66話
当然のように調査が進められると思っていた調査団は、宛てがわれた小屋から動けずにいた。サーシャの話では彼女が街で生活していた頃は人間も街に来ていたそうだが、狼人族の人間への感情は非常に悪いものになっていたからだ。同じ獣人族のソラとケビール以外は動かないほうが良いだろうというのがメフシィの意見だった。話はしてもらえないものの物品に関しては購入させてくれる店があったため、質は悪いが当面の食料や傷んだ縄の替えは手に入りそうだ。
ソラとケビールの二人はサーシャに連れられ、街で最高齢の女性の元へ向かうことになった。サーシャと彼女も直接の面識はないが、なんとか話をつけてくれたようだ。今回話を聞く女性は北大陸語が堪能であるようで、ソラは通訳をつけずに北大陸語で書き取りをすることになった。
「よく来たね。待っていたよ」
綿の入った頭巾を被った女性が杖をつきながら三人を出迎えてくれた。彼女は杖こそついているが、背筋をしっかり伸ばして凛とした印象を受ける出で立ちだ。雪の寒さに背筋を縮こまらせて歩いていた三人に手早く温かいお茶を出して暖炉の前を勧めてくれる。
『ばあちゃんはこっちだろ』
それに有無を言わせず一番温かいところへ座らせたのはケビールだ。ソラとサーシャは流れるような先導に驚いた。祖母が近くに住んでいたので、こういったことには慣れているのかもしれない。
女性は嬉しそうに微笑んで咳払いを一つして自己紹介をしてくれる。
「私はオリガ。街の者たちがごめんねぇ、サーシャが誘拐されたとき、一緒に何人も連れて行かれたの。連れて行ったのは、始めて来た業者だったんだけど……。業者なんて嘘、奴隷商人だったの。それなのにアャースクの警吏は一人も来てくれなくて、自衛しなきゃいけないって街の人間は苛立っててね」
「……そんなことがあったのに誰も来てくれないなんて」
「簡単に解決できることではないのよ。街中の雪を手で溶かすみたいに果てしない話になる。あなた、鳥人族だと聞いているわ。似たような思いをしたことはあったんじゃないかしら」
ソラはサーシャと同じく誘拐された側だが、王太子が帰してくれるのではなくそのまま保護してくれていたのは鳥人族の村付近での人攫いが多かったからだろう。運の悪いことに金糸雀と見間違えられる容姿をしている。戻ったところで大金が歩いているようなものだ、いつかまた攫われただろう。
「私は鳥人族の村に長くいませんでしたので、そういった思いは」
「そう……」
オリガは何か言いたげだったが、それを口にすることはなかった。彼女は朝早くから夜遅くまで、狼人族の伝承について語ってくれた。オリガは三人のために焼き菓子や手で摘まめるものをいくつか用意してくれていたが、ソラは勧められた時に一度食べただけで、あとは一口も食べなかった。初めて食べるアャースク式の焼き菓子は大変美味しいものだったが、それ以上に聞いたことのない伝承が面白くて書き取りに夢中になってしまったのだ。
「これは……」
「面白いですよね。アャースク語との齟齬がないといいのですけれど」
オリガとソラは一般的に北大陸語と呼ばれる、ラセルファ語で会話をした。専門の通訳を介していないため、ソラは不安だった。
狼人族の伝承について、アャースク国内で書籍に留められている事柄は鳥人族のそれ以上に少ないものだった。宗教関係のことを纏めた本に小噺の一つ二つは記載されれているのだが、その全貌は明らかではなかった。そのため、獣人族が自然を操る御力についての記載は皆無であった。それもそのはずで、鳥人族とは逆に御力に関する情報を彼らは外に漏らさなかったのだ。
狼人族にとっての神は「遠くを見る者」と言うらしい。彼らの始祖は神殺しをして、遠方の情報を得る能力を手に入れたという。今現在、これを習得した者を成人とするということになっているらしい。サーシャは今十歳でまだ儀式を受ける年齢ではないが、数年もすれば儀式を受けられる年齢になるようだ。
ソラはオリガの語ってくれた伝承、成人の儀式の内容を具に記録し、また何度も質問をしてできるだけ齟齬がないように努めた。彼女の語った言葉をできるだけ早くに編纂し、またアャースク国内の街で書籍を取り寄せる必要がある。そちらに関してはアャースク語の通訳として同行している調査員が情報を持ち帰るついでに集めてくれる手筈になっている。
「この辺りでは『遠くを知る』という言葉を使って御力の能力を使うこととしているようです。聞いたことに関してはこちらに詳しく記載していますが、この言葉を中心に書籍をお集めください」
「分かりました。細かい発音などはアレキサンドラに聞いて漏れのないように探しますね」
ソラと通訳の男は頭を寄せ合ってソラが書きなぐった伝承を纏めなければならなかった。狼人街から出て次に停泊する村でその作業をしても良かったが、もう少し詳しく知りたいと後から戻ったところで追い返されることだろう。そのため、細かい記載などを出来るだけ早く記録する必要があった。
「手が痛いですね」
「本当に。ですがこれもムルシド殿下の名で後世に残るのだと思うと、実のところ自分はものすごく興奮しています。力の研究に大きく寄与するのではないでしょうか」
ソラは男のその言葉を聞いて思わず手を止めた。彼は獣人族ではないし、知ったところで彼の役に立つようなことはないだろう。ただの知的好奇心を満たすために調査員になったのだとしたらかなりの変わり者だ。
「驚きました。獣人族でない方にもそのような方がいらっしゃるんですね」
「変だと言ってくださって構いません。自分はこれが原因で親に勘当されましたから」
驚き顔を上げると、男の方は本当に研究熱心なようで顔を上げないどころか手元を休める様子すらない。一体どれだけ勉強したのか、作業が始まってしばらく経つが、手元にある辞書を開こうとすらしなかった。
「自分はね、私たち人間だけが使えない力が一体どんなものなのかただ知りたいんですよ。知っていますか? 人間にも力の端くれみたいなのを使える人はいて、宝飾品に色んな力を込めたり、獣人族の能力の妨害をする人なんかもいるらしいです。ただ、貴重なのでその力は王族が独占しています。現にライラ様の宝飾品は力を持った人間が再び『精霊降ろし』しないように力を込めたものだそうです」
「初耳です。立て込んでいなければ詳しくお伺いしたいのですけど」
ミガルティに戻ったら勉強しなおすこととして、ソラは一旦この件を胸に留めておくことにした。
そして、ふと自分の服の上から髪飾りとアサドの硬貨がある辺りに触れ、自分の主人に思いを馳せた。村を出るころには年が明ける。王太子の結婚式を民衆の一番隅の席で良いから一目見て、晴れの日を共に祝いたかったなどという叶わない妄想がソラの胸を締め付けた。




