87話
それから三日の後、再び人魚の襲撃があった。最初に気づいたのはやはりサーシャで、まずメフシィに報告し、それから元いた芳とソラが作業に使っている部屋に逃げ込んだ。ケビールはすれ違った船と情報交換をした直後で甲板にいたため、すぐさま護衛仲間に猿轡をはめてもらい、半月刀を彼らに預けた。ソラは芳との資料作りの真っ最中で、サーシャが部屋に駆け込んできてすぐに猿轡を彼女に渡し拘束を依頼した。
人魚たちは目当ての獣人族がいなかったからか、それとも頭上から大量に唐辛子を投げ込まれたためかすぐにいなくなった。人魚の言葉を聞き取っていたケビールが落ち着いた後三人のいる船室を覗く。
「なんか人魚が俺たちのこと探してたんだけど」
「ケビールさん、人魚が話していた内容をできるだけ詳しく教えてください。サーシャ、手の拘束を外して。芳、書き取りお願いします。私は資料を探します」
サーシャはソラの手の拘束を外すと、頭を抱えてその場に座り込んだ。長い間不快な音を聞かされて頭が痛くなったのだろう。ソラが差し出した果実水を飲んで自分の耳を触っている。
「えっと、まぁ……多分十人くらいで俺たちを探してて、どうにも他にも探している奴らと競争してる。それで船を一隻既に沈めてるみたいだった。何人も集まって力を使うと、海流を操れるみたいな口ぶりだった。で、」
「ちょっと待て。そこ一番大事だ。力のところなんて言ってたかもうちょっと詳しく覚えてない?」
ソラはその言葉を聞きながら船に乗せている資料の棚を漁った。確か似たようなことが書いた資料を、邯志で手に入れていたはずだ。それにミガルティの資料でも、海流については言及されていた。
言語研究、文化研究、伝承。ソラは一番端にある古ぼけた航海日誌を棚から抜き取った。ミガルティの船乗りが書き記したもので、既に引退して久しい。
塩と埃で汚れた日誌を一枚一枚丁寧に捲っていく。資料が多すぎて全てを読み込むことはできなかったが、以前に何度か目を通した。特に人魚族の資料は少ないため繰り返し読み、爪先に塗った香油の匂いが染みついている。
「確か……『ここなら潮があっちに流しやすい』『人間食べる?』『もっといないとできない』『食べたい』って言ってた。一人賢いのがいて、コイツの言葉はしっかりしてたな。多分隊長みたいなやつだ」
ソラは該当する部分に目をやった。
〈人魚族は必ず一人、様子を伺ってくる者がいる。一体何のためのか、それだけでいつもいなくなる。アフマドが言っていたのだが、どうにもそいつは他の人魚と顔立ちが違うらしい。何が違うのか聞いたら、悪そうだと言っていた。アフマドが阿呆なのを忘れていた。だが確かにあの眼付は悪意に満ちていた。
……声を聞くうちにあの様子を伺ってくる奴の声質だけが違うのか、よく聞こえるようになった。何を言っているのかはさっぱり分からないが、奴が喋っていると分かるようになった。俺は性格も良いほうではないし奴と仲良くなれるかもしれん。〉
「で、三人を探してるってのは? それも詳しく会話再現してみて」
芳がケビールに追加情報を求める。
「『子供と、羽の女が欲しい』『旨い?』『もっといっぱい船をひっくり返せるようになる』『皆?』『それで、魚の男はあの一番イカレてるのに食わせるんだ』『アイツ嫌!』『いいから探せ。この船はもういい』」
「思ってるより司令塔が喋ってるな。ケビールは聞き取れるのか?」
「当り前だけど一人ずつ声違うからな。ソラちゃんが怖いときあるだろ? あんな感じの声ですげーよく聞こえる」
「宮廷語な。なんで君はそこの区別がつかないんだよ」
文句を言いながらも芳はどんどん白紙を埋めていく。彼の書き方は独特で、上半分に聞いた内容、下半分にびっしり考察を書く。案の定考察が多く、下半分だけいつも密度が高い。
ソラはやはり似たような記述を求めて本を捲った。
〈奴隷の狼人族が船から落ちた。腰に巻いた縄が緩んでいたみたいだ。金貨三枚が水の泡だ。それに、働き終えたら故郷に帰ると言っていた。ミガルティに戻っていたら給金で自由民になれただろうに。
人魚たちは落ちた狼人族を食べるとどこかへ行ってしまった。いつも顔を覗かせていたアイツだけは、笑いながらいつまでも俺を見ていたが、生憎言っていることが分からなかった。
聞くところによると、邯志では反抗的な獣人族奴隷を船に乗せるらしい。運よく人魚に遭遇すると、驚くほど改心するという。数日は確実に大人しくなるというのだから、あの気の良い狼人族であればいっそ内気になっていたかもしれない。〉
「……とにかく私たちは人魚が来たら船から出ないほうが良いかもしれません。あと少しで竜人族の島にたどり着けるとは思うのですが」
芳は声を上げたソラをちらりと見て、手元の航海日誌を見て頷いた。彼も航海日誌に目を通したことがあったようだ。
「航海日誌か。後で読むから気になるところ紙でも挟んでおいて。ソラもそれに目を通したら僕が書いたの読んで」
「芳。顔が真っ青ですよ。少し休んで」
ソラが声をかけるが、芳は振り向きもしない。
一心不乱に書きなぐる様子は鬼気迫るものがあった。
「……僕はさ。こんなことしてる時間なんて本当はないわけ。経歴に箔をつけたかったのに君に目が眩んで自分で泥をつけた。僕の目を眩ませたのはさ、やたらに大きな月みたいな目でも、皆が優雅だって褒める仕草でもない。その完璧な宮廷語だ。どうしても商売道具としてそれが欲しい。社交界に通用するそれがどうしても羨ましい。この調査が終わったら君は獣人族協会の会長としてなんか色々するんだろ? 君に大手柄握らせて帰らせてやるから、僕が売る商品を身に着けて社交界に出てよ」
その大手柄が人魚族の調査内容だと彼は言うのだろう。
身を粉にして働く姿は、あの晩ソラに夫婦の契りを強要した姿とはあまりにもかけ離れている。
「商品って何売るんだ?」
船室から出る気をなくしたケビールが芳の背中に問う。
「真珠の養殖をしようと思ってる。それを元に宝石商になりたいんだ。メフシィ商会の新規事業立ち上げもそろそろだろうから、二十代のうちに革製品の部門長もやっておきたい。とにかく金持ちの嗜好品がいいんだ」
やたらはっきりした将来設計だが、芳は新年を迎えて二十歳になった。いつか自分の商会が欲しいのであれば今から始めておかないといけないだろう。そのための箔だったろうに、とは流石に誰も言えなかった。惜しいことをしたのは本人が一番良く分かっているだろう。
「真珠なら俺の実家近くの湖で良く取れるな。良い小遣い稼ぎになるくらいには」
「……君、未婚の姉か妹いない?」
「いるけどお前には紹介しない」
「稼いだ金で思い出の湖買い取ってやるから覚えとけよ」
芳はすこし顔色が良くなったようだ。その姿をみた三人は、顔を見合わせて彼の作業の邪魔をしないようにそれぞれ仕事に戻った。




