77話
全十部屋の小さい宿のうち、三部屋は調査団の部屋だ。ソラはサーシャと同室で、芳はケビールと同室だ。給湯室でお湯と茶葉を受け取って、芳は自室にソラを入れると、後ろ手に扉を閉めた。
各部屋には机と椅子が備えられており、彼はソラに椅子を譲って自分は寝台に腰かける。
「……他言無用で頼むよ」
「そのつもりですよ」
緊張した様子の芳が、声を落としてソラの方へ身を屈める。
「まず、ごめん。メフシィ会長と作ってる狼人族との約款を立ち聞きしちゃった。それで、まぁまぁしっかり聞こえちゃて……その」
「『獣人族協会』の設立についても聞かれましたか?」
芳が頷く。
ソラと狼人族との間に結ばれるだけでは、先方も苦しかろうと言うことで、ケビールとサーシャの名を加えた『獣人族協会』という一団体と狼人族との間で契約してはどうかとメフシィが提案してくれた。三人は快諾し、今頃メフシィ商会経由で狼人族の元へ約款が届いていることだろう。
調査団には熊猫人族の代表者と話す前に打ち明ける予定だった。それが多少早まっただけのことだ。それに、彼はこのことを機密事項として扱ってくれているようだ。誰かに話している可能性は低いだろう。
「それで相談っていうか、身の上話をさせてもらいたいんだ」
「もちろん、伺いますよ」
ソラの快諾を聞いて、芳が顔を綻ばせる。彼はソラの目をじっと見て、ゆっくりと話し始めた。
「僕の家はそこそこの家だって、前話したと思うんだけどさ。僕だけ身分が低いんだよね。もちろん次男だから家督相続できないってのはあるけどさ」
しばし彼は黙り込んだ。それほど言いづらいことなのだろう。
「……僕の母親は、熊猫人族だ。僕は獣人族の子でありながらどの特徴も持たない、『持たざる者』なんだ」
驚いた様子のソラを尻目に彼は続けた。
「別種族間で子を成した時はね、獣人族の方の特徴が出るようになっているんだ。これは僕を取り上げた産婆に聞いた話だけど、『持たざる者』が異種族間に生まれる割合は、ほとんどない。そもそも、異種族間の夫婦が少ないこともあるけど……それでもやっぱり獣人の特徴が出る場合がほとんどなんだって。僕ってば人間の見た目してるし御力だって使えないのに、人間じゃないんだってさ」
気軽に彼は笑ってみせるが、それがどれほどの疎外感を今まで彼に感じさせ続けていたのかは分からない。きっと生まれのせいで誰かから何かしら言われることだってあっただろう。
芳の意図することを理解して、ソラは自分の手を見た。鉤爪のない柔らかな手で生まれて来られたらと願ったことすらある。だがその場合、今よりも辛い人生が待っていたのかもしれない。ソラは鳥人族の間に生まれたので『持たざる者』であった可能性は考えられないが、彼の味わってきた寂しさについては一定の理解を寄せることができるはずだ。
「獣人族と人間の間の子は、『獣人族協会』に入れるのかな」
ソラはそのことについて考えたことはなかった。あくまで獣人の地位向上のめに設立するものだ。そもそも芳に言われるまでそのことは知らなかったのだから、想定されていなくて当然とも言える。
だが、この先多くの獣人族の元を訪ね協力を仰ぐのであれば、彼のような人物がいることも知っているべきだ。どちらともつかず、居場所のない人間はどこにだっている。
「まだ規定はありませんが、そういった方々も入るべきだと思います。明日にでもメフシィさんに提案します」
「ありがとう。それで、僕のことを知ってもらった上で、お願いがあるんだ」
ソラは明日の提案内容と話すべき三人の返事を想定しながら芳に続きを促した。
「僕は将来、自分の商会を立ち上げるつもりなんだけど、妻として僕を支えて欲しいんだ」
「今なんと仰いましたか?」
言われた言葉は理解できたが、意味が全く理解できなかった。
驚いた様子のソラに、芳が申し訳無さそうにはにかみ、立ち上がった。彼はソラの前に跪くと、手を取ってそこにそっと口づけた。
「……君と結婚したい。どうか僕と結婚してくれないか?」
「ですが私はケビールさんと」
そう言いかけてソラは口を噤んだ。求婚された女性が自らそれを断るというのは、少なくとも南東大陸では歓迎された文化ではない。自由恋愛主義者が大多数であるアブヤドの村にいた頃ならともかく、今はムルシドの旗の元に集まっているのだ。彼の面子を潰さないためにも、不用意に発言することは憚られた。
「分かってるよ。君にはケビールがいて、ちゃんと気持ちがそこにあるって。それにこれはメフシィ会長に申し出るべきだってこともね。でも、そこに話を持っていく前にまず君に伝えたかったんだ」
どこか儚げな青年が申し訳なさそうに眉根を下げると、この上なく悲しそうな表情に見える。きっと、ケビールや他の船員が同じ表情をしても、同じだけの罪悪感をソラが抱くことはなかっただろう。ただ突き放すことが申し訳なく、少しだけでも話をしなければならないような気さえしてくる。
「邯志も南東大陸の多くの国と同じで、家父長制を採っているのは知ってくれていると思う。家格からして僕がメフシィ会長にお願いすれば、無下にするのは難しいよ。だからこそ、君に直接頼みたいんだ」
真剣な表情。真剣な話し方。
アャースクを発ってから半年近く、ソラはこの青年を友人として受け入れ、それなりに関係を築いてきたつもりだ。彼は話が上手く、何でも器用にやってみせ、色んな話を掘り下げてすることができた。これからも仲の良い同僚として、そして友人としてやっていきたいとソラは願っている。
「求婚するために、友人になろうと仰ったのですか?」
「まさか。最初は本当に同僚として仲良くやりたくて、落ち込んだ様子のソラが気になって声をかけただけだよ」
彼は本当に申し訳無さそうに、思い悩みながら言葉を紡いでいる様子だ。それがどことなくラヒムに似ているような気がして、ソラは彼の話を止めさせることができないでいた。本当であれば、今すぐ部屋を出てメフシィに事の次第を報告し、協議に入らなくてはならない。そして、手順を踏んで断らなくてはならない。
ソラにはちゃんと分かっていた。そして、それが出来ずにいるのは、初めての異性の友人を無下に扱うことが怖かったからだ。




