戦士の洞窟
微かな空気の揺れを感じて目を開ける。
「なん……だ……?」
視界に入るのは闇ばかりで、咄嗟に持ち上げた自分の手すら見えなかった。体を起こせば手足に付けられた鎖がジャラジャラと鳴る。それとは別に全身に何かがまとわりついているような重さが不快で顔を顰めた。
長いこと眠っていた気がするのに特有の倦怠感も筋力が落ちている感覚もない。危機に慣れた頭は無意識に記憶をさらう。
最後の記憶は敵国の魔法使いの極大魔法から味方を庇ったこと。それから気を失う直前の「一人も道ずれに出来なかったか」という悔しそうな声と「まあいい。概ね計画通りだ」という冷静な声。
状況から判断してここは噂にあった敵国の古代遺跡だろう。彼の国には体の時間を停止させる古代魔法――もっと言うと寝食なしに動き続けることができる魔法があしらわれた部屋があるという。戦士の洞窟と呼ばれるドーム型の部屋は、古代の戦士たちが鍛練を積み、歴史に残る英雄たちを生み出した場所だ。洞窟は壁が分厚いのか、それとも地下にあるのか、かろうじて風の音が聞こえる程度だ。
まとわりつく何かはおそらく魔力吸引。証拠に、いつもなら気を失っていても発動する自己治癒スキルが効いておらず、味方を庇ったときに負った傷がそのままだ。体の時間が止められているのなら傷はこのままかもしれない。
「チッ、俺の魔力が目的か……」
救国の英雄、妖精の愛し子、妖精が作った化け物。散々言われてきた言葉だ。このバカみたいな魔力と過度なスキルのせいで力を、命を、貞操を狙われ、何度も危険にさらされた。唸るような息が漏れる。先程から感じていた微かな気配がほんの少し動いた。
これはなんだろうか。
殺気も感じないので放っていたが、小さくてふにゃふにゃしていて小動物よりあやふやな気配なのにうちから輝くような生命力を感じる。手を伸ばしても届かない位置にいるそれをなんとか見れないかと暗闇の中目を凝らしていると、それは小さな小さな声で「ひぇん」と鳴いた。声もふにゃふにゃだ。おかげでなんとなく正体が掴めてしまった。信じたくない、信じたくないのだが
「もしかして、赤ん坊、か?」
「くあうぅぅん、ぅ」
やはり赤ん坊の声に聞こえる。敵国はこんなところに赤ん坊を閉じ込めるほどの畜生だったのか?
「奴らの気が知れん……」
「ぁ~んい~……」
「!?……は、消えた……?」
肝が冷えるような煮えくり返るような気分を押し込めているうちに推定赤ん坊は微かに空気を揺らしていなくなってしまった。幻覚でも見たのか……?ああ、寝ぼけているのかもしれない……すごく眠い……。
ふわりとした空気を感じて意識を尖らせる。相変わらず姿は見えないが現れたのは数日前の気配と同じもの。
「やはりあのときの赤ん坊か。どうやってここに来てるんだ?」
「ふんん」
生き物の気配が一切なく寒くも暑くもない暗闇の中にいるのでどのくらい時間が経ったのかはわからないが、少なくとも五日は経っているだろう。普通そんな環境にいれば人は狂うものだが、生憎狂うほどの恐怖はなかった。ずっと何かと繋がっている感覚があるのだ。力を入れれば切れてしまう糸のように細い繋がりだが、どんなに頼りなくともそれは確かに希望だった。
赤ん坊がいなくなったあと再び目覚めたときに気づいたが、寝食が不必要なはずの部屋で眠っていたのは生命活動を阻害しないギリギリまで魔力を吸い取られ続けていたからだ。そして赤ん坊が現れた日から少しずつ起きる時間が増えてきた。誰がが魔力を渡してくれているのだと思う。今のところこの子が一番可能性があるのだが、赤ん坊が魔力譲渡なんかして平気だろうか……。
「体調は崩してないか?順調に大きくなっているか?」
言葉が通じないとわかっていても声をかけてしまう。
「う~、んぁぁ?」
「声は元気そうだな」
「へぅ、えっえっえっ!あ~!」
「はは、俺の声がおもしろいのか?」
「えっえっえっえっ!」
ああ、赤ん坊特有の笑い声だ。懐かしい。息子が小さい頃を思い出す。俺の前腕に乗るほど小さかった息子ももう一五歳だ。戦争が始まったとき、息子は我が国と敵国と隣接する国に留学していたが隣国に留まってくれているだろうか。家を守っている妻のほうも何事も無いといいのだが……いや、何かあっても妻の実家が手を回してくれるだろう。
「もっと近くに来てくれるといいんだがな……。あ……行ってしまったか」
