相楽君への手紙
幕末の志士、相楽総三は匿われている江戸薩摩藩邸の一室で、西郷隆盛直筆の手紙を読み終えた。そして居並ぶ同志らに書状の内容を説明する。
「西郷君は遂に徳川幕府の討伐を決断した。そして我ら江戸の浪士に、倒幕戦争の魁となって欲しいと頼んでいる」
その言葉を聞き、志士たちは興奮した。この時を彼らは待ち望んでいたのだ。
大政奉還によって徳川幕府を終わらせた第十五代将軍の徳川慶喜だが、政治権力を手放すつもりはなかった。朝廷に政権を奉還するものの、引き続き実権を掌握しようと考えていたのである。
一方、薩摩藩の西郷隆盛は慶喜の動きを警戒していた。徳川幕府は滅亡したとはいえ、徳川氏の経済力や軍事力までもが消滅したわけではない。大政を奉還することで、逆に態勢を立て直し、薩摩藩や長州藩といった潜在的な敵国への圧力を高めるのが慶喜の狙いである――と西郷隆盛は読んでいる。
薩摩藩は西郷隆盛が中心となって長州藩や土佐藩といった西国の雄藩と秘密軍事同盟を締結し、倒幕戦の下準備を進めていたが、徳川慶喜の大政奉還によって雄藩連合の足並みが乱れた。諸外国が日本を狙っている中で、わざわざ徳川氏との内戦を始めなくても良いだろう……という考え方が他藩の間で広まってきたのだ。
西郷隆盛の考え方は違う。徳川氏は今、もっとも弱体化している。徳川慶喜が行おうとしている軍事改革――フランス仕込みの陸軍や海軍の増強――が進めば、薩長とは元の体力が違うので太刀打ちできなくなるだろう……という恐怖が、その根底にある。
だから、さっさと開戦するべきだ! と西郷隆盛は信じている。しかし、あまりにも声高に主張すると厄介な事態を招く恐れがあり、自重していた。保守的な性格で幕府打倒に対し内心では消極的な薩摩藩の最高権力者、島津久光の機嫌を損ねてしまうと、他藩の大名まで久光の意思に引きずられ、せっかくの倒幕連合が瓦解しかねないためである。
島津久光その他の穏健派を、自らのような過激派に一変させるための大事件。それを西郷隆盛は求めていた。相楽総三ら尊王攘夷の志士を江戸薩摩藩邸に匿っていたのは、その目的のため即ち、旧幕府側を挑発し薩摩その他の雄藩を攻撃させるためである。旧幕府側から攻撃を受けたら、島津久光ら穏健派の諸侯も反撃を決意するだろうと西郷は考えたのだ。
「見よ、西郷君からの手紙を」
志士たちは西郷隆盛が彼らに宛てて秘密裏に書き送った書状を回し読みした。江戸に騒ぎを起こし、旧幕府を混乱させよと書かれている。彼らは江戸薩摩藩邸から出撃し、秘密の指示通りに徳川体制の支持者と目された商人や武士を殺傷した。薩摩御用盗と呼ばれた彼らは、江戸の町民を恐怖のどん底に叩き込んだ。江戸の平和を乱す悪党どもを放っておくわけにはいかない――と当然ながら旧幕府側は憤激し、反撃した。江戸薩摩藩邸は焼き討ちされ、相楽総三らは這う這うの体で逃れた。そして事件の詳報を聞いた大阪の旧幕府軍は江戸薩摩藩邸焼き討ちに呼応し、事件の主犯である薩摩軍が占拠する京都へ進撃した。そして起こった鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍は惨敗してしまう。旧幕府軍の大敗を見て、日和見だった多くの藩も徳川慶喜を見限り、新政府側に味方した。それ以降、旧幕府軍は敗北を重ね、最後は函館の戦いで壊滅した。西郷隆盛の思惑通りに事は進んだのである。
さて、相楽総三その他、薩摩御用盗の面々はどうなったかというと――鳥羽伏見の戦い後、赤報隊という部隊を編成し官軍の先鋒として江戸へ向かって進軍していたが、偽官軍として逮捕された。軍資金を得るため江戸の頃と同じように親徳川派とされた商人から金を強奪していたことが官軍指導部の不興を買ったとも、農民に対し年貢半減を約束して歩いたことが新政府首脳を激怒させたとも言われているが、真相は分からない。捕縛された者たちも、何が何だか分からなかったのではあるまいか?
逮捕を免れた尊王攘夷の志士で、薩摩御用盗で、赤報隊幹部で、偽官軍の一人が「逮捕は何かの間違いだ!」と思い京へ走った。彼らの事情を知る西郷隆盛なら、皆を助けてくれると思ったのだ。
彼は西郷に面会を申し入れたが、断られた。偽官軍のことなど自分は何も知らないというのだ。
「そんなはずはない、我々は西郷隆盛君からの手紙を受け取った」
取次に出た薩摩藩の武士は、西郷殿はそんな手紙など書いた覚えは無いと言っている、と告げた。
「そんな馬鹿な! 我らは皆で読んだぞ! 西郷君から、相楽君へ宛てた手紙を!」
「その手紙は、どこにある?」
「江戸薩摩藩邸焼き討ちの際に、燃えてしまった」
それならば、証拠にならない……と取次は気の毒そうに言った。それから、小声で話す。
「貴君らは江戸で無実の者まで殺傷したと聞く。そのために薩摩の藩邸は焼かれた。そのことを島津久光公は大変お怒りなので、薩摩の陣屋に近づくと捕らえられるかもしれぬ。ここから早く逃げられるがよい」
「しかし、西郷君に会わないと、同志の命が!」
相楽総三その他の無法者は、もう処刑された。中村半次郎と名乗る取次の武士はそう伝えると、命が惜しければ早々に立ち去るよう再び促した。