分が守ると言い出しそうな顔でパンを抱きしめる相棒に笑ってしまう。が、気になることがひとつ。


「おちび、この痣いつからある?”いたいいたい”?」

「んー?たいたいにゃいにゃい」

「そうか、ならいいんだ」


 両手を上げさせたときに見えた、左腕の内側の菱形とも十字とも言える痣。連れ歩いてる間にぶつけてしまったかと思ったが違うらしい。今は先を急いだほうがいいか。残ったシーツを使って再び赤ん坊を抱っこし歩みを進めた。




「とと」

「ここか。確かに出られそうだな」


 小屋からさほど距離を置かずして、ひょろ長い針葉樹に隠れるように一部が崩れた華美な古い塀があった。装飾の感じからあの祠と同じ時代の遺跡なのかもしれない。塀は俺が手を伸ばしても手が届かない高さだが、崩れた部分は俺の頭より少し上ほどの高さだ。塀の向こうの気配をサッと探る。人の気配はない。


「おちび、”ぎゅー”」

「ぎゅー」

「それから”しー”だ。びっくりするかもしれないが声を出しちゃいけないぞ……よっ」


 唇の前で人差し指を立てれば、赤ん坊は頷いて俺のシャツをしっかり掴んだ。赤ん坊を片腕に抱き込み、身体強化を掛ける必要もなく塀を乗り越えた。なんなく着地し腕の中を窺うと、キラキラの灰色がこちらを見ている。真っ直ぐな視線が面映ゆい。


「次はどこに行けばいいんだ?こっち?」

「んーん、あち」


 乗り越えた先は人の手が入っていそうな木々と崩れた遺跡たち。その合間から道が見える。道のほうを指し示すと相棒は首を振って道には出ない方向に誘導した。

 訓練場から離れていくとやがてフローラルな香りが漂ってくる。相変わらず人と会うことがなく、道のりは順調だった。遺跡の残骸がなくなり木や草が鬱蒼としてくると、赤ん坊が中心の黄緑色から外に向かって水色のグラデーションを描く花が咲く木を指さす。名前は忘れたが妖精の好む花のひとつだ。木の前に辿り着くと赤ん坊が身じろいだ。


「おぅる」

「どうした、痛かったか?」


 シーツを緩めて赤ん坊を下ろす。戦士の洞窟から出てきたときはほとんど真上にあった太陽は少し傾いているので、二時間ほど経っているだろう。そういえばこの子がここまで長くいるのは初めてだ。そう思ったところで、地面に足を着けた赤ん坊の姿が滲んでいることに気づいて息を呑んだ。


「ちゃー、ありゃーと」


 今度こそ、お別れらしい。赤ん坊はじっと俺を仰ぎ見ている。


「ちゃー、しゅどい、ちゃっといい、たあいい、えやい、しゅてひ」


 すごい、かっこいい、かわいい、偉い、素敵。

 おそらくこの子が知る限りの褒め言葉。精一杯の感謝と別れの言葉。


「ぁいちゅき、あいしゅてぅ」

「……っ、ありがとう」


 小さい体を目一杯広げて俺を抱きしめる赤ん坊を潰さないように腕で囲む。


「さっさとこの戦争を終わらせて、会いに行くよ。おちび、また会おう」

「……ん!……あいあい!」


 二、三歩離れパタパタと手を振る赤ん坊に手を振り返す。束の間の相棒は花の匂いを撒き散らす風と共にその姿を消した。




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