触れれば魔力を渡してくれているのがあの子かどうか確認できるが、まだ動き回れるほど大きくないようだ。
魔力感知は魔力が少ない者のほうが得意だ。魔力が多いと自身の魔力に阻まれて他者の魔力が感じ取れなくなる。俺も魔力感知が苦手だったが、訓練を積んで触れれば魔力を見分けられるようにはなった。今、細い繋がりを感じられるのは俺の魔力が極限まで減らされているからだろう。
鎖が突っ張らない程度に体を動かす。治癒スキルはまだ発動する気配がなく、傷は治ることもひどくなることもないままだ。キャラキャラと笑っていた赤ん坊はまた唐突に気配を消したが、前回よりも少しだけ長くいたように思う。繋がりは切れていない。もしかしたらあの子はまたここに来るのかもしれない。
「ふにゃ、あ~?」
「おはよう、いやこんにちはか?それともこんばんは?」
「んゃ……ていてい、ぁ」
「おちびはいつここに来てるんだ?ご家族に迷惑をかけてないといいんだが」
「えへっ!えへっへっへっ!んきゅあー!」
「よく笑う子だ」
「ん~、んん~、あ~?ううあ~あ~あ~」
「そうかそうか」
「う~、にゅあ~、ん~あぅ~う~」
「今日は報告することがたくさんあるのだな」
「はぅ、あ~~~なんなんなんなんていてい!」
「ちょっとずつ気配がしっかりしてきたな。元気に育てよ」
予想は正しかった。赤ん坊は定期的にやってきてはあーだのうーだのおしゃべりして帰っていく。滞在時間は少しずつ伸びていき、比例するように俺の起床時間も伸びてきた。譲渡された魔力が吸引の対象になっていないおかげで少しずつ魔力が溜まっている。このままいけばここから出られる。
戦士の洞窟で目覚めてから体感で二ヶ月は経っただろうか。すっかり慣れてしまった暗闇の世界でじっとしているといつものように空気が揺れた。溜まってきた魔力で光球をひとつだけつくり、宙に放つ。
本来なら少しでも魔力を温存するべきなのはわかっている。治癒スキルが発動するまで待つか、どうせ使うのなら回復魔法で傷を癒したほうがいい。だがどうしても赤ん坊の姿をこの目で確認しておきたかった。
「ひゅあ~~~!」
じわりと闇に滲むようにして現れた赤ん坊はふわふわと頭上に浮かぶ明かりに驚いたのか、大きな声をあげ短い手足をわさわさと動かしている。一応、幻覚や幻聴の線も疑っていたがちゃんと実態があってよかった。
「はは、驚いたか?」
「!」
「やあ。顔を合わせるのは初めてだな。おちび」
頭を横に向けた赤ん坊と目が合う。ひとつしかない光球の明かりでは細部までは見えないが、人間の赤ん坊、身形がいいのでそれなりの階級の生まれだということはわかった。赤ん坊はまんまるに開いた目を三日月の形にして笑顔を向けると体をころりと回転させてうつ伏せになった。
「おお、寝返りが打てるのか」
「えへえ!」
拍手をしてやると赤ん坊も笑顔でぺちぺちと床を叩き始める。声だけでもただ暗いだけの部屋が明るくなるようだったが、無垢な笑顔は空気を暖かくする。
赤ん坊は人懐っこいのか無邪気に俺のほうへ這って来ようとし始めた。しかしまだ未熟な体でコツも掴んでいない状態ではなかなか前に進まない。
「む……」
「無理はするな。そこまで進んだだけでもすごいぞ」
不思議なことにこの部屋の床は見た目は石材のようなのに感触は芝生に近い。赤ん坊が転がってもその柔い皮膚を傷つけることはないはずだが、わかってはいても硬い石の床を這っているように見えて心配になる。
赤ん坊はしばらく頑張っていたが俺の頭ひとつ分ほどの距離を詰めたところで力尽きたのかぺちゃりと伏せた。その姿が幼い息子が遊んでいる最中に突然寝落ちしていた姿と重なる。
「……眠ってしまったか?」
「ん!」
眠いわけではないらしい。伏せていた赤ん坊が顔をあげ勇ましく床を蹴り出す。しかし動き出したところで赤ん坊の姿が滲んでいく。転移の合図だ。待ってくれ、せっかく頑張ってくれているのに――届くわけがないのに思わず伸ばした手が空を切った。これは、どう見てもあの子の意思で転移をしていない。
「やはり誰かがあの子を転移させているな……なんのために……」
光球を動かして室内をざっと確認するが、出入り口のようなものは見当たらない。つまり転移じゃないと入れない場所だということだ。
