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宵闇に灯火の唄を  作者: 野木 千里
第二章
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90話

 ソラが元に戻った後、二回りほど小さな彼女を抱きかかえるように歩くケビールはまるで間抜けな熊のようだった。サーシャがそう言ったことで調査員一同から失笑を誘い、ケビールはソラから引き離された。

 調査員は彼らを迎えに来た竜人に言われるがまま山中を歩き、月が頭上に上る頃山を下り海辺に立ち並ぶ小さな家に案内された。好きなだけ分けて使って良いという話をされ、メフシィが部屋割りを決めた。一行は清潔な水で体を拭くことが許され、希望者はぬるま湯が湧き出る泉に浸かることもできた。短い夏の間しか川に入れない場所で育ったサーシャがどうしてもというので女性二人が泉に入ることになり、男性陣は体を拭くだけに留めることにした。泉を楽しみにしていたものもいたらしく、サーシャが臭いと言ったら脇に片づけてやるという文句を言いながらも、彼らも多少こざっぱりとして気分が良さそうだ。

 泉から上がってすっきりした様子の女性陣がケビールに呼ばれて彼の近くに座った。世話焼きだと名乗った竜人は魚や見慣れない穀物、果物をたっぷり使った料理を置いて出て行った。食べ盛りのサーシャと、異国料理を食べなれているソラ以外はあまり手が進まない中、ケビールがソラに切り出した。

「ソラちゃんはどうやって『精霊降ろし』させられかけたの? あんなんアリ?」

「特別な果実水とやらを飲ませてもらいました。味はその……美味しいとは言い難いものでしたが」

 絶対に人魚の何かを混ぜてある。ケビールとファンは察知してお互い目を見合わせて、言うなよ、と牽制し合う。

「ヒジャウは二人になると南東大陸語で話してくれました。道中遭遇した人魚の話をしたら、あの人を呼び込むような声は力そのものだから当たり前だ、と言われて。人魚は当たり前にできるそうですが、地上に住む獣人族は特別な訓練を受け、道具を使わないと難しいそうです。『ソラ』さんは鳥人族でありながらその力を手に入れたからもう神様に嫁ぐしかできなかった、と言われました。詳しく聞きたいと言ったところ、果実水を全て飲み干したら似た状況になれるからそれで理解しろ、と言われ飲みました」

「馬鹿なの?」

 ソラが腹を立てて芳を見るが、文句は飲み込むことにしたらしい。引き結ばれた唇が既に芳に苦情を申し立てているが彼は見なかったことにした。

「飲んだ甲斐がありましたよ」

 特に感慨もなさげにソラは言った。

「あれを飲んだ後、私は赤ん坊のような状態になっていました。自分の考えを理解できず、ただヒジャウの言葉だけが明確に聞こえて、縋るように教典を読み上げました。まるで天上サブラバ神が私に直接話しかけてくるような、そんな不思議な感覚でした。ヒジャウの言葉には力が込められていたのではないでしょうか。あれは私の知らない言葉だったはずです。そしてあの多幸感、恐らく煙草かなにかでしょうか。部屋に戻った時そんな香りがしました」

「まって、煙草の匂い? あれが?」

 芳が止め、ソラは頷いた。

「はい、似たものを嗅いだことがありますし、雨に当たるうちにゆっくりですが正気に戻れたので、そうではないかと思ったのですが……」

 ソラはあの暗くて寒い部屋にいた頃のことを思い出し、やはり似たものだろうと結論づけて芳に同意を取ろうとするが、芳の方は納得がいかなそうな顔をしている。

 ヒジャウが現地の煙草を使ってソラを操った可能性がある、とソラは思った。もし誰かが悪用すればとんでもないことになるだろう。改めてこの調査が危険なものであることを知ったソラは、このことをムルシドに報告することにした。

「問題は私が言うことを聞いてしまった点です。彼女は私に『飲めばわかる』と言って果実水を勧めたんです。それ自体に問題はなかったように思います。私が自我を手放すことが肝要だったのではないでしょうか。つまり、獣のようになることが力を一番強く使う条件ではないかと思い至ったのです」

「確かに動物には俺たちにはない力があるっていうよな。魚は川や海の精霊が最初の世界で連れていた使徒だって話もあるくらいだ」

 セメクの言い伝えだ。ケビールの言葉にソラが頷く。同じく、鳥人族の教典には鳥は空の精霊の使徒で、空を飛ぶことが出来るのはそのためだという伝承が残っている。じゃあ飛び魚はどうなるんだ、というつまらない突っ込みを飲み込んで、芳は鳥人族の教典の内容を思い出した。

「そうか、乙女は最後心神喪失状態になる」

「そうです。そして人魚はあまり理性的とは言えず、人と言うよりは獣に近い。ですよね、ケビールさん」

「いや、おかしいだろ」

 話を聞いていたケビールが腕組みをして顔を険しくしている。

「それじゃ、あの司令塔は何だったんだ?」

 海から覗いてくる不気味な目つきを思い出して、調査団は身を縮こまらせた。あれは何も考えられなくなった目でも、他の海の生き物の目とも違っていた。明らかに何かしらの意図をもって船を覗いていた。そして人間を挑発して笑っていたのだ。

「力が弱いからこそ知恵がついた可能性があります。戦乙女を選んで戦わせるのは、男性でしょう? 知恵がなければ力の弱いものは生き延びられない、それが人魚族の定なのだとすればそれほど驚くべきことではありません」

 メフシィが珍しく力の話に口を出してきた。人魚といい竜人といい、あまりに不気味なものと対峙しすぎた。もういい加減文明のある場所へ戻りたいのだろう。いつも笑顔のメフシィの真剣な面持ちに、一同は黙って聞き入っている。

「それにあなたたち三人からは、薬の臭いがします。北大陸では病気や怪我の治療として用いるような強いものです。確かにこの辺りの島が原産の植物です。今日はしっかり食べて、出来るだけ動いて、薬を抜いてください。似たようなものが入っていたら私が止めます。皆さんも、くれぐれも煙草や薬の味のするものは食べないように」

 途端に調査員たちが食べていた手を止める。サーシャだけが食べ盛りの胃袋を満たすために元気に食べている。

「良く食べられるなぁ……」

 調査員の一人がサーシャに笑うと、サーシャは彼を見て悲しそうな顔をした。

「ヒジャウ、皆が食べないから悲しい顔してるよ。自分も同じものいっぱい用意してこうやって座ってる」

 そう言いながらサーシャは膝を立てて膝の上に手を置いて背を丸めた。その物まねの物悲しさは哀愁を誘うものがある。

 彼らは渋々食べ物を手に取り、食べなれない料理を食べ、口々にうまいうまいと言い始めた。本当に口に合うのかどうかは別として、それが目の前に並ぶ御馳走に対する精いっぱいの礼の返し方だったからだ。


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