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宵闇に灯火の唄を  作者: 野木 千里
第二章
78/142

73話

 待ちに待った邯志ハーン・チィへの到着日だ。途中港に寄ったため予定が遅れ、アャースクから三月と半分かかった。今頃セメクは赤花藻あかはなもの季節真っ盛りで、女の子たちが川に足をつけて花嫁衣裳を縫う時期だ。メフシィから多少の駄賃を支給された面々は西大陸の大国、邯志を満喫すべく街に繰り出していた。

 街の雰囲気はサヒル地方によく似ている。だが、飛び交う言葉の殆どが邯志語で、行き交う人々もソラたちよりも小柄だ。その上全員黒髪と黒い目をしている。色とりどりの頭髪をした大柄な調査団はかなり目立っていた。

「ソラ、いいの?」

 サーシャに問われてソラは頷いた。淡い海の色の布と、柔らかい黄色の糸、それから刺繍糸をいくつか買った。もちろん、サーシャに着せるための服を縫うためだ。メフシィから清潔な服を支給されているが、まだ十一歳だ。もう少しちゃんとしたものを着せてあげたいというソラのお節介だ。

「できるだけ早く縫いますね。最近背が伸びてきましたから」

「でも」

「私の我儘ですよ。嫌なら売ってお小遣いにして構いませんから」

 それを聞いてサーシャは必死に首を左右に振ってくれる。売るつもりはないようだ。それでも申し訳なく思っているのか耳を垂らしているのが可愛らしい。

「お節介でごめんなさい。でも私はあなたのお姉さんになったのでしょう? だから、少しでも何かしたくて。嫌でしたか?」

「ううん。お姉ちゃんいたことない。だから、なんか、えっと……恥ずかしい?」

 サーシャは顔を赤くしてはにかんだ。ソラは嬉しくてたまらなくなり、彼女の手を引いて茶屋へ向かう。明日になれば自分は熊猫人族の信仰や御力について記載された書籍をメフシィ商会で芳と二人で選別しなくてはならないのだ。かなりの数が集められているらしいので出立まで休日が与えられる可能性はほとんどないはずだ。一日くらい姉妹の親交を深めても構わないだろう。

 カプラの王宮で邯志皇帝が来た時に西大陸式の餃子を食べたことがあったが、屋台で火傷しそうなものを食べるのは初めてのことだった。サーシャと二人で熱い熱いと騒ぎながら食べて、日持ちしそうな菓子を買う。それがソラにとってもサーシャにとっても格別に楽しいことだった。行き交う女の子たちが買っている繻子リボンと同じものを色違いで買い求めると、二人はお互いにその繻子で髪を飾ってまた手を繋いで休暇を楽しんだ。

「二人共今帰ったの? 簡単なスープを作ったから食べなよ」

 夕刻、宿に戻るとファンが数人の調査員と共同食卓でのんびり酒を呷っていた。ほとんどの男性が花街というところに繰り出しているらしく、残った面々は駄賃を使い果たしたのか退屈そうだ。

「ありがとうございます」

「ありがとう」

 二人は芳から羹をもらうと、彼らから少し離れたところに座ってありがたく夕餉とすることにした。朝蒸かしてもらった西大陸式の麺麭を浸して食べると格別だ。アャースクではあまり歓迎されず、茶で固くなった麺麭を流し込むだけだった。船の上でも言わずもがな。多少茶を沸かしたりする場所はあったが、温かい羹を作る機会はなかった。

「おそろいの繻子かわいいね。二人によく似合ってる」

「ありがとうございます」

「えっ、かわ……!? うう……」

 芳が席を詰めて褒めてくれる。サーシャは青色の繻子、ソラは黄色の繻子を買った。サーシャが照れて繻子を上から押さえる。

「初恋泥棒になるつもりだな」

「その辺にしとけー」

 などと野次が入って、サーシャは益々赤くなる。年上の優しくて楽しいお兄さんに憧れない理由などない。反対にファンは面白くないのか口を尖らせた。

「こんなんで初恋を奪う気なんてないよ。サーシャもこのくらいで動じちゃ駄目だよ。ソラを見てよ。このくらい言われて当然って顔をしているよ」

 突然話を振られてソラは動揺した。そんなつもりではなかったのだが、王太子に可愛い可愛いと誉めそやされて育ったせいで、言われても接頭語くらいにしか感じなくなっていることは事実だ。

