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宵闇に灯火の唄を  作者: 野木 千里
第二章
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88話

 蒸し返すような暑さに体が重くなり始めた頃、ようやく竜人族りゅうじんぞくの島が近づいてきた。定期船以外は人が出入りしないと言われている竜人族の島の一帯は霧に覆われており、岩のような小島からそれなりの規模の島まであるが、住民がいる気配はない。切り立った岩壁が波を打ち返してしぶきをあげている。

 道のようなものなのだろうか、海の中から岩が伸びており、さながら岩で作った虹のように半円を描いている。海を覗けば海中にもう半分の円が沈み込んでおり、船は環の中をくぐらされているようだ。

 定期船の船員を新たに雇い入れることができれば良かったが、残念ながら叶わず航海士は不安げだ。事前に手に入れた地図によるとどうやら航路は合っているらしい。彼は恐々と船を進めている。

「……アレキサンドラ。遠くは見えるか?」

 不安になってきたのかメフシィがサーシャに声をかけ、サーシャは前方を目を見開いて観察している。

 だんだんと霧が濃くなってきたため船員たちには前方の景色はあまり見えない。かろうじで次の石が見える程度だ。

「真っすぐ言ったら港があるよ。このまま進んで」

「分かったよ。小舟は出さなくて大丈夫なのか?」

「うん。結構大きいよ」

 サーシャの言葉を信じて船が進められる。

 やがて島の入り口に差し掛かった頃、霧は随分と薄くなりまたべったりとした生暖かい風が吹いてきた。どうやら霧は島の外で発生していたようだ。誰もいない港に違和感を覚えながら、やはりサーシャが先陣を切って船から降りる。

 ソラも船員の手を借りて船から降り周囲を見渡すが誰もいない。それどころか近くに街があるような気配もない。

「この島で合っているね?」

「……」

「アレキサンドラ?」

 メフシィが声をかけるがサーシャは黙りこくったままだ。

「ソラ……」

 サーシャがソラの手を求めるので答えれば、強張った指先は緊張で冷え切っている。恐らく彼女には何かが見えているか、あるいは聞こえているのだろう。調査団に緊張が走る。

 その時、頭上から突風が吹いた。顔を上げれば誰かが飛んでいる。鳥人族かと思われたが翼がない。その人物は風を止めたかと思うと、轟音と共に砂浜に降り立った。砂煙に一同がせる中、サーシャが流石の瞬発力でソラを抱えて大きく後ろに下がった。

『人間の船か。久しぶりだな、来るがいい』

 聞き取れない言葉をファンが通訳する。

 降り立った人物は手足や胴が鈍色にびいろの鱗に覆われており、薄い布を腰に巻き付け、色とりどりの飾りを身に着けている。手足には動く度にじゃらじゃらと音が鳴るほどに木製や金属製の装飾品を身に着けているのに裸足だ。やはり背中に翼の類はない。

『あなたは竜人族か?』

『そうだ。ここは島の裏側でな。お前たちの話は聞かせてもらった。そこな娘が戸惑っていたのはそのせいよ』

 男とも女ともつかぬ不思議な声質をしている。見た目でも声でも男女の判別がつかない。芳は通訳をしつつ、出迎えた人物に質問をした。呆気に取られた調査団の面々はただただその不思議な人物を見ることしかできない。それは一同についてくるようにと命令した後歩き出した。振り返りもしないのでついていくほかない。

 岩の切り立ったような島を通過してきたが、島自体は砂と土が目立つ。暖かく気候もよく、島に生える木々にはカプラ王宮でソラが口にしたこともある果物が実っている。

「ソラ、果物は好きかって聞かれてる」

 昔に思いを馳せている場合ではない。ソラが頷いて答えれば、竜人は目を細めて笑った。

『そうかそうか。では後で良い物をやろう』

 そう言いながら、竜人族は一同をとある建物に案内する。セメクの建物によく似ている。細い木を編んだ籠のような建物は少し床が上がっており、備え付けの木の階段を登れば建物の中に入れる。屋根は草をうまく束ねて雨が入らないようになっていた。

『人間が来るのも久しぶりだが、獣人族もついぞ見なかったな。ふむ、面白い。それで、一体こんな辺鄙な島に何用か?』

『我々は東方のミガルティ帝国の使者だ。獣人族が使う神秘の力について調査している。御力の運用や伝承を聞くことが出来れば幸甚だ。代表者に会えるだろうか?』

 芳の言葉はうまく伝わっているらしい。竜人との対話が上手くいっているようだ。

『ああ、問題ない。用はそれだけか?』

『それからこれは依頼だが、この娘は獣人族が人間に無為に扱われることに心を痛めて『獣人族協会』なるものを立ち上げた。もし協力してもらえるのであれば、狼人族、熊猫人族とも協定を結ぶこととなる』

 竜人は笑顔を絶やさず話を聞き、視線をソラに向けた。そこに王者のような風格がある。自然と身が引き締まる思いがしてソラは竜人に検分されることを容認した。人からじろじろと見られるのは気分の良いものではないが、恐らく竜人は必要があるからソラを見ているのだろう。

『娘が代表なのか。お前たちがまつり上げているのではなく? 我はこのような鳥人の娘を伝説に伝え聞いたことがある。あれは何と言ったか……。そう、あの娘の名はソラと言ったな』

 自分の名を呼ばれてソラは思わず返事をした。

 芳に睨まれたことで返事をしてはいけなかったことに気づいたが、早まってしまったようだ。竜人が意地の悪い笑顔をソラに向けている。

 芳が遅れて通訳してくれたことですでに聞き返したいことがあるが、恐らく竜人に聞く気はないだろう。矢継ぎ早に質問される。

『ソラと言うのか! あの不幸な女の名を残した鳥人族は阿呆だ。あれは空の神の嫁の名よ。お前、力が強いのではないか。村人に請われて雨を降らせたことは?』

「ございます」

『雨を止ませたことも? まさか、戦に出たことはあるまいな?』

「……ございます」

 竜人は声を上げて笑った。ソラはちっとも面白くないが、これで交渉が決裂するのも嫌だった。せめて伝承の調査だけでもさせてもらわないと困る。

『それで、お前。空の精霊にそそのかされたな。初めの夫はどうした? なぜお前が一人でここにいる? アレがお前を救う算段であったろう?』

 通訳しかけて、芳が信じられないものを見る目でソラを見ている。

「ソラ、ケビールとの婚約の前に結婚してたの?」

邯志ハーン・チィの方には伝わってないかもしれませんが、式の前に逃げ出したんです。その後夫になるはずだった男性は戦で命を落としました」

 なぜこんなことまで言わないといけないのか、ソラには理解できなかった。まだラヒムを悼むことさえしていない。ソラにはそれをする勇気がなかった。自分のしてしまったことに対する激しい後悔と悲しみでどうにかなりそうだったから。

「申し訳ないことをしたと、思っています」

 目いっぱいに涙が浮かんでくるが、泣くことはムルシドが許さないだろう。ソラは泣き顔を見られないように顔を伏せた。歯を食いしばって涙を飲み込む。

『お前の相手は? 今はいるのか?』

「俺だよ」

『ふむ。まぁ悪くない。……良いだろう。話を聞かせてやる。我はヒジャウ、この島の長だ』

 ヒジャウと名乗った竜人は、ソラを呼びつけた。言葉も通じないのに一人は、と食い下がったケビールに竜人は冷たい目でこう告げた。

『お前が運試しに成功したら獣人族協会とやらの話も聞いてやろう。この娘を悪いようにはせん』

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