91話
翌朝、ヒジャウはソラとケビール、サーシャと芳を連れて山奥へ向かった。やはり数種の香が焚かれているのを見て顔を顰めたソラ以外の三人に、ヒジャウは『虫よけだ』と手短に告げる。投げてよこされた香炉の中身だというものの匂いを嗅がされてソラは三人に本当に虫よけです、と告げる。王太子が一時期邯志の皇帝との共通の話題として手を付けていたことがあるので、一緒に勉強したことが役に立っただけだ。なぜヒジャウがそれを知っているのかソラには全く見当がつかなかった。
『さて、獣人族協会の約款は持ってきたな。貸してもらおうか』
『構わないが、ヒジャウは島でどんな立ち位置だ? 代表と言って問題ないのか』
『神だ』
通訳すべきか芳は悩み、やはり聞き直すことにした。
『失礼、もう一度』
『神だと言った。我が任命された年に生まれた子の玄孫がそろそろ結婚する頃合いだ。正しくは神嫁と言うが、信じられないのであれば島の表側へ行こうか? 島中大騒ぎ、三日三晩の祭になるが』
「皆、こいつ頭おかしい。逃げよう」
どうやらヒジャウが南東大陸語を使えるという情報は本当だったらしい。芳の言葉を聞いて腹を立てて睨みつけてくる。いいから通訳しろ、とケビールに言われて芳は渋々通訳した。
「なんか、自分が神とか言ってる」
「あら」
「そりゃすごい」
「変なの」
当然だが誰も信じず、ヒジャウに一応の関心を向けている振りをする。ソラには煙草を使って祈祷師をしているとでも思われていた。実際そういう祈祷師もいるし、彼女もそれなりに信頼を置いているだろう。だが政治的に信頼がおけるかと問われればまた別の話になるはずだ。
サーシャに至っては祖先が殺して力を手に入れたはずのものが涼しい顔をして居座っていたら怖い、と言いたげにヒジャウを警戒し始めた。
「えっと、だから。我は『ソラ』と同じ巫女だの。『精霊降ろし』が終わったから神嫁になっだの。わかる? 我、神と結婚。長生き。わかった?」
ヒジャウが渋々南東大陸語で三人にそう告げた。その拙い話し方では神も形無しだ。
「ヒジャウ、『精霊降ろし』したんですか!? 心神喪失からはどのように立ち直ったんですか?」
ソラがヒジャウに食らいついた。芳はヒジャウの片言に気を取られてしまったが、確かに今彼女が言った部分が一番重要だ。ケビールは女だったのか、とサーシャと顔を見合わせている。
『した。前の巫女から聞いたから、我々の方法が一番古いやり方には違いなかろう』
流石に使い慣れない竜人族語だ。芳は通訳に手いっぱいになり、ソラに南東大陸語で書き取りさせる。ヒジャウから話してもらうにしても、あの心もとない片言では何が起こるか分かったものではない。芳はいつものように書き取りをしながら考察したかったが、それは後回しにするほかあるまい。
『力を使うと体が熱くて堪らなくなるだろう? それから辛くなってくる。そうなったら煙草などを使って耐え忍ぶ。食事はできるだけ取らず、取るとしても満腹感を覚えるようなものは駄目だ。とはいえ、我もそうだったが当日は緊張で食事などできぬがな。それから精霊降ろしの準備が整った娘は小島へ行き、三日三晩力を使い果たすまで使い続ける。それで生き残った者が神嫁となる。我が任命されたとき五人の乙女がこの試練に挑戦し、二人が精霊降ろしをするに至らず、残った三人のうち一人が死んだ。無事だったうちの一人が我だ』
『残る一人は?』
『心神喪失状態が戻らず、『中央大陸送り』になった。あそこは人が住むには厳しすぎる。故に手に負えなくなった獣人族はあそこへ送られる。狼人族の初めの一人、神嫁になり損ねた者もいる。人魚の流刑地とも呼ばれているな。とはいえ、気をやった獣人族は皆あそこを目指す。行けないのは海水が受け付けぬ魚人族くらいのものよ』
ソラは必死になって紙に縋りついた。自分が一体なぜ、アイハンから大山脈を超えてサヒル地方上空を飛んだのか理解してしまった。ヒジャウの言うことが本当であれば、ソラは信仰してもいない神の妻になるべく精霊降ろしをしたのだろうか。にわかに信じがたい。
