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宵闇に灯火の唄を  作者: 野木 千里
第二章
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89話

 ソラが連れていかれてしばらくの後、ケビールが呼ばれた。通訳のファンも問答無用だ。二人は建物から少し離れた林の中でまた待機させられ、少しして別の建物へ誘導された。

 二人はヒジャウに指さされた方を見て絶句する。

「えっ、ソラが三人……?」

 ソラが三人、床に眠らされている。着ているものも全く一緒だ。

『今から日が暮れるまでの間に本物のソラを当てられたら、条件を飲んでやろう。なに、愛しているのであれば簡単に見分けがつくだろうよ。娘をその気にさせてそそのかしているのでないということを証明しろ。できなければ娘は我がもらう』

「はぁふざけんなよ! ヤバいのに見初められるのはもう間に合ってんだよ!」

「そうだそうだ! ケビールだけで手いっぱいなのにふざけるなよ!」

 二人は睨みあったが喧嘩をしている場合ではない。芳は舌打ちしてソラの身に着けている髪飾りを観察した。一体どうやったのか、三人とも同じものをつけている。変なところはなさそうだ。

 ケビールのほうもまじまじと手を取ってみるが、全員全く同じだ。

「本当に変なことしてないんだろうな」

『当たり前だ! 何が悲しくて神々に捧げる大事な嫁御を乱暴に扱うものか。ソラは眠っているだけだ』

 むせ返るような香も二人を苛立たせている原因だ。とにかく臭くてたまらない。何故ソラはこんな臭いところで健やかに眠っていられるのか二人は理解に苦しんだ。

 ケビールはヒジャウを睨みつけた。

「せっかく『精霊降ろし』から立ち直ったのに、今度こそ殺すつもりかよ」

『やはりなぁ。日差しの瞳の女が一番良い。神々の好物だ』

「好物?」

 ヒジャウはそれ以上答えない。ただ面白そうに二人を見守るだけだ。

 ふと、ケビールはソラの腹の上に手を置いた。いつもソラが身に着けているものがある。一つは王太子に買ってもらった立派な髪飾りだ。そしてもう一つは肌着を変える時必ず縫い付けなおす銅貨だ。すっかり腐食して緑青が浮かんでいるが、ソラは決してそれを手放さなかった。

 懐に手を入れると、やはり髪飾りは同じように模したものが入っている。だが、腹の方へ手をやると、一番左に眠っているソラのところには縫い付けられていなかった。

 ケビールは黙り込んで真ん中のソラの服にも手を突っ込んだ。

「げ。やめてあげなよ。可哀相だろ」

「うるさいなぁ。いいから」

 念のため右に寝ているものにも手を伸ばして確かめると、ケビールは真ん中のソラを指した。

『真ん中だな。そうだ、通訳の男。お前もこの娘に恋慕しているのだろう? 異論はないか?』

「分かっちゃうんだ……。うーん、ちょっと失礼」

 芳はそう言うとソラの履いているものの裾を捲り、草履を履かされた足を眺めた。

「……僕も真ん中かな」

『つまらんなぁ。二人共同じか』

 ヒジャウは文句を言ったが、部屋に置いていた香炉に蓋をした。しばらく煙は建物の中に充満していたが、薄まるにつれ強烈な臭いもなくなっていく。

 そして、眠っているソラの両脇には、人魚の死体が供えられていた。

 一目では死んでいるのか分からないが、ぐったりと動かず息をしている様子がなく、鱗が白く濁り始めていた。

「うわ」

 芳は反応したがケビールは不快感のあまり反応することさえできない。ソラを抱き上げようとしたまま膝をついて黙りこくっている。

『面白いだろう? 人魚の肉はいぶすと幻覚を見せる。それに細工をするとこんなこともできる。さて、次だな。ソラ。起きんか』

 ヒジャウに腕を引かれてソラは起き上がらされる。ヒジャウの背はソラよりも低いため満足に立たせることができないが、目を覚まさせるのには十分だったらしい。眠っていたソラはゆっくりと目を開けて、まだ夢見心地のためか、それともヒジャウに何かされたのかぼうっとしている。

『歌え』

「歌!? やめろ!」

 芳の同時通訳を聞いたケビールがヒジャウに飛び掛かってやめさせようとするが、ソラを持ち上げていない方の手に張り飛ばされた。芳は黙りこくってソラを見ている。

「待って。ソラ、なんかおかしい」

 ケビールがソラを見れば、部屋に落ちていた木の葉がひらひらと動いていることに気が付いた。瞳が不自然にぎらついている。彼はこの状態のソラを見たことがあった。あの日、精霊降ろしをしかけたソラはこんな風になっていた。

