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宵闇に灯火の唄を  作者: 野木 千里
第二章
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63話

 サーシャの言葉の上達はめまぐるしく、アャースクの不凍港が見えるようになる頃には拙いながらも船員たちと問題なく話せるようになっていた。メフシィが言うには北大陸の奴隷商人は南東大陸の学のある奴隷を雇うことが多いそうだ。そしてその買い上げた奴隷に新しい奴隷の面倒を見させる。北大陸から連れてこられた奴隷に安く付加価値をつけるのはそれが一番早いということだった。サーシャも耳は慣れていたので、あとは話す練習をするだけだったのだろう。

 港に着いた一行はこれ以上着こんでは動けなくなると言わんばかりに服を着て、動きづらい中二日ほど停泊することになった。ここまで頑張ってくれた男性陣は酒や女性を嗜むことだろう。

 お使いを申し出たソラだったが、サヒルの大市場でひと悶着起こしたことは既に船員の全員が知っており、誰も頼んでくれなかった。落ち込むソラの前に置かれたのは分厚い冊子だった。見上げると満面の笑みのメフシィと気まずそうな顔をしたケビールが立っている。

「ミガルティへ戻られたら結婚式を挙げるご予定だとか。お安くしておきますので、花嫁衣裳の意匠を決めておきませんか? ご自身で作られるのであれば早めに布を手に入れられるように尽力いたしますよ」

「ごめん、アレキサンドラに喋ったら筒抜けだった」

 ソラは自分の隣に座る少女とメフシィを交互に見た。恐らくメフシィが上手に彼女から聞き出したのだろう。

「何の話?」

「私たちの結婚の話です」

「ケビール、言ってた。ソラと結婚するの、待ってるって。んと、服がないって」

「そうですね。サーシャ、お話しするのがとても上手になりましたね」

 さり気なく話を変えると、サーシャは目を伏せてはにかんだ。だが、それで誤魔化されてくれるメフシィではない。なにせ彼は生粋の商人なのだ。

「さぁさぁ、冊子を開いて。全て絹に金糸の南東大陸式も美麗ですが、北大陸式の飾布レースを重ねて作る衣装もそれは優美なんですよ。いやぁ、私は運が良い! 花嫁の門出を祝えるなんて!」

 もうメフシィ商会で衣装用の布を買うことからは逃れられないようだ。彼が言葉通り多少手心の加えた価格で販売してくれることを祈りながら、ソラは冊子を開いた。




 大きな馴鹿が引く屋根付きのソリに乗せられて一行は更に北へ進んだ。初めて見る雪は暴力的なまでに吹き荒れており、街の中は雪かきがされているものの、次から次へと降り積もってくる。それでさえ年明け前だということでまだ積もっていない方だと馴鹿使いが言うものだから、南東大陸出身の旅の一行は信じられずにずっと窓の外を見ている。

 外を見ても一面白色だと知っているサーシャはソリの中で大人しくしていた。

「サーシャの住んでいるところはどんなところですか?」

 これ以上着こめないほど服を着た上に更に肩掛けを被せてもらったソラが口元を覆いながら彼女に問えば、サーシャは自分のことを聞かれたのが嬉しいのか、気恥ずかしそうにソラの目をじっと見つめながら答える。流石に冷えるようで皮の手袋をすり合わせている。

「冬は、ずっと雪。真っ白。夏は、晴れてる。馴鹿を沢山、持っています」

「こんなに大きな生き物を沢山。賑やかそうですね」

「みんな、かわいいです」

 きっとセメクで言う荷鳥のようなものなのだろう。雪の中を荷物を載せて運べる馴鹿はこの地には欠かせない移動手段であるというのを、ソラは習ったことがあった。乗ってみたいと夢想したことさえあった。その時の想像では馬が嫌がるほどに深い雪というものを見たことがなかったので乗り心地さえ想像であったが。

「……ソラ、メフシィ様には内緒、できる?」

 運よくソリに乗っているのはソラとケビールとサーシャの三人だけだ。ソラがケビールを見ると、寝たふりをしてくれていた。わざとらしく険しい顔をして壁にもたれかかっている。

「内緒にします」

 ソラの返事を聞いて、サーシャが深く頷いた。

「お母さんに会う、する。でも、ソラと一緒が、いい」

 不安そうに自分を伺う少女を安心させたくて、ソラはできるだけ優しい声色で返事をする。

「もちろん、