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宵闇に灯火の唄を  作者: 野木 千里
第二章
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80話

 ケビールはソラとサーシャを部屋に送り届けた後、メフシィの部屋に直行した。ソラは恐怖から震えており、まだ幼いサーシャに任せるのは不安だったが、サーシャは不安げなケビールに「大丈夫」とだけ告げて部屋の扉を閉じた。恐らく怯えるソラの隣に婚約者といえども男を置きたくなかったのだろう。

 腸が煮えくり返りそうだったが今騒いでもなにも解決しないと自分に言い聞かせ、彼はいつもより幾分乱暴にメフシィの部屋の扉を叩いた。

「メフシィさん、夜分にすいません。ソラのことで急ぎで話したいことがあります」

 扉の前でケビールが告げると、部屋の中からメフシィが出てきた。普段ソラやサーシャに見せる気安い表情はそこにはない。彼がソラに気を使っているのは調査団の中でも有名な話だ。一体どこぞの姫だ、と護衛仲間に聞かれたこともある。王子様の元寵姫みたいなもの、と簡単に言いたいところだったが、それはソラの許可なしで発言できないことであるためケビールはとぼけ続けていた。

「彼女になにかありましたか?」

「はい。当事者だけで話せる場所を提供してください」

 ケビールの真剣な表情に異常事態だと察知したメフシィは、迷うことなく彼を自室に招き入れる。メフシィはふとケビールの鰓に目をやると、顔を引き攣らせてさりげなく視線を反らせた。

「それで、ソラさんに何があったんですか? 今後に差し支えるようなことでしょうか」

 ケビールは声を荒らげそうになったが、ぐっと堪えて声を絞り出した。

「……ファンが、ソラに手を出そうとしました」

「なんですって?」

 メフシィの顔から血の気が引いていくのがケビールの目から見て露わになる。彼はこの旅の前に、自分の従業員たちを集めてわざわざ自分とケビールの二名がソラの保証人であることを告げ、手出し無用であると告げたと報告を受けている。ケビールだけを保証人にしなかったのは、ムルシドのお気に入りであるソラに絶対に手出しをさせないためだ。

「詳しくはファンを呼んでから聞くしかないと思いますが、アレキサンドラがファンの求婚する声を聞いたそうです」

 ケビールの言葉に、メフシィは項垂れた。

「本当になんとお詫び申し上げれば良いか……。まさかファンが……」

 彼の困惑も、芳の性格を考えれば当然のことだ。

 芳はいつもケビールがいない間、ソラやサーシャのことを見守ってくれているように思われた。その上頭も大変に良く、実家は皇帝の服も仕立てることがある老舗呉服店だ。そんな彼がいくら恋愛感情を抱いているからといって、ただの自由民でしかも婚約者がいるソラに手を出すことは考えづらかった。

「ともかく本人を呼びましょう」

 そうメフシィがケビールに提案したときだ。

 部屋の扉が叩かれ、向こう側から声が聞こえた。

「メフシィ会長、急ぎの報告があります」

 まさに渦中の人物の声を聞いて、二人は顔を見合わせた。自分が出ようとするケビールを制してメフシィが扉を開ける。

 扉の向こうで立っていた芳は、ケビールの顔を見ると気まずそうに視線を床に落とした。

 芳が部屋に入ってきたことで、一気に雰囲気が悪くなる。このままでは話が難航するだろうことを察知したメフシィが声を上げた。

「今、ケビールさんから報告を受けていたところだ。自分の口で説明しなさい」

 芳は視線を上げ、まっすぐにメフシィを見た。

「申し訳ありません、ソラ嬢に手を出しました」

「ああ、聞いているよ。たとえそれが合意の上だったとしても、私は君の求婚の取次はしない。彼女のことは諦めなさい」

 芳はメフシィを驚いた顔で見たが、メフシィは前言撤回しなかった。

 彼からすればおかしな話だと感じて当然のことだろう。家格を考えれば当然許されると思っていただろうし、南東大陸でも同様のことがまかり通る場合があると知識上知っている可能性もある。

「……はい」

 歯を食いしばって彼は返事をした。自尊心が随分傷ついただろうが、食い下がらないのを見てケビールが首を傾げる。

「なぁ、教えてくれよ。なんであんなことしたわけ? 俺に決闘を申し出たら済んだ話だろ。ソラちゃん傷つけてまでやる必要あったか? 下手したら自害されてたぞ」

 芳が血の気の引いた顔でケビールを見遣る。ケビールは決まりが悪そうに、分かるだろ、と芳に問いかけた。

「……あんだけ一緒にいてやってくれたのに、それには気づかなかったんだ?」

 そう言うケビールの表情がひどく傷ついたようなものだったので、芳は思わず息を呑んだ。

 ケビールの悲しげな表情は、普段の自信に満ちている彼とはあまりにもかけ離れていた。彼がその表情をするだけの何かが二人の間にあるということは、何も知らされていない芳でさえ察知することが出来た。