『ふむ。よく効いているな。これは特別な薬を飲ませたのだ。この娘にも賭けを持ち掛けた。試練を乗り越えれば『ソラ』のことを教えてやる、とな』

「……だって。どうかしてるよ、君の婚約者」

「俺も同じ意見だ。後で本人に言ってやるよ」

 ソラは歌いだした。

「神の御世に栄えあれ

 神の御世に栄えあれ

 翼授かり我ら同胞

 精霊の寵愛へ乙女を捧げよ――」

 芳が舌打ちをする。船にいる間に一つでも情報が欲しくて読んだ本の中に、各種族の伝承をまとめたものや教典があった。その中に、鳥人族の教典もあった。鳥人族の経典は全て歌い上げることができるよう、音階も記載されていた。

 鳥人族の教典は空の精霊を賛美する部分と、精霊と乙女が対話する部分に分かれている。乙女が歌ったとされる部分が今日において呼歌として利用されている。ミガルティでは地位さえあれば簡単に手に入るものではある。ただ、これは全て男性が口伝するもので、女性であり戦乙女も務めたソラが歌えばどうなるのかは火を見るよりも明らかだ。

「やめろ! ソラちゃん、やめてくれ!!」

 ケビールが部屋に置かれた水瓶をひっくり返すが不運なことに空だ。それをヒジャウが面白そうに笑って見ている。

『傑作だ、そう来ると思ったぞ! 魚人族の男!』

「この野郎、馬鹿にしやがって! ソラちゃん、ソラ。しっかりしろ! 呑気に歌ってる場合か!」

 ソラの経典の歌い上げは止まらない。外は大雨が降りだして、飛び出せば息をすることさえままならないだろう。ケビールはソラを抱えて外に飛び出した。慌てた芳も後に続くが、あまりの雨に軒下で立ち止まる。それでも滝のような水が軒下に飛び散り、芳を濡らす。

 雨に打たれた体中、人間であれば痛むことだろう。だが生まれてすぐ川の中に入れられる魚人族にとっては却って都合が良かった。そのほうが地上にいるよりずっとうまく力が使えるからだ。

 ケビールは背負っていたこんを使って雨水を自分の周りに集めてはソラに打ち消させる。ソラの方は歌い続けているが、体はケビールに支えられて立っているのがやっとのようだ。ケビールが必死に上げ続ける啼声なきごえが悲鳴のようだ。

『お前は人間か?』

 ヒジャウに問われて芳が答える。

『人間みたいなもの』

『ふむ、そうか。獣人族ではないのだな。ではアレは恐ろしかろう』

『別に』

 芳はヒジャウとはあまり会話をしたがらず、一歩それから遠ざかった。それを見てそれは益々笑みを深める。その時、ケビールの怒声が響いた。

「ファン! 部屋に髪飾りが落ちてないか? 上等の翠玉エメラルドのついたやつだ!」

 その言葉に弾かれたように芳は部屋を見渡した。ソラが寝かされていた辺りに転がっている。慌てて掴んで豪雨の中飛び出していく。あまりの強い雨に前は見えなかったが、歌声の方へ向かうだけだ。

 水の中から伸びてきた手が髪飾りを受け取る。そんな高価なもの、ケビールが彼女に買い与えられるはずがない。では一体誰が彼女に買い与えたというのか。そう問う前に風が落ち着き始める。

「ソラちゃん。ほら、これ落としてたぞ」

「あ……殿下、ラヒム……」

「そうそう。ソラちゃんは神様のお嫁さんなんかじゃないだろ。その、王子様の……」

 言いかけてケビールが止める。歯切れの悪さで芳は気づいた。ラヒムというのが、最初彼女の夫になるはずだった男の名だ。そして殿下というのは、カプラ王国の王太子を指して言ったのだろう、と。

「あなたの妻になってもいいと言ってください」

 息も絶え絶えに、ソラは言った。

「子どもが出来なくてもいいと、言ってくれたのはあなただけです」

 それだけ言ってソラは顔を両手で覆って泣き出した。嗚咽の間にごめんなさい、と繰り返し聞こえる。

 雨が小雨に変わり、傾きだした日差しが柔らかく差してくるが、二人はその場を動かなかった。ヒジャウは趣味の悪いことに見ているだけだし、芳は黙って聞いていることしかできない。

 そのことで悩んでいる女に、自分はあの仕打ちをしたのか。

 もう散々打ちのめされたことだが、更に自分に失望し、芳は言葉を発することができなかったのだ。何度も謝罪を繰り返すソラに、ケビールはただ相槌を打って聞いてやっているだけだ。

『何と言っているんだ?』

 ヒジャウが芳に尋ねてくる。つくづく無神経な生き物だ。

『馬鹿夫婦の惚気話聞きたいの? お前暇なんだね』

 思いきり馬鹿にされてヒジャウは顔を顰めたが、一体何の余裕なのかすぐに踵を返した。

『お前たちは賭けに勝った。調査とやらも協会とやらも話を聞いてやると伝えておけ。今宵はもう全員休め。すぐに案内を寄越す』

 その背中に向けて芳は思いきり、趣味が悪いぞ、と言ってやった。ヒジャウは気に留める様子もない。芳がそれ以上に文句を投げかけることはなかった。

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