86話
「あー……皆様……ご迷惑をおかけしました……」
「ほんっとすみません……おえ、まだ気持ち悪い……」
「ごめんなさぁい……ごめんなさぁい……」
翌朝、三人は顔を真っ青にしたまま皆に挨拶をした。体調のことを考えればもう少し眠っているべきだったが、人魚族の力について情報共有するべきだと無理に起き上がってきたのだ。
「ソラ、サーシャ。無理しなくていいよ。可哀相に真っ青じゃないか」
わざとらしく芳が二人に声をかけるが、二人共弱弱しく微笑むだけでろくに返事をしないばかりではなく、ケビールでさえ突っかかってこない。
三人は気分が良くなるようにと薬をもらい、それぞれ重い口を開いて話を始めた。
サーシャは随分前から人魚族の声が聞こえていたのだが、聞きなれない音のため船の軋みか商品の位置が悪いのだと思っていたらしい。気づいたのは相当に時間が経ってからだった。ソラが船から海を覗いていると思ったら不快な声が聞こえて気分が悪くなったという。海の方に誘われているような、不思議な力に満ちた声だった。
ケビールは最初、人魚の言葉に気がついていなかった。サーシャが海の中に何かがいると声を上げたので耳を澄ませれば、魚たちのざわめきだと思っていた声が全く毛色の違うものだったのだ。イルカや鯨の類だと思っていたが、人魚たちはそれらとは全く違う言語であり、また知能もあまり高くないようだ。人間に対して悪意が露わで、船を転覆させて乗組員を食料にしようとしていた。また、人魚たちがソラへ呼びかけただろう声には力が使われていて気分が悪くなった。自分の力で打ち消そうとしたが、人魚の声を聞いているうちに判断力が欠如していき、気がついたら御力を使うために水を求めて海へ飛び込もうとしていた。
ソラは指摘されるまで人魚族の声には気が付かなかった。自分に話しかけられた際、言葉は聞き取れたが、明らかに力を使われていて気分が悪くなり、止めようと思った。だが、あれが人魚族の御力の本質かと聞かれれば自信をもって肯定できない。『呼歌』や『啼声』のように体系づくられたものがないのか、それともその前段階のものだったのか。少なくともあの声には悪意があったし、人魚たちはこちらを観察しているようだった。あれはケビールが以前使った、力を直接何かにぶつけるようなものだったのではないか。そして、こちらの戦力を確認した上で何かしら仕掛けるつもりだったのではないか。
ようやくそれだけ言った三人は、多少気分が良くなって用意されていた砂糖水で口を潤した。話を聞いていた芳が考え込む。
「ソラ、僕は人魚の言葉が全く理解できなかったよ。どういう意味か分かる?」
芳の言葉を理解するに及ばず、ソラはぼんやりと彼を見た。
「なんで三人ともなに言われたか分かった訳? ミガルティ語じゃなかったのに」
「アャースク語だったよ」
「ミガルティ語だったって」
「……私にはカプラ語に聞こえました」
言葉の意味を理解して、ソラが答える。うすら寒いものを感じるが、確認しに戻るのだけは嫌だった。それは船員たちも同じようで、皆一様に黙っている。
芳はしばらく険しい顔をして黙り込んでいたが、やがて紙に向かって何か書きなぐり始めた。鬼気迫る様子で、周囲が困惑するのも気に留めるそぶりを見せない。
「ごめん、誰か手の空いた人、できるだけ紙持ってきて。三人は寝てていいよ。でもまた人魚が来たらケビールかサーシャ、どっちか教えに来て。ソラは声が聞こえたら船の真ん中で誰かについてもらうことにしよう。念のためソラとケビールの分だれか猿轡作っといて。二人が力を使っちゃったら、大変なことになるから」
メフシィは幾人かの船員に指示を出し、自分も人魚に対抗する手段を取るべく船室から出て行った。
三人は自分の部屋に戻ろうと思ったが、もうそれ以上動くことさえ叶わずにその場で折り重なるように横になった。