人の枠組みを超えた何かが求める者が中央大陸にあるのではないか、とソラは思った。確かめることができればムルシドは大層喜ぶことだろう。だが確認する余地も勇気もない。
「怖い……」
サーシャが率直な感想を述べた。それにヒジャウが首を傾げる。
『だがそのソラも同じ儀式をしただろう? 残念ながら三日三晩の試練に及ばなかったようだが。見るからに成功しそうなのに失敗したのは、その魚人族の男か、人間が邪魔をしたように見える。ソラ、何か人間から託されなかったか』
「多分俺が邪魔したからじゃないか」
「そうですね、あなたが力を発散させてくれたから……」
そう言いかけてソラは黙り込んだ。何か聞き覚えのある話だ。
「そういえば、ライラ様の宝飾品は『精霊降ろし』しないためのまじないがかけられてるって、フリッツが言ってたな」
芳がぽつりと漏らす。
「フリッツさんというのはもしかして、アャースク語の通訳として来てくださった方ですか? 私にも同じ話をしてくださいました」
「そうそう。アイツの十八番ネタ。見たくて堪らないんだろうね。そんなすごいものさ」
遠い記憶でおぼろげだが、確かに彼は人間も獣人族の力と似たようなものが使えると言っていた。そしてそれを王族が独占状態だとも言っていた。
ソラも王族からもらったものが一つだけある。しかも、飛び切り特別なものだ。
彼女はそれを懐から出し、ヒジャウに見せる。貰った日から変わらず光り輝く美しい髪飾りだ。ソラはそれを見るたびに勇気づけられてきたし、主人を裏切った日も寂しい夜もいつも一緒だった。鷹であることを隠していたことと、ケビールが嫌がる手前しまっていたが、本来であればいつもソラの髪を飾ってくれるはずだったものだ。
「まさかとは思いますが、これですか?」
途端に彼女は顔を顰めた。
『どこで手に入れた、こんなもの』
「私の成人の儀式で使った髪飾りです。南東大陸の王太子からいただきました。儀式が終えてからはいつも絶えず身に着けていました」
『分かった。しまってくれ』
言われるままにソラは髪飾りを懐にしまう。二人の話を聞いていた芳が合点がいってヒジャウに問いかけた。
『もしかして、あれにも何かつけられてた?』
『そうだ。神々が嫌うまじないがかけられている。我も同様に見ていると気分が悪くなる。まぁ、鳥人族の乙女に渡すには的確な贈り物よな。あれさえあれば『精霊降ろし』も妨害可能だ。あれだけの力をかけようと思えば、相当良い宝石と相当腕の良い呪い師が必要だったろう。一国の王太子からもらったと言われれば納得だ』
芳が顔を青くしてソラを見ている。
「芳、通訳してください」
「いや、君本当に王太子殿下に寵愛されてたんだね……。怖……」
それから芳はようやくヒジャウの話を三人に伝えた。サーシャは髪飾りを見たがり、ケビールは苦虫でも噛み締めた顔をする。芳はサーシャと一緒に髪飾りを見た。ケビールとヒジャウは仲良く離れて立ってその様子を見守らされた。
「こんな綺麗な細工見たことない。すごいな。翠玉も月長石も大きいし一級品だ」
「宝物、綺麗だね」
「ライラ様の宝飾品はもっと大きくて、紫水晶のつけられていない部分は金剛石で埋め尽くされていました。これにまじないがかかっていると思うと不思議な気持ちです」
サーシャはソラの話を聞いてうっとりとする。金糸雀という職業は、市井の女の子からすればお姫様と変わりなく憧れの存在らしい。
「ライラ様って、黒い目の綺麗な人? 会ってみたいな」
「サーシャがメフシィ商会に長く勤めて、ムルシド殿下がお認めになられたらきっと会えますよ」
サーシャが目を輝かせる。今は力仕事ばかりしているが、きっと彼女の適正は職人仕事だ。花嫁衣裳の仕立ての件と言いソラの今履いている草履といい、とても子供が提案したり作ったとは思えないものばかりだ。もしかすると将来、彼女は流行を作る側になるかもしれない。




