92話
数日後、調査団はヒジャウの許可を受けて島の表側に出た。
港近くに開かれた市場は流石に邯志のような大市場ではなく、穏やかな雰囲気だ。島民たちは物珍しいのか邯志語やミガルティ語を話せる者が次々に調査団に声をかけたり、物々交換の様子を見守っている。竜人族はこの辺りの島に点在して暮らしているようで、外界からの客が来たと聞いて別島から訪れている竜人族も見受けられる。
メフシィは西大陸で購入した調味料類を卸し、南西諸島で取れる香辛料や薬を大量に買い入れた。北大陸では黄金と等しい価値を持つ高級品ばかりだ。ここのところ体調が優れない様子のメフシィだったが、今日はとろけんばかりの恍惚とした表情をしている。手に入れた香辛料の金額を大雑把に芳が計算したところ、とんでもない金額が算出された。計算の出来るものが寄ってたかってそろばんを持ち寄って計算したが、大差ない結果となった。ソラも混ざりたかったが西大陸式のそろばんは使い慣れず断念した。
サーシャは荷物の運び込みに忙しく、ソラと芳は島民と話している。手が空いたケビールは、椰子の実を割ってもらったものを持ってメフシィの隣に座った。
「どうですか?」
「ありがとうございます、せっかくですが」
メフシィは申し訳なさそうに半分に割られた椰子を断った。
視線は港の砂浜で遊んでいる子供たちに向けられている。サーシャより三つ四つ年下だろうか。まだ無邪気な年頃だ。
「……やっと最後の調査ですね」
「ええ」
「俺、メフシィさんは本当にすごいと思いますよ」
返事はない。
「だって獣人族、めちゃくちゃ苦手でしょ。まぁ俺も人間は好きな方じゃないからアレだけど。でも、サーシャを買い取ってちゃんと雇って、獣人族協会の提案までしてくれた。だから、ムルシド皇子の協賛が得られたら、大手を振って手を放してやってください。ソラもきっと納得します」
メフシィは力なく笑った。それから心から自分に恥じ入るように首を振る。
あれほど精力的だった男の姿はそこにはない。世界を一周近くする旅がそれほどのものなのか、それとも自分を偽り続けることに疲れたのかは分からない。だが確かに彼はこの旅の間に随分とくたびれたようにケビールは見えた。
「これは、独り言なのですが」
そう前置きしなくては口に出すことも憚られるのだろう。メフシィはまずそう言った。
「私は鳥の足がものすごく苦手です。魚の鱗を見るとぞっとします。犬や猫の毛が舞うと体が痒くなります。だからあの姫君に声をかけたのは、絶対に金糸雀だと思ったからです。あの汚い獣の子を買い取ったのは金糸雀に気に入られて王宮に一度で良いから入ろうと思ったからです。とんだ見当違いでしたがね」
吐き捨てるようにメフシィはそう言い切った。
「……でも、あの姫君は本当に私の商売の役に立つことをしてくれました。北大陸では身分が一番です。私の身分はただの商人ですし、老舗というわけでもありませんから、社交界には一歩も足を踏み入れることが許されないどころか、王族や貴族の衣装の仕立てすらできません。ですがそれを一つだけ逆転させる方法があるんですよ。何か分かりますか?」
「え? 南東大陸の王族と知り合うとか?」
「いいえ、社交界が注目する慈善活動をすることです」
あの時メフシィが言葉を失っていた理由をケビールは知った。あれは心の底からソラに感心していたのではない。ソラにそうと気取らせずに取り入る方法を必死に考えていたのだ。言葉を誤ればソラに不審がられる可能性もあった。彼にとっては一世一代の大勝負だったのだろう。
「しかも彼女は、逃げたことで退いたとはいえカプラ王国の王太子の鷹だった。その上あの容姿ですから、北大陸にも強力な味方になりたいと考える者が出てくるかもしれません。その時協力者であれば、私は北大陸の社交界に出ることが出来る。分かりますか? 彼女に協力し続けることが、どれだけ私にとって有効なことか」
「でもぞっとするような俺たちの傍にいてまですることではないとは思いますけど……。やつれたようにも見えますし」
ケビールが口を出すくらい彼は心労が募っていた。このままではいつか倒れるだろう。
「好き嫌いでは腹は膨れませんし懐はすっからかんです。私は肥え太って懐をはちきれさせて死んでやりますよ。このことはソラさんにはどうか内密に」
メフシィは言いたいことを言いきったのか、少しすっきりした様子で立ち上がった。
そして、荷物を運び終えた船員たちをねぎらうためにケビールの元から離れる。立ち代わりにソラが隣に座った。
「メフシィさんとお話ですか?」
「うん。椰子の実いる?」
「はい。ありがとうございます」
やっと日の目を見た椰子の実が傾けられる。沢山話してきたのか、ソラは一気に半分ほど飲んで満足そうに息を吐いた。
「ねぇソラちゃん。メフシィさんのこと、尊敬してる?」
「ええ、そうですね」
淀みない返事にケビールは不安になった。この先、無垢に育てられた彼女が苦しむ日がきっと来る。いつか自分のした決断を苦しみ、あんなことを言わなければ良かったと後悔する日が来るかもしれない。だから最初にソラの夢を一歩実現に近づけたメフシィが獣人族を心の底から不快に思っているということを、いつかは伝えたほうがいいのかもしれない。誰かに無神経に傷を抉られる前にそれとなく伝えるのも傍にいる者の仕事だろう、とケビールは考えていた。
「じゃあさ、もしソラちゃんが悪くないことで一方的にメフシィさんに嫌われていたとしたら?」
例えば、と付け足して傷つけないよう細心の注意を払いながらケビールは問う。こうして傷つく練習をさせることさえケビールは嫌だった。許されるのであれば、白花藻の咲く美しい川の中で、誰にも触れさせず誰からも傷つけさせず、笑っている姿だけ見ていたいほどだ。
だがソラはそんなことを決して喜ばないだろう。傷ついて悩まされている今の方が、王宮で身ぎれいにして歌っていた時よりもずっと生き生きとしている。
「途中から嫌われたのであれば、自分のせいです。悪くないと言うことは考えられません。ですが、あの日初めて会った時からというのであれば」
人を疑うということをいつまで経っても覚えない彼女は、この旅の中で多少はそういうことを覚えたのだろうか。初めての異性の友人に裏切られたということがどれほど彼女を傷つけたのかは分からないが、ソラは調査団の仲間たちに気取らない笑顔を向けることをやめることはしなかった。それはソラが選んだことで、傷つけられてもそうしたいと思ったからだろう。
「それは、あの方がそれほど気を使ってくださっていたということではないでしょうか。今までの手厚い対応に対しての感謝以外に必要なものはないと思います」
さぁ、そんなことを言っていても仕方ありませんから。そう言ってソラはケビールを立たせてその場に置いていた面紗を手に取った。どうやらヒジャウに頼まれて舞を披露するらしい。ヒジャウに声をかけられたソラは、異国の音楽に合わせて、暗がりの海に足首までつけて踊る。
神秘の島の住民たちとソラは、まるで対話でもするかのように離れた場所で交互に踊った。踊るたびに海水は淡く輝き、その美しさに皆ため息をついた。人が動く度に光を放つ海を見て竜人族は『精霊も喜んでいる』と喜び、それを竜人族の島民は調査団との友好の証とし彼らを友人と見なした。




