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宵闇に灯火の唄を  作者: 野木 千里
第二章
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79話

 彼の言葉でソラは全てを察知した。元々こうするつもりで彼は近づいてきたのだ。そんなあからさまな嘘に気が付かないほど無知だったのだ。

 いよいよ逃げ場がなくなったソラは鉤爪の保護器を外そうとした。だが邪魔をされて上手く外せない。暴れるせいで翼が広がり、辺りに羽が飛び散った。

『嫌、絶対に嫌! やだ、誰か、誰かぁッ!!』

 ここは育った王宮ではない。呼んだところで誰も来てはくれない。そもそもソラにはもうその価値もない。頭の中に主人と元婚約者の顔が浮かんだが、口にすることは自害した後でも自尊心が許さない。裏切ってなお迷惑をかけたくなかった。

 口元を押さえつけられる直前、ソラはやっとケビールの名を口にした。恐怖からその声は掠れ、呟きのように小さいものだった。

 きっとこれでは誰も助けに来てくれないだろう。忌々しいことに宿はしっかりした造りで、ソラの悲鳴など外の喧騒にほとんどかき消されているはずだ。

「ソラ!」

 上着をほとんど脱がされそうになったとき、轟音と共に部屋の扉が蹴破られた。丈夫な鍵がつけられていたはずだが、飛んで行った扉の前には無力である。

 名前を呼んでくれたのはケビールで、扉を吹き飛ばしたのはサーシャだった。二人共息を荒くして部屋に飛び込んできた。もう一人の同行者、麻美マーメイはやっと二人に追いついたかと思えば、扉の惨状を発見して悲鳴を上げた。

 驚いた顔をしていたケビールだったが、今の状況を理解したらしい。みるみるうちに顔を真っ赤にしてファンに殴りかかった。

「ふっざけんなよ! この下衆野郎!!」

 勢いよく寝台から転げ落ちた芳へそれ以上追撃はせず、ケビールはソラに駆け寄る。代わりにサーシャが芳に飛び蹴りをして淡々と彼を押さえつけた。その目は当然、あの日仲間たちが女の子と遊びに行っていると聞いた時よりも冷え切ったものだ。芳は暴れたものの、サーシャに押さえつけられて床に無様に転がって、抵抗らしい抵抗はできない状態になった。

 ケビールはソラの袂を引き寄せると、自分の上着を羽織らせた。西大陸の服は着崩れると南東大陸の人間には手が負えない。もうこのまま部屋に戻って寝間着に着替えたほうがまだましだ。

「よく頑張ったな」

 声が出せず、ソラは頷いた。

 ケビールのかさついた大きな手が、ソラを引き寄せた。途端に湧き上がってくる涙を止めることは難しそうだ。

 ケビールがあの日言ったのはこういう意味だったのだ、と途端にソラは理解した。ソラの懇願も絶叫も彼は聞き入れなかった。無理やり夫婦として契らされることのどれほど恐ろしいことか。つまり金糸雀は、そういう怖い目に遭った女性たちを総称して言うのだろう。彼女は今初めて正しく意味を知った。

「私、あなたの言ったことをちゃんと理解していなかった……。ごめんなさい、ずっと何にも分かってなかった……」

「まぁ、知らないんだろうと思った。それはおいおい勉強してもらうからいいや。それで、お前はなんでこんな馬鹿なことしたんだよ、ファン」

 名前を呼ばれて芳が顔を上げる。

「お前、死んだあと精霊がいない地面の下でずーっと過ごすつもりか?」

 自然教及び獣人族の間で広く分布している教えのことだ。無理に女を手籠めにすれば、精霊たちに死後地下の暗がりの下に追いやられるという。一緒にいてくれるのは無意味な殺しをした罪人だけだ。

「そりゃ君たちの宗教だろ……」

「そんなん何でもいいわ。お前、ソラちゃんが好きだから手出そうとしたんじゃないわけ? 好きな女無理やり手籠めにして泣かせて楽しいかよ」

「手籠めにしたらちゃんと可愛がったさ。お前が邪魔したけどな」

 恐るべき思考回路を目の当たりにしてサーシャが怯えている。泣きそうな目で見られてケビールが芳を代わりに押さえつける。すかさずサーシャはソラの傍に駆け寄り手を握ってきた。

「僕の方が色々意見も合いそうだし、多分性格も合う。そんなに合わないのに何が面白くて結婚するわけ? こんな粗暴な男が相手じゃソラが可哀相だよ」

 乱暴を働こうとした人間の言い分には思えないが、彼の言い分にも一理あった。確かにソラは時々ケビールの粗暴さに驚くことがある。だが、それを補って余りある長所がある。それはソラを受け入れた度胸であり、どこでもうまくやっていってくれる器量の良さだ。輝かしい経歴を捨ててくれる覚悟も、時々は短慮だと思ってしまう彼の性格があるからこそ成り立ったようなものだ。

「……結婚相手って、意見とか性格が合うことが大事な訳? んじゃお前ソラちゃんがお前と違う意見出したらどうするんだよ。今みたいにねじ伏せたり勝手に失望したりするのか? 違うだろ」

 ケビールが芳の手を離した。だが彼は立ち上がらない。

「お互いに話し合って落としどころつけようと思える相手を選ぶことが一番大事なんじゃないの? 生まれも育ちも違う相手を欲しがっておいてそりゃないって」

 この人を好きになって良かった。

 改めてソラは思った。だが言葉にする前に顔じゅうを濡らす涙が邪魔をする。芳はやはり黙り込んだまま身動きを取らないでいる。ケビールはソラを抱きかかえると、芳を一瞥した。

「まぁ、期待させたソラちゃんも悪かった。言い聞かせておくけどメフシィさんにもこのことは報告するから、減俸なり降格なり覚悟しとけよ」

 また、誰かを矢面に立たせている。そんな焦りが生まれ、ソラは震える唇を開いた。

「……あなたが一度でも、私を大切にすると言っていたら揺らいでいたかもしれません。でも言わなかった。あなたが一度でも、私のやめてという言葉に反応してくれたのだとしたら、きっと悩んだでしょう。でもあなたはそうしなかった。私がケビールさんを選んだ決め手はそこだったんです」

 芳は顔を上げて、口元だけ笑顔を浮かべた。それからがっくりと項垂れる。

「なるほどなぁ、なるほど……」

 彼はもうそれ以上は何も言わず、ケビールも聞きたくないと言いたげにその場を後にした。ケビールはソラとサーシャを部屋に送り届け、それからメフシィへことの次第を報告するために部屋を出て行った。

 ソラはその晩、眠ることが出来ずに月明かりに翠玉と月長石の髪飾りを浴びさせながら窓の外の様子を眺めていた。柔らかい光の丸い灯が一つ二つ消え、街から明かりが消える代わりに、眩い日光が連なる屋根の天辺を照らし始めた。

 ソラが後ろを振り返ると、サーシャが寝台に腰かけたままソラをじっと見ていたことを知った。いつから、と問えばずっと、と返事が返ってくる。今朝ばかりは遅寝も許されることだろう。ソラはサーシャを自分の寝床へ招き入れ、二人は僅かな間体を休めることにした。

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