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宵闇に灯火の唄を  作者: 野木 千里
第二章
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75話

 港の街から山間部にあるという熊猫人パンダにん族の村までは専ら馬で移動をすることになった。山道ならなおのこと荷鳥にどりに乗ったほうが、と南東大陸出身の調査員たちは提案し、西大陸の調査員は水が合わないから難しい、と回答した。ソラは久々の乗馬に心躍らせ、サーシャと二人乗りをしたため楽しい旅行となった。

 絶対に鳥より簡単だから、と説得されたケビールは緊張のあまり変な体勢で半日以上馬に乗り続け、腰をいわせた。それ以外の南東大陸の調査員たちは半数が馬には慣れており、もう半数は慣れた者に教わりながらの移動となった。

 ようやく山間にある熊猫人族の村を見つけ、一同は感嘆の声を上げた。

「ようこそ、温泉の聖地、熊猫楽園へ! 馬の預かりは一日銀貨一枚から!」

「あらー、団体さん? お宿は人数分かれちゃうけどいい?」

 秘匿されているはずの山中の村は、温泉を商用利用しており随分と懐が温かそうな様子だ。元気の良い邯志ハーン・チィ語が飛び交っている。西大陸風の小さな建物が所せましと立ち並び、人間も熊猫人族も入り混じって生活しているようだ。そして夏が始まる季節であるからだろうか、大きな花々が咲き誇っている。白や桃、赤、黄と色とりどりだ。楽園と自ら称するのも納得である。ソラが説明を求めてメフシィを見るが、彼も意外そうな顔をするばかりでファンを見ている。

『見ないでください……なにこれ、いつからこんなになったの?』

 目を白黒させながら芳が宿の案内に問えば、小柄な彼女は小さな顔いっぱいに笑顔を浮かべた。

「村の子が皇帝陛下に見初められて、おもてなしするうちにこんなになったの。今の感じになったのは去年くらいからかなー?」

 ふわふわとした印象を受ける可愛らしい子は、宿に着くまでの間話し相手になってくれるようだ。

「お客さんたち、遠くから来たの? 珍しい髪の色してる。きれいー」

「海の向こうから伝承などを調べに来たんです。あなたも素敵な髪色ですね」

「うん、ありがとー」

 熊猫人族は西大陸の大抵の人間と同じように黒い髪をしているのだが、髪の内側が白いらしく珍しい色合いだ。彼女はじっと一行を見ると、ケビールを自分と共に先頭を歩かせ始めた。

「お兄さん、お名前はー?」

「ケビール。君は?」

麻美マーメイ! 年齢はー?」

『……ソラちゃん、お願い』

 習いたての西大陸語で自信満々に自己紹介をしていたケビールが早速挫折してソラに話を振ってきた。そこでソラがケビールに伝えると、ケビールは指折り数えて「十六!」とほめて欲しそうにソラに確認している。

「十八だろ。覚え悪いな」

 芳の目が冷たい。だがまだ西大陸語の罵倒語を覚えていないケビールはそうかありがとう、と真剣な面持ちだ。きっと分かるようになれば怒って道端で喧嘩騒ぎに発展するに違いない。

「じゃあーじゃあー! お兄さんは、結婚してる?」

 ケビールを見る麻美の目が潤んでいる。きっともう宿の近くに来ているのだ。彼女の歩みが遅い。ケビールはご自慢の西大陸語を披露したくてソラに通訳を求める顔をしている。

「……その」

 ケビールはアブヤドの村でも人気が高かった。新しい出会いがあった以上、新しい恋に落ちる女の子がいてもおかしくはない。しかも南東大陸は一夫多妻制を採用している。ソラが彼女を拒む理由はないはずだ。

「……ごめんなさい、彼は私と婚約しているんです。熊猫人族は一妻多夫制でしたよね。ご期待に沿えないと思います」

 通訳はせずにそう伝えると麻美の目が鋭く変化し、ソラを上から下までジロジロと眺めた。隣に立っているサーシャが苛立っている。

「ふぅん? この人真面目そうだもんね、だましたんだ」

 何をどう解釈すればそうなるのか、と返したい気持ちを堪えてソラは微笑む。きっと怒れば怒るほど状況が悪くなるに違いない。だから怒りたくなるのを我慢するしかない。

「まさか、そんな恐ろしいこと考えもしませんでした」

「お姉さんやだー! 向かいの宿に混ざって!」

 言い返す言葉がなくなったのか、まさかの宿泊拒否だ。別にそれでも問題はないが、そうなるとケビールはソラに付いてくるかもしれないということは考えないらしい。芳が助けを求める目でソラを見ている。通訳したくない、と声に出さずに伝えてくる。

『あら、そうですか? ご気分を害してしまってごめんなさい。ケビールさん、私たちは別の宿だそうです』

『そっか、じゃあ俺もそっちにしてもらうよ。誰か代わってくれるだろ』

 芳が麻美に起こったことを簡潔に伝えると、みるみる顔色が変わった。

「やだー! 嘘、こっちでいいよ!!」

「別に私はあちらでも構いませんが」

 ソラはついぞこんなに冷たい口の利き方をしたことはなかったが、流石に麻美の態度を改めさせないと、調査期間の間不利益を被りそうだった。

「こっちでいいって言ってるし!」

「では、申し上げますが」

 どこまですれば彼女が態度を改めるのかソラには分からなかったが、一度で効果がないのであればもう彼女の案内する宿に泊まるのはよしておいたほうが良さそうだ。見たところ村はかなり大きな観光地になっているようだったし、探せばどうとでもなるだろう。

「宿泊させていただく以上、私たちはあなた方の提示する規律を守るつもりですが、従業員の我儘を聞く気はございません。私個人としてもあなたが正式に二番目の妻としての申し出をしてくださるのであれば彼と相談いたしますが、婚約者を明け渡すつもりはありません。よろしいですね?」

 麻美は口を開いたまま黙り込み、芳は「こわ……」とは言ったもののケビールには通訳しなかった。

「なんでこんな高飛車な女がいいのこの人……」

 悔し紛れの苦情も通訳してくれる人物がいなければ全く無意味なうえに、恐らくケビールはそういう女が好みだ。腹が立つのでそれも教えないでおこう、とソラは決めた。

『……なんか深刻そう? 大丈夫?』

 知らずにいれば幸せなこともあるのだな、とソラは納得して困っている婚約者に簡単にこう伝えた。

『少し誤解があったようですが、こちらの宿で良かったようです。心配をかけてしまってごめんなさい』

「そういうの良くないと思うよ、僕は」

 芳がまだ文句を言ってくるが、ソラにとってはどうでも良いことだ。これからケビールと結婚すれば、きっとこんなことがしょっちゅう起こる。少しくらいのことで動揺するようでは務まらないだろう。


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