 返事に困ったソラは黙って羹を飲むことにした。その様子を見て芳がおかしそうに笑っている。どうやらからかわれたようだ。 

「それで皆さんは街に行かれなくて良かったんですか?」

「そりゃ女の子二人置いて行くのは危ないからね。どっかの誰かさんはまだ戻ってないみたいだし」

 間違いなくケビールのことだ。婚約者と妹分の面倒を見るのは彼の仕事だと調査員から見なされているらしい。もう一人の責任者であるメフシィは支店の管理があるので数日後の出発まで戻らないようだ。

「それに明日から僕たちは本を探さないといけないし、あんまり遅くまで女の子と遊ぶのはね」

 サーシャが冷たい目をしている。仲間たちの行先を知ってしまって哀れだがこうした旅には付き物らしいので遅かれ早かれ知ることになっただろう。

「あれ? ソラはケビールが行くことに対して怒らないんだ」

 芳が意外そうな顔をする。そんな印象を持たれていたことに対してソラは驚いて彼の顔を見た。

「なぜ?」

「なぜって、他の女の子と口付したりするかもしれないんだよ? 大金持ちなら仕事で行くけど、僕たち一般市民だしさ。ああいや、ケビールが怒られてるところが見たいわけじゃないんだけど」

 やはり合点がいかずにソラは首を傾げ続ける。別に相談なしに妻をもう一人作ると言っている訳ではないのだ。むしろ、西大陸の大店の子息である芳がわざわざ話題に上げたことに驚いた。南東大陸でも西大陸でも妻を複数持つことは珍しくない。この人は何を言っているのかと訝しんでいたソラだったが、若干の違和感と鼻につく酒精アルコールの臭いで納得した。

「飲みすぎです。お水でも飲んでしっかりなさって」

「いや、申し訳ない、違うって」

 訳の分からないことを言っているところを見るに、本当に酔っているのだろう。アブヤドの村の婆様に教わったことによると、こういう手合いは気合の張り手を入れて黙らせるか、誰かの後ろに隠れるまで延々と絡んでくるらしい。

 誰かの後ろに隠れようかと悩んだが、この場にいる男は全員酒が入っている。大して役に立たないだろう。

 困り果てていると、小さな髪飾りがソラと芳の間に差し出された。

「ただいま」

 傷だらけの手を見て、ソラは胸を撫でおろした。

「ケビールさん! 随分遅かったですね」

「ごめんごめん。新しい髪飾り渡したくて店回ってたら遅くなっちゃった。あげる」

 ソラは髪飾りを見せられて顔を綻ばせた。

 金の軸に虎目石が花の形を模すように飾り付けられている。いくつも取り付けられている小さな赤い粒は紅玉か珊瑚だ。日が暮れるまで婚約者が悩んで選んだ髪飾りを嬉しく思わないはずがない。それに、取り付けられた虎目石が彼の瞳の色のように揺らめいているのも良かった。ソラは髪飾りを手のひらに乗せ、何度も撫でつけた。出港前に自分で買ったものも気に入っていたが、今度はとびきり好きなものになりそうだ。

「すごく素敵。嬉しい、ありがとうございます」

「気に入ってもらえたみたいで良かった。いいもの食べてるね、どうしたの」

「芳が作ったものをもらいました」

「いいなー。ファン、俺にもくれよ」

 当然のようにソラと芳の間に座ったケビールに言いつけられて芳はケビールに頭突きした。

「痛ぇ!」

「自分で入れろ!」

 それなり以上に運動が出来るはずのケビールが、突然の頭突きを受けてたじたじになっている。やはり酔っ払った芳はぷりぷりと怒りながらもケビールのために羹をよそいに鍋の元へ向かった。一同は彼の酔っ払っても尚てきぱきと働く姿を見て、褒めるべきか笑うべきか迷い、彼の酒と水を入れ替えることにした。

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