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宵闇に灯火の唄を  作者: 野木 千里
第二章
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68話

 狼人街に滞在を始めて三日目の昼過ぎ、ようやくソラはオリガの語る狼人街の伝承を全て聞き終え、書いたものを鞄にしまい込んだ。今日村を発たねばならないらしいが、外は街を少し歩くことさえ困難な吹雪に見舞われている。ケビールは世話になったオリガのため室内に薪を運び、サーシャはお使いをしてきたため、オリガに関しては少しの間なら何とかなりそうだった。

「本当に、本当にありがとうございました。ムルシド殿下もお喜びのことでしょう。こちらが謝礼です」

「私はいいわ。村の子供たちに渡してやって」

「それはオリガさん自身でなさってください」

「でもねぇ……」

 そう言ってオリガは頑として謝礼を受け取ってはくれない。ソラが困り果ててケビールを見ると、彼はソラに通訳をするように促した。ソラの話を聞いたケビールも困ったように首を傾げる。

『俺たちが子供たちに何かあげることでいいことがあるのか?』

 すかさずソラはそれをオリガに伝える。

 するとオリガは申し訳なさそうな顔をして、杖を机に置いた。それでも依然として背筋は伸び切っている。違和感を覚えてソラがサーシャを見ると、彼女も申し訳なさそうな顔をしているではないか。

「……ただでさえこの村は貧しいのに、サーシャ達が連れて行かれてから今まで出入りしていた人間の業者とも関係が悪くなってしまって、満足に食べられる家なんてほんの一握りなの。だから、せめて子供たちだけでも何か食べさせてあげたいのよ。それに、人間が子供たちに施しをすれば、少しでも人間に対する感情が良くなるでしょう?」

「しかし、あなたにも必要なものではないのですか?」

 ソラが問うと、オリガは首をゆっくりと振って微笑んだ。

「私は町長だから、皆貧しい中からでも多少の税を払ってくれるの。心配しないで」

「では最初に出てきた方は」

「あれは村の用心棒のイワン。人間の方では男の方が強いんでしょう、私だと話をしてもらえないことがあるから、他所からきた人には彼が対応してくれるの」

 確かにメフシィは街の責任者を呼んで来いといって、サーシャはそうした。男も自分が町長だとは名乗らなかった。

『ごめん、ソラ。村の外の人には、言わない決まり』

 サーシャは本当に申し訳なさそうにソラに謝罪する。だが、確かに南東大陸では男性が何かと前に出るようになっている。珍しいことではあるが、そもそもここは南東大陸ではない。自分たちの常識を求めることに意味はない。

「イワンは人間に対しての感情が良くないわ。だから用心棒として今はとてもいい仕事をしてくれるの。狼人族は人間より力も強いし、遠くのものが見えたり聞こえたりするから戦争で使えるみたいで、昔から人攫いが多いの。もう何度もアャースクと戦って、負けるたび住処を追われて……。連れていかれるのが分かっていても相手によっては手出しさえできない」

 ソラがケビールに話の内容を伝えると、彼も気持ちが良く分かるようで辛そうに頷いて話を聞いている。サーシャは俯きっぱなしだ。

「……今まで自分たちだけで頑張ってきたけど、もう限界だわ。ミガルティはあなたたちみたいに獣人族が歩いているのよね。私たちの力になっていただけないかしら」

 オリガは力なくそう言った。自分でもただの調査員に無茶を言っている自覚はあるらしい。それでも、言わずにはいられなかったのだろう。

 彼女はこの村で最高齢だ。それほどの長い間思い悩み、何度も隣国と戦い続けてきた結果が、村人たちの疲弊とこれほどまでの張りつめた雰囲気だ。彼女がこの言葉を漏らしてしまったのは無理のないことだろう。

『ソラちゃん、何て?』

 ケビールがソラに通訳を求めるが、ソラは答えることができなかった。

 自分に、何か手助けできることはないか。ソラはそんなことを必死に考えていた。あまりにも戦争直前の鳥人族の村と状況が似通っている。だが戦ったところで勝てる保証もなければ、助けてくれる第三者に後ろから刺される可能性もある。

 ソラは無意識にオリガの手を握っていた。ただの奴隷で、ただの厄介者で、持っている力に振り回されるだけの哀れな女。そんな自分を彼女が救ってくれるような気がした。

「私を使ってください」

 誰もソラがそうすることは望んでいないだろう。きっと、ユルク王太子でさえ。

「私は鳥人族の戦乙女として戦に出たことがあります。生憎一度死にかけてから力を使っていないので、当時と同じだけの力が使えるかは分かりませんが……。狼人の子に害するものがあれば、すぐに駆け付け大雪を降らせると言えば、多少抑止になるでしょう」

「天候を操れるというのは伝説の話でしょう」

 ソラはゆるりと首を振った。そうであったなら今頃は、きっとケビールと村の皆に囲まれて幸せに暮らしていたことだろう。

 力のせいで大変な目に遭わされたのだ、多少利用したところで誰も咎めたりはしないだろう。それが誰かの僅かばかりの助けになるのであれば猶更。

「その代わりと言っては何ですが、どこかでお名前をお借りしてもよろしいですか? 例えば、同じように困っている獣人族のためにお名前をお借りできませんか」

「そんなの、当たり前だわ。同じ風に困っている獣人族を見過ごせないもの」

 オリガはソラの手の甲を擦りながら、そこに額を当てる。恐らく現地の言葉でありがとう、と何度も言っているようだ。サーシャが何かをしたとき、オリガからその言葉をかけられているのをソラも聞いていた。

『ソラちゃん、一体何言った訳?』

 ケビールが小さな声でソラの耳元に問いかける。当たり前だ。さっきまで話をしていたオリガが、ソラの手に額を当てたまま動かなくなってしまったのだから。

『私が戦乙女であることを明かしました。人攫いが出たら飛んで駆けつけると言って構わないとも』

『何で言ったんだよ! カプラ王室の耳に入ったらどうする気だよ!』

 ケビールの言っていることは正しい。そのくらいのことはソラにだって分別がついている。そうでなければどうして調査員たちにそのことを明かさないでいるだろうか。

『そうなったとしても、私が今こうしたいのです。私が自分で、友人であるサーシャやオリガを助けたいと思ったのです。殿下のためではなくて、誰かに言われたからでもなく。馬鹿な事だと言っていただいて構いません。見放してくださっても』

『この馬鹿』

 すかさずケビールが罵ってくるが、彼はそれ以上言葉を紡がずにソラの肩を抱いた。サーシャは顔を真っ赤にして二人を見ているが、大切な話をしていることは分かったのか、何も言わないままだ。

『馬鹿。先に俺に相談しろよ』

『ごめんなさい』

『俺なら後で言っても許すと思ったんだ? まぁ許すんだけど。こうなったらメフシィさんにも相談したほうがいい。結局皇子様に処罰されることになったら逃げる準備をしといてもらわないとな』

 もう自由民の登録料以外なにも失うものがない二人はまだいいが、商会を抱えているメフシィは処罰されるとなればたまったものではないだろう。仕事熱心なようだし、聞くところによると大きな国にいくつも支店を持っている。それを一つ潰すのがどれほどのことなのか二人には想像がつかなかったが、恐ろしい損害が出そうだ。この先どこかに閉じ込められて一生何かを縫わされ続けることになったとしても文句は言えないだろう。

『そうですね、いざとなればメフシィさんとはここで別れたほうが良いかもしれませんね』

 二人は頭を突き合わせ、すぐにメフシィの元へ走った。猛吹雪で前は見えなかったがサーシャが二人を案内してくれたので事なきを得た。

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