第1話 四竜殺しのアルシオン/1
膝下まで伸ばした艶のある黒髪が印象的な女性だった。
「あの、すみません……」
初めて来た街で、散々探して見つけた工房。
その入り口に立って僕はおずおずと声をかけてみる。すると、見えたのは後ろ姿。
長い黒髪をまとめもせずに揺らしている彼女の背姿だった。
「すみませ~ん」
「……ん?」
僕が再度呼びかけると、彼女はやっと気づいたようで、振り返って僕を見る。
とても、妖しい美貌を持った、長身の女性だ。
年のころは二十歳か二十代前半くらい。
卵型の輪郭に細い眉と通った鼻梁、小ぶりで真っ赤な唇に何かくわえている。
一瞬、煙草かパイプかと思ったけど、それはよく見ると木の枝だった。
先端近くに小さな葉っぱがついている。
髪と同じく黒い瞳は切れ長で、大人びた印象を僕に与えてくる。
彼女は、右目にモノクルをつけていた。
それが何か、僕は知っている。
確か『魔視眼鏡』と呼ばれる、魔法の効果を持ったモノクルだ。
付与されている魔法は多種多様で、彼女のそれには何が付与されているのか。
服装は簡素で、その上になめした革のエプロンをつけている。
それだけ着込んでいるのに、胸や腰など出ているところはしっかり出ていた。
その立ち姿はとても様になっていて、見た僕はドキッとしてしまう。
「君は、どなたかな?」
やや高めの、少しハスキーな感じの声色。
僕はぺこりと頭を下げて、まずは自己紹介をする。
「初めまして、僕はマーレィ・アルシオンと申します。ネルカークの街で騎士見習いをしています。こちら、コルネリオ工房で間違いないでしょうか」
「おー、お客さんか。ネルカークの街? こっちの地方じゃ一番大きな街じゃないか。そこの騎士見習いさんか、なるほど。そうだよ、ここがコルネリオ工房さ」
彼女はそう言って、くわえていた枝を指でつまんで、快活に笑った。
「案内もなしにここをよく見つけたね。大したものだよ」
「見つけるまで三時間かかりました……」
「アッハッハッハッハ、ごめんね。あんまり派手派手しいのは好きじゃないんだ」
また笑う彼女だが、これは派手派手しいとかそれ以前の問題だと思う。
何せ、このコルネリオ工房には、看板がない。店舗もない。ビックリした。
ここは普通の住宅で、ドアが開けっぱなしになっていて、その奥に彼女がいた。
僕がここを見つけられたのは、何度も人に尋ねたからに他ならない。
「看板くらいはつけたらどうですか?」
「イヤだよ、それじゃあ客が来てしまうじゃないか」
「一応、お店開いてるんですよね……?」
「何を当たり前のことを聞いているんだい、君は。そりゃあそうさ」
あれ、おかしいな。何で僕の方が不思議がられてるんだろう。
「ところでマーレィ君、年齢は? 茶色の髪に鳶色の瞳。顔にはやや幼さが見て取れるが、将来はさぞ精悍になるだろう。いい顔つきをしているね。体は成長期だが、成長を阻害しない範囲でよく鍛えられている。そうだな、十四か十五くらいか?」
「う……、当たりです。先日、十五になったところです」
「ほほぉ~、来年には成人じゃないか。この国の騎士見習いは十六で成人すると共に騎士を叙任されるのが一般的だ。君も来年には騎士というワケだね、マーレィ君」
「まぁ、そうなんですけど……」
よくしゃべる人だなぁ、と思いながら、僕は工房(?)の中を見回す。
何も、なかった。
ここは武器を扱う工房で、僕はてっきり剣や槍なんかが飾られているかと思った。
しかし、そんなモノはどこを探してもなかった。
ドアをくぐった向こうにあったのは、何も置かれていない殺風景な部屋。
そこで彼女は、木の枝をくわえて突っ立っていた。何してるんだ?
「ああ、私がここにいるのが不思議かい?」
僕の視線に気づいたらしく、彼女はいたずらっぽく笑って、また枝をくわえる。
「実はここは休憩スペースでね。工房と作業場は家の裏手にあるんだよ」
「はぁ……」
「休憩スペースを入り口に置いておけば、客が来たときにもすぐわかるという寸法さ。いいだろう? いい考えだと思わないか? 一石二鳥とはまさにこのことさ」
彼女は、大人とは思えないくらいに瞳を輝かせてそれを言っている。
よくしゃべるの次に変な人という印象を持った僕は、間違ってはいないはずだ。
「あの~、それで……」
「わかっているとも、こっちの自己紹介が遅れたね」
そして口に木の枝をくわえたまま、彼女はようやく僕に名前を教えてくれる。
「魔剣修復師のゼラシア・コルネリオだ。本日は、どのようなご用件で?」
ゼラシアさんは、僕に向かって軽くウインクをしてきた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――国内唯一の魔剣修復専門工房『コルネリオ工房』。
魔剣に属するものならば何でも修復してのける。
そんな評判で語られるこの工房には、常に国の内外を問わず様々な魔剣が――、
「君が、三か月ぶりのお客さんだよ」
集まっている。というワケでもないようだった。
「いやぁ~、ハハハハ。閑古鳥っていうのかい? それも鳴かない有様さ」
全然繁盛していない割に、ゼラシアさんはまるで気にしちゃいないようだった。
「あの、ゼラシアさんは他に本業があったりするんですか?」
「え、何故だい?」
「だって三か月もお客さんが来ていないんですよね……?」
「ああ、生活についてかい? 別に君が気にすることじゃないよ。アッハッハ」
男性みたいな物言いをしながら、ゼラシアさんはまた明るく笑う。
「こう見えても私は裕福でね。この魔剣修復の仕事だって、半ば道楽さ。……さて」
殺風景な部屋の中でずっと突っ立っていたゼラシアさんが、僕の方へ向き直る。
「奥に行こうか。詳しい話を聞こうじゃないか」
言って、彼女が視線で示したのは、部屋の奥にあるドアだった。
僕はコクリとうなずくと、歩き出す彼女のあとに続いて、ドアの方に進んでいく。
ゼラシアさんがドアを開けると、そこにあるのは簡素なイスとテーブル。
「座っていいよ」
「はぁ……」
生返事をして、僕は一方の椅子に座る。
それを見て、ゼラシアさんは向かい側の椅子に座り、僕達は対面の状態になる。
「ここに来た以上は、魔剣の修復依頼だろう? どういった品かな? どの時代の魔剣だろうか? 素材はわかっているかい? 製法はどうかな? 製作者は誰だい?」
「え? あ、え? えぇと……」
ゼラシアさんは急にテンションを上げて、テーブルに身を乗り出してくる。
その際、彼女の豊かな胸がテーブルに乗って、なかなか見てられない光景になる。
「ん? 何だい? ……あ、私のおっぱい触りたい?」
「何でド直球でそういうことを言うんですか!?」
「いいじゃないか、別に。君が持ってきた魔剣によっては、やぶさかでもないよ?」
……え、何が? 何がやぶさかじゃないんですか!?
