83話
父親との約束を取り付けた麻美は、息を切らせて宿に戻ってきた。組合長は忙しいとのことだったが、街の一大事とあっては黙っていない。すぐに調査団を会議用の建物へ案内してくれた。
「……この度は『獣人族協会』との会談の時間を設けていただきまして、誠にありがとうございます」
恐らく麻美は芳に言われたそのままを父親に伝えてしまったのだろう。組合長は深々と頭を下げるソラを見て驚いたように目を見開いた。
彼はソラの背から生える翼を見て、メフシィを見てから立派なあごひげを撫でつける。
「獣人族協会とは、聞いたことがありませんが。私は黄洋。代表者殿の名前をお聞きしても?」
「つい先日承認されたばかりの協会です。このような大きな街のご協力が仰げれば幸甚と存じます。私の名はソラと申します」
「家名は?」
雨乞乙女をしている間に聞くべきだった。ソラはケビールの顔を見る。もしかすると知っているかもしれないと思ったからだ。彼はソラよりもソラの父親のことを良く知っている。だが、今聞けば組合長に不審に思われることだろう。ケビールの家名であるザイヤートの名を借りても良かったが、跡取り息子を無断で借りてきた手前、申し訳なさで名乗れない。
父の名を借りて、ソラ・カルハマンと名乗ってはどうか。ふと、そんな考えがソラの頭に浮かんだ。一個人の名を家名として冠することは珍しくない。英雄として名を馳せたらしい父の名を借りても良いだろう。
「カルハマンと申します、組合長様」
組合長はしばし黙り込み、ふむ、と言った。
「なるほど、カルハマンさんですね。よろしく。では早速内容に入りましょうか。どうぞ皆さんかけてください。うちの娘が妙なことを口走っていたので、慌てましたよ。もう成人したというのにいつまでも落ち着きがなくて困ったものです……」
「いえいえ、とても聡明で素敵なお嬢さんでしたよ。調査員がこちらの言葉を教わっているようで、大変お世話になったとか」
まずは世間話でメフシィが繋いでくれる。こうしたところの緩衝材になってくれ、しかも相手の心を解してくれる彼の存在は、ただの協力者というにはあまりに大きなものだ。しかし、この先ずっと協力を仰ぐことは難しいだろう。少しでもその技術欲しさにソラはメフシィの話す内容をよく覚えておく。
メフシィの世間話が終わればソラの番だ。場が和んだところでメフシィがソラに合図をし、彼女は書類一式を鞄の中から取り出した。
「失礼します、組合長様。こちらにお伺いする前、私たちは狼人街でこのような約款を結びました。これがその内容です。要約して申し上げますと、互いに協力し、獣人族が攫われたり不当に奴隷にされることを容認しない、というものです」
「ふむ」
全く興味がないのか、彼は冷めた目でソラの話を聞いている。
「加えて、協会に登録した獣人族同士、特産品を優先的に売買しようという規定もありまして。狼人族からはこちらの一覧のものを優先的に販売していただけます。我々はこの先、人魚族、竜人族、そしてミガルティ帝国に協力を仰ぐ予定です。」
ソラの言葉を聞いて黄組合長は顔を輝かせた。
「ふむ! 俄然興味が湧いてきました!! 我々からは絹や翡翠などが出せますが!」
商人らしからぬ正直な様子にソラは好感を持った。メフシィは思わず苦笑いをしている。熊猫人族は街を開いてまだ日が浅いとはいえ、いくらなんでも組合長はあからさますぎた。だが、熊猫人族とも契約できれば、他の地域の獣人族とも契約を結びやすくなるだろう。西大陸で契約が存在するということは、そのくらい大切なことだ。その上彼らは商業圏を築きつつある。狼人族のような用心棒や力仕事を任せられる者たちは必要なはずだ。
「もしかしたら組合長殿はご存じのことかもしれませんが、こちらのアレキサンドラはこの体躯ですが、昨晩危機にさらされた私を助けるために部屋の扉を文字通り飛ばしてくれました。彼女のような人材が今人間たちの間で不当に奴隷にされています。……この街はこれからどんどん大きくなっていくことでしょう。熊猫人族の皆様が必要としてくださるのであれば、不当に奴隷にされている狼人族を、協会を通じて斡旋したいと思っております」
最後の一押しとばかりにそう告げると、組合長は弾かれたように立ち上がった。
「娘から聞いておりますとも! 私の一存では決めかねますが、今晩の寄り合いで話をさせていただきたいと思います! ですが私としては、是非に! 是非に契約できればと思っておりますとも!」
一行は組合長のあまりの勢いに引きつった笑顔を浮かべた。言葉の分からないサーシャとケビールでさえ、組合長に愛想笑いを浮かべるほどだ。サーシャがしきりに小声で芳に通訳を求める声が聞こえ、芳が教えてやっている。
「では約款の写しをお渡ししておきます。どうぞお役立てください」
ソラは組合長に約款の写しを手渡すと、彼はそれを大げさなほど丁重に受け取る。あまりの道化がかった動きに、サーシャがくすくすと笑い声を上げた。
「明日の朝、必ず結果をご報告に伺います。そちらの男性……失礼、お名前はなんと仰いますか?」
そう言って組合長はメフシィに名前を聞いた。
「ジャン・メフシィと申します。協会長の宿泊している向かいの宿におりますので、何卒よろしくお願いいたします。それにしても、約款もお読みにならないうちに黄組合長に応援いただけるとはありがたい話ですが……。本当によろしいのでしょうか?」
流石に不安になったのか、メフシィが再度の確認を入れる。黄組合長が金に目を眩ませたがために協会に賛同し、その結果住民の不興を買ってその座を引きずり降ろされてしまっては元も子もない。
組合長は鼻息荒く笑っていたが、メフシィの言葉を聞いて少し落ち着きを取り戻したようだった。
「……確かに、私は本来の目的の『獣人族の奴隷の解放』にはあまり興味がありません。我々は見目も珍しく繁殖力も弱く、種族としては非常に弱いです。奴隷より見世物小屋を回ったほうが遥かに多くの熊猫人族を見ますよ。だから街を開いて珍しさを打ち消そうとしているのです。いずれ、全ての熊猫人族にその特徴が無くなっても、街を荒らされ故郷が無くなることがなければ良いというのが私の持論ですよ。自分たちを切り売りすることでしか維持できないこの街に、できれば多くの財産を残していきたいのです。これはそのための投資だ」
芳は文句を言おうと思ったのか立ち上がって、すぐに思い直して座り込んだ。自分と同じように、黄組合長も拳を握りしめて怒りに震えているのが彼の目に入ったからだ。
「皇帝に二年前に見初められ連れていかれたのは私の一番上の子で、結婚したばかりだったんです。現皇帝は蒐集物としてあの子を連れて行き、庇った夫とあちらのご両親は大通りで焼かれました。今でも夢に見ます。我々が奪われる立場から少しでも這い上がれるのであれば、私は後ろ指を指されても構いません」
組合長は虚空を眺めながら言った。
淡々とした話し口だが、彼がその出来事を腹の底から悔やんでいることがよく伝わってきた。その姿は、先程までの初々しい商売を覚えたばかりの男とはまるでかけ離れている。一行は彼の言葉を噛みしめるように聞いていた。
きっと、彼にはもう遅すぎる提案だ。だが受け入れたいと言ってくれるのも、彼が後悔しているがゆえのことなのだろう。
翌朝、組合長とソラはそれぞれ約款に署名をした。彼は結ばれた協定を握りしめ、うっすらと浮かんだ涙を飲み込んで小さなため息を吐いた。