天井と壁の境の高い位置に通風孔らしき穴があるのに日差しが入らないことを不思議に思いながらついでに自分の姿も確認する。手足の枷から伸びた鎖は床に打ち付けられていた。いつもなら破壊できるが今は無理だ。装備はもちろん軍服の上着、ベルトに巻き付けていた身分証明になるネックレスまで剥ぎ取られていた。
なんとなく事情が読めて光球を消して溜息を吐く。あのネックレスには妻からもらったお守りも付けてあったのに。
とにかく、できることをしよう。諦めずに俺の元に向かおうとしたあの子に倣って。
「ちゃーーー!!」
「ん!?」
数日後。転移の前兆を感じて、前回のように光球をひとつ浮かべて転移してくるのを待っていたら、赤ん坊は今までにないぐらい元気よく叫んで俺のほうへ這ってきた。この間よりも随分ずり這いがうまくなっている。床を蹴り腕を前に出し少しづつ、少しづつ。
「ああ、すごい……すごいなあ……」
不覚にも泣きそうになってしまう。子どもの成長は目が眩むほど眩しい。
手をできるだけ伸ばしてジャラジャラ鳴る鎖が当たらないように慎重に、ここまで辿り着いた小さな体を迎え入れる。ふにゃふにゃの体は暖かくてミルクの匂いがした。
「すごいぞおちび!」
「ひゅあーーー!えへえへえっえっえっ!」
抱き上げて膝に乗せて優しく頭を撫でる。それなりに溜まってきた魔力と赤ん坊の魔力は同じだった。それでこんなに元気なのだからこの子も随分魔力の多い子らしい。
紅葉のような手を広げ、検分するかのようにたどたどしく俺の体を触る赤ん坊はプラチナブロンドの髪で瞳は灰色をしている。色素の薄い色味に多い魔力……俺の家系と同じで先祖にフェルフ族がいるのかもしれない。かわいらしいピンク色に白いフリルがあしらわれた服を着ているが幼児の服は性別なんてほぼ関係がないし、男児でも親が女児の服を着せるなんてザラだ。女の子とは限らない。俺も母の趣味でよく女装させられていたと聞いた。
「んーんー」
「コラ、傷になるぞ」
検分に飽きたらしい赤ん坊は次は俺の左手首の枷を握ろうとしてうまく掴めず金属の上で指を滑らせている。俺の手の六分の一もなさそうな手をそっとどかす。が、赤ん坊が両腕を上げて嫌がった拍子に逆に手を爪が食い込むほどに握り込まれてしまった。赤ん坊の爪というのは小さい分鋭さが増して地味に痛い。
「んーーー!!」
「おっと、いたたたた……」
「――たあいッ!」
油断した隙に赤ん坊が枷をぺちんと叩いた、その瞬間――――貝が口を開けるように枷が緩み手首からずり落ちた。
枷が赤ん坊に当たりそうになり反射で左手を勢いよく払って弾き飛ばす。床の上に落ちた枷とそれに引きずられた鎖の金属音が室内に響いた。
「は?」
何が起こった?枷がなくなり軽くなった左手がジンジンと痛み出す。この子がやったのか?他に可能性はないがにわかには信じがたい。呆然と赤ん坊を見れば、くありとあくびを漏らし眠そうにしていた。その様子で我に返る。そうだ、何をボケッとしてるんだ。この子が枷を外したのなら魔法を使ったはずだ。魔力枯渇になってもおかしくない。
「魔力は大丈夫か!?体調は!?」
慌てて赤ん坊の魔力を探るが他人の魔力量の測り方がわからない。俺は魔力感知が苦手なんだ!
「ふあ~~~……ちゃ~……」
赤ん坊の尻を腕に乗せるように抱き光球を動かしながらあちこち確認していると、赤ん坊はまた大きなあくびして俺の肩に頭を摺り寄せてすやすや眠ってしまった。熱はないし顔色も悪くないが、相手は戦場を駆け回る戦士ではないのだ。安心はできない。
「こんな場所でなければ医者に診せられたのにな」
魔力譲渡を試みたいところだが、俺の魔力は他人にはひどく扱いづらいものらしく、その上魔力量を測れないので与え過ぎてしまうと魔力過多で酔ってしまいかねない。俺は他人の魔力でもなんら問題がなく、魔力過多になることがないのでそういった辛さを理解してやれない。といった理由から仲間から魔力譲渡は禁止だと厳命されている。
元が赤ん坊の魔力でもすでに俺の魔力になってしまっている以上どんな影響があるかわからない。
あぁ、赤ん坊の姿が滲んできた。この子の親であれば魔力譲渡も問題なくできる。魔力を練り、まるい額に魔力低下中の印を付ける。軍で使っているものだから意味は通じないかもしれないが、異常に気付いてくれさえすればいい。
「俺の元に来てくれてありがとう」
赤ん坊をここに転移させている何者かもさすがに魔力を減らして帰ってきたこの子をもう送ってくることはないだろう。少しづつ本来の居場所に帰る腕の中の温もりを撫でて見送った。