受付
食堂で食べられるのならば、きっと市場にも味噌や醤油は販売されているはずだ。もう食だけでトライア地区に親近感がわく。
勿論、バイキングには和洋中の他、見たこともないような食事もあり、いつかチャレンジしてみようと心に刻む。
私は花より団子です。美味しい食事は日々の糧になります。
支払いはサティカに紐付けられている口座から自動引き落としらしい。
手続きは、いつの間にかしてくれていたみたいで、アーレン王国で、貯めていた私個人のお金と紐づけてくれているみたいだ。
ただ、残高を確認したら、私の所持金とは言い難い、あり得ない金額が表示された。
きっと私のことを心配した家族か、近しい人が入金してくれていたのだろう。教皇様だったりして?
後で調べてちゃんと返そう。
けれど、きっと今の私の状態では、探してお金を返しても受け取ってくれない。生活基盤が安定し、私自身の貯金も貯まったら、お礼の何かと共に返そうと心に留めた。
前世とは違い私のことを気にかけてくれる人が沢山いる……それだけで私の心は、支えられている。私の活力になっていた。
◇◇◇
バネッサとの美味しい食事を終えたら、初期講習である。
バネッサは受ける必要はないので、その間、仕事の打ち合わせをするらしい。
講習会場の受付でバネッサとは別れた。
初期講習後は、其々のコーディネーターが迎えにくる手筈になってるので、私の場合、バネッサに迎えに来るまで講習会場の広場で待っていれば良いとの事だ。
受付には10人ほど並んでいて最後尾についた。
前を見ていたら、サティカで受付をして、部屋と番号を伝えられているようだ。これならすぐだろう。
「あら? 順番を守れたのね?」
後ろから少し棘のある声がかけられた。
振り返ると、同じくらいの年齢の女性が、私を睨みながら見下ろしていた。バネッサよりも低いが、私とは10センチ程差があり、圧を感じる。ふわふわのブロンドの髪は肩で切り揃えられて、少し吊り目だが綺麗な紅色をしていた。華のある顔立ちだが、睨まれている為、顔がちょっと怖い……。
「えっと……?」
私がなんと返そうかと迷っていたら更に怖い形相になる。
「ここは、ビジター様の娯楽で来るところじゃないの」
様付けで呼ばれているが明らかに愚別の念が籠っている。
きっと関所で私が、ビジターの扉から入る所を見たのだろう。
今更ながら、ちゃんと並べば良かったと思う。
けれど、忙しいダンさんの手間を増やす事になっただろうし結局はあーするしか無かったな。
もう過ぎてしまった事はどうしようもない。
私に特別待遇は似合わないな……と現実逃避してしまった。私が何も言えないでいると、肯定と思ったのか女性は更に捲し立てた。
「貴方のように興味本位ではなく、アデラストーリーを夢見て、これから真剣に学んで上を目指していく所なの」
興味本位と言われれば、この地区の魔道具に興味があったのでなんとも言えない。そこは、言い返せないところだ。
アデラストーリーとは、地区長の奥さんのサクセスストーリーだ。移民パンフレットの中にあるインタビューに載っていたので、移住してくる人にとっては有名な話だ。
地区長の奥さんがアデラさんで、アデラさんは住民パスでここに来た、元貧民出身の方である。
貧民から地区長の妻の座を勝ち取った彼女は、住民パスで入区してきた人達の憧れだ。この地区の移住者向けのシステムが整っているのもアデラさんの尽力によるものらしい。
そのお陰で年々移住が増えているとか。
ここに入区してくる人達は、スタートラインは一緒。本人の努力次第で上を目指せる事がこの地区の強みだ。
凄い人だなと思うが、私は確かにアデラさんを目指してはいない。慎ましく、出来たら魔道具の何かに関われたらなと思ってるだけだ。それは彼女の言う通り、当てはまらない。
「ここしか行くところがない人だっている。
貴方が住人になることで、今日の講習を受けられない人がいるのよ?
どうせ、貴方は帰る場所があるのでしょう?
軽い気持ちで住民になるつもりなら、さっさとお国へ帰りなさい」
中々辛辣な事を言う。本人は間違っていないとばかりに正論を振り翳しているのだろうが、そこは訂正しておきたかった。
私にだってもう帰る場所はない。ここで一生暮らしていく。その覚悟で来ている。トライア地区は地区と言われているが、かなり大きな都市で現在50万人程住んでいる。もしかしたらもう会う事もないかもしれないが、誤解されたままではいたくなかった。
こういう誤解は、後から思わぬ災いになる事があるのだ。
「私だって、一生ここで住むつもりで来ています……」
思いの外、小さい声になったのは許してほしい。小心者ですので……。言っただけ御の字という事で……。
女性は少し驚いた後、まだ言い足りないのか口を開いたが、別の声がかかる。
「次の方! 早くきて下さい」
前に並んだ人達はもういなくて、私は慌てて受付に行く。
少し怒っていた受付さんに謝罪をして、言われた部屋へ急いだ。
言い逃げのような形になったので、ちょっと申し訳ないとおもったが、お高く止まっているように思われているのも悲しかった。受付が終わっても、視線なんて合わせられる訳もなく……彼女を見る事は出来なかった。
言われた部屋に入ると、長机に均等に椅子が並べられていた。指定された番号が書かれてある席に座る。1番奥には教壇になっていて少し高い位置に一つ机がある。大学の講義室を思い出す様な部屋だった。机と椅子、前面に白いボードのある部屋は無機質に感じた。
部屋には数十人ほど座っていたが、後から彼女が入ってくることはなかった。
私は息を吐いた。久々の悪意……。手を見ると少し震えていた。半端者居住区で少しは改善したかもと思っていたが、やはり人付き合いは苦手だ。
浮かれていた私への戒めなのかもしれない。
なるべくひっそりと生きよう……改めてそう心に刻んだ。