「フフフフ……」
ゼラシアさんは、わざわざエプロンを外して、両腕で自分を抱きしめる。
その際、その胸が腕の上に乗っかって強調されて、その、あの……。
「あ~、赤くなってやんの、可愛いねぇ、騎士見習い君! アッハハハハハハ!」
指さして笑われたよ……。
僕はもう、帰ろうかな。と思った。
「ああ、すまない。冗談さ、ほんの冗談。早速、魔剣を見せてくれないか」
「…………」
「ほらほら、そんな顔をむくれさせないで」
クソ、この人、僕がどんなリアクションとっても楽しそうだな!
これ以上は抵抗しても無駄だと悟り、僕は依頼の品を彼女に見せることにする。
「お、そのリュックはマジックバッグだね。中に大量の品を詰め込めるタイプだ」
「そうです。今、出しますね」
僕がリュクから取り出したのは、布にくるまれた長大な両手持ちの剣。
さらにその布をとって、僕はテーブルの上にその剣を置く。
刃が収まった黒い金属製の鞘は小さな凹凸だらけで、色合いも色褪せている。
魔剣のグリップやガードの部分もかなり薄汚れていて、見すぼらしい感がある。
「ほぉ、へぇ……」
そんな大剣を、ゼラシアさんは興味深そうに上からジロジロ観察する。
「この剣は――」
「『四竜殺しのアルシオン』、だね?」
「ぅ……」
一発で言い当てられてしまった。
「アルシオンという家名を聞いたときから、そんな気はしていたよ。三百年以上前の先王国時代に四匹の竜を屠ったとされる伝説の魔剣、『四竜殺しのアルシオン』」
「よく、ご存じですね……」
僕の先祖は、竜を殺して国を守った功績から『アルシオン』の家名を授かった。
でも、その伝承は三百年も昔のもので、今はあまり知る者はいない。だけど、
「オイオイ、マーレィ君。魔剣修復師だぜ、私は」
木の枝をくわえて、彼女は笑いながら僕にそう告げるのだった。
そしてゼラシアさんは『アルシオン』をその手に取る。
「どれどれ……」
彼女は『アルシオン』のグリップを握り、鞘から剣を抜こうとする。
しかし、どれだけ力を込めても、剣は鞘から出てこない。
「おお、ビクともしないね。こりゃあ、中は随分と……」
「そうなんですよね。もう長年引き抜けなくて、中身もどうなってるのかわからず」
鞘も朽ちかけているし、刀身もどうなっているのか、僕には想像もできない。
しかし、僕にはこの剣をこのままにしておけない事情があった。
「王太子殿下が『アルシオン』を一目見たいとおっしゃられて……」
「なるほど。家名の由来ともなった伝説の『アルシオン』が朽ちかけてるとなったら、取り立ててくれた王家にも申し訳が立たない、と。ちなみに見せるのはいつ?」
「何とか時期を調整して、二か月後――」
「ああ、来週で大丈夫だぜ、それ」
「え?」
ら、来週?
魔剣の修復にかかる期間を見積もって、二か月後にしたんだけれど――、
「このくらいなら一日あれば修復できるよ。何なら見てくかい?」
「い、一日で、ですか!?」
「ああ。楽勝だね。このくらいだったら」
今まで『名工』と呼ばれる鍛冶師数人に剣を見せたが、皆、口を揃えて言った。
この魔剣の修復は不可能だ、諦めろ。と。
僕がこの工房に来たのも、半ば以上ヤケで、直るワケがないと思いながら来た。
「うん、うん。このくらいならすぐイケるね」
「本当に……」
軽く言い放つゼラシアさんの態度に、僕は身を打ち震わせる。
自分の家に伝わる、竜殺しの魔剣。その刀身を、僕は一度も見たことがない。
憧れがあった。
期待があった。
まだ見ぬ伝説の魔剣に、僕は強い憧憬を抱いていた。
でも、鍛冶師達の『直せない』という言葉が、無慈悲にもそれらを打ち砕いた。
それが、もしかしたら、もしかしたら――!
「お願いします! 直してください! 報酬は、割増しでお支払いします!」
「ああ、もちろんいいとも。だけど報酬は既定の額でいい。その代わりに……」
「何でしょうか。僕にできることなら、何でも――」
魔剣が直る期待に胸を躍らせて声を弾ませる僕に、彼女は言った。
「修復後に、直した魔剣で私を斬ってくれないか?」
…………え?