81話
翌朝、いつもより遅く起床したソラは、ケビールとサーシャと共に宿の近くの食事処へ呼ばれた。食事も喉を通らず飲み物で口を濡らすことしかできなかったソラには却ってそのほうが有難かった。食事処に入ってみると今回の全ての旅の同行者が待ち受けており、他の客はいないようだった。どうやら食事処を貸し切っているらしい。
「昨日の騒ぎの件、伺いました。まず彼の雇用者として謝罪させてください。申し訳ありませんでした」
そう言って深く頭を下げるメフシィの隣で、目を赤く腫らした芳も一緒に頭を下げた。ムルシドに直接雇用されている者たちは、不信の目でメフシィ商会からの調査員たちを見ている。芳を見て狼狽えたソラだったが、仲間内が分断することを恐れて声を出すことを堪えた。
「今回私が雇用している者たちについては、ソラさんはケビールさんと婚約しているので手出し無用、と伝えておりました。しかしながら、文芳があなたに好意を抱いているのを知りながらも放任していました。これはそれについての謝罪です」
ソラは頭を上げてくださいと言えなかった。昨日起こったばかりのことについて本人からではなく雇用者から先に謝罪があるのは、メフシィが彼を擁護すると宣言するようなものだったからだ。まだ彼を通訳として雇う心づもりなのだろうから、少なくとも熊猫人族と竜人族の調査の間、ソラは芳と顔を突き合わせなければならないということになる。
「ですが、既にご推察いただいているでしょうが、この先の竜人族の通訳は国内でも限られた数しか十分な知識の者がおりません。あなたには常にアレキサンドラを護衛につけますので、お許しをいただけないでしょうか」
ソラはケビールを見た。もう話は済んでいるらしい。彼はこの無慈悲な提案をソラに一任しようと判断しているようで、静かに肩に手を置いてくる。
服の中に仕舞っている髪飾りと銅貨に触れる。
『……メフシィさんが許しを請われるのですね』
芳が弾かれたように顔を上げた。
『恥ずかしげもなく顔をお見せになられるものだから、私はてっきりあなたのお言葉が聞けるのかと勘違いしていました。主人に迷惑をかけるだけでなく、私に対する謝罪も、仕事が滞ることについての弁済もない』
一番慣れた言葉で彼を詰る。カプラ語を理解するケビールと芳だけが苦々しい表情でソラを見ている。
『ムルシド殿下の面子は潰せません。昨夜は何もなかった。あなたは私に求婚などしなかったんです。よろしいですね、お坊ちゃま』
言っている意味が分かっただけではないだろう。何かを察知して芳は体を震わせて床に膝をついた。それから両手をついて深々と頭を下げる。西大陸の男性が、自分より身分の低い者には決してしない礼だ。西大陸出身の者が息を呑んだ。
やはり言葉はなかったが、それがソラに対する謝罪と絶対服従の宣誓となることを彼女は良く理解していた。彼は額を床から離さない。そしてもう二度とソラに対して無体を働くことはないだろう。
芳がソラへ服従を示したことで、昨夜のようなことはもう起こらないだろうと安心したメフシィが、ソラに声をかける。
「狼人族からの返事はまだですが、邯志からの承認が降りましたので明かしてもよろしいですか?」
これは、ソラが鷹であったことなどの一切を調査員に話すということだ。メフシィはこの先の厄介事の心配をしているのだろうが、予定を早めるだけで解消できるのであればしておきたい、とソラも思っている。
突然知らない言葉でソラが話した途端、謝罪の一つもしなかったファンが膝をついたばかりか額も地面に擦り付けた。西大陸の文化を多少船で学んだ面々は驚愕して話し合いの行方を見守っている。
「私は二年前まで、カプラ王国王太子の鷹を務めておりました。ご存知ない方もいらっしゃると思いますので簡潔に申し上げます。私はユルク王太子殿下の元から離れ、その結果セメクとカプラの間の戦の火種となりました。今回ムルシド殿下にお話をいただいたのは、以前殿下に仕事でお会いしたことがあったからです。そして、皆さん想像がつかれたかと存じますが、狼人族との契約の件は、両殿下には関係のないことでございます。処罰を受ける可能性がありますので、この話を聞かなかったことになさりたい方はすぐに国を発ってください。また、万が一ユルク殿下の捜索があった場合、命の保障はできませんのでご了承ください」
王族のものをそれと知りながら返却しないのは、王族のものを盗んだことと同義となり処刑される。順当に当てはめられれば全員仲良く死罪になるかもしれない。
話が分からなかったサーシャは不思議そうに首を傾げ、ケビールとメフシィを除いた全員はソラに膝をついた。鷹の身分は奴隷だ。だが同時にカプラ王国王太子の持ち物でもある。もう結構とソラが言っても、彼らはユルク王太子の影の前に立ち上がることが出来なかった。
「この後熊猫人族の村長とも話し合い、狼人族と結んだ契約と同じものを締結願います。これから向かう人魚族と竜人族の責任者にも同じ話をします。ミガルティに帰ればムルシド殿下には協賛の立場に回っていただけないか願い出ます。できるだけ多くの協力を得て、獣人族の地位向上を目指します。皆様、どうかミガルティ帝国まではお力添えいただけないでしょうか?」
「もちろんここまでの給金と帰りの渡航費は支払いますよ。どうですか皆さん、これから先の安全を取るか、それともこのままミガルティまで同行するか。私なら、自叙伝でも出版しますが」
ソラの言葉にメフシィが売り文句を添えて皆に答えを求める。サーシャはソラの手を握り傍に張り付いた。
その時、ふらふらと芳が立ち上がってケビールの隣に立った。その場にいた全員が驚いて彼を見る。
「……何だよ」
彼が経歴に箔をつけたがっていることは、どうやら調査員たちは皆知っていたようだ。何よりも経歴を大切にしてきた彼が、金にならない大博打に乗り出そうと言うのだ。気が狂ったと言わざるを得ない。
「……仕事が終わったらさっさと逃げるって。仕方ないだろ、竜人族の通訳はほとんどいないんだから」
調査員たちは一人、また一人とソラの方へ移動する。言い訳は様々だった。面白そう、船乗りには関係ない、人魚族が直接見たい、終わったら仕事ください、等々。誰もメフシィに解任を申し出る者はいなかった。
誰も彼も変わり者で、獣人族の力などというものを研究するために旅に参加している。彼らのほとんどは今の自分にとって良いと思うことを求めているだけなのだろう。
「んじゃ、ありがたく全員の協力をもらおうか。皆ありがとな! ここ荷物が滅茶苦茶に多いから本当助かるよ」
ケビールが明るく言って話を纏めてくれる。最初は不安そうだった調査員たちは、ケビールの言葉を聞いて顔を綻ばせた。