「多少卑屈なところはあるけど、大切に育てられてると思ったよ。自害を選ぶ子には見えない」

「本気でそう見えてたなら、お前本当にソラちゃんのこと見てねぇよ。俺より最悪だ」

 ケビールは自分の拳を芳の胸に当てた。鋭い視線が芳を射抜く。

「忘れんなよ。お前は誰かが育てたお姫様の初めての男の友達だったんだ。お前の裏切りは一生ソラちゃんに付きまとって傷つけ続けるぞ。お前は自分の好きな女を自分で泣かせたんだ」

 彼は芳をじっと睨んでいたが、すぐに威圧的すぎると判断したのかいつもの表情に戻った。あまりの切り替えの速さに芳は戸惑ったが、ケビールはこれ以上彼に何かを言うつもりはないらしい。

「じゃ、メフシィさん。後は頼みます。でも今日だけは別室で寝たいな」

「もちろんです。今回の件、私の従業員が大変失礼いたしました。明日、御本人にも謝罪させてください」

「分かりました。ファンの件はメフシィさんに一任します。ただ、ソラが許せないと言えば、竜人族の通訳はまた探してください。時間は多少かかるでしょうが、ご承諾いただけますよね?」

 メフシィはケビールの言葉に頷き、手を差し出した。それをケビールが握り、彼らは互いに敵対しないことを証明し合う。度々そうしなければ互いに不安になるほどに、彼らの信頼関係を築くのは大変に難しいことだった。人間と獣人族が対等な立場で長旅をするというのはそういうことだった。

 まして信頼関係ができあがりつつあった今の時期に、芳がしたことは軽率の一言では片付けられない。

「でも、お前の気持ちもちょっと分かるからさ、今回だけは許すよ。まぁ、せいぜい本人に許してもらえるように頑張れよ」

 ケビールはメフシィと信頼関係の再確認が出来たことで安心したのか、すっきりとした様子で部屋を出ていった。ばたん、と多少乱暴に閉じられる扉の音を聞いて、メフシィは深々とため息を吐き小卓の引き出しから立派な葉巻を取り出し、火を点けた。

「……ケビールさんの寛大さに感謝することだな。彼は再来年の国営族長選こくえいぞくちょうせんの推薦が決まっていたそうだよ。南東大陸について勉強したのだから、この言葉の意味は分かるだろう?」

 次々と浮かぶ煙が充満した部屋の中で、芳は床を見て黙り込んでいた。

 セメク国は数十に及ぶ集落があり、集落ごとに族長がいる。それらを十二の地域で分け、その中から国営族長を選ぶ。国営族長は年に数度集まって国の方針を決める。それを各族長に指示し、族長は村人を纏めることになっている。ただの青年がその中に選ばれるというのは並大抵のことではない。きっと多くの人が彼を国の代表としてよしとし、多方面からの口添えを受けたであろうことは簡単に推察がついた。そして、ケビール自身もそのために多くのことを学んだのだろう。

 ケビールは国営族長に内定する予定で、その稀有な機会をソラのために手放したのだ。芳に自分の立場を明かせば、きっと芳はソラに手を出すことはしなかっただろう。だが、彼がそうしたのはただ寛大ゆえにではないだろう。なにか見落としているような気がしたが、芳はメフシィの言葉に頷いた。

 彼はついぞ、自分の立場を明かして芳にこれ以上の無体を働かないようにとは言わなかった。ケビールは最初から最後まで、ソラの気持ちの話をしていた。ソラもあれほど喧嘩をして気まずい相手となったはずのケビールに助けを求めるべく声を上げていた。彼らがお互いに何よりも思い合っていることは明らかだ。

「半年の減俸。それ以上私からは要求しない。あとは全て今回の被害者に判断を委ねる」

 芳は恭しく礼をしてメフシィの部屋から出た。鼻に残った煙草の臭いが芳は苦手だ。今や臥せってほとんど話にならない母親が、父親がいないとき寂しさを紛らわすためにいつも吸っているからだ。

 宿から出て、芳は光を纏った灯を見た。淡く赤く光る丸い灯が連なる光景は、すっかり変わってしまった実母の故郷の姿だ。芳は実母の顔を思い浮かべ、それからソラの顔を思い出した。あの二人はどことは言い難いが似た雰囲気を纏っている。攫われるように故郷を出た母と、苦労知らずのはずの金糸雀の娘と思われるソラでは育った環境も何もかも違うだろうに。

 芳は自分の頬に伝う涙に気がついた。

 こんなことになってから、打算だけではなく本当にただ一人の女の子としての彼女に惹かれている自分に気がついたからだ。きっと彼女は芳を許さないだろう。そして、芳も自分のことを許さないだろう。

 無遠慮なほど明るい満月が見下ろす中、彼は安宿の中に逃げるように入っていった。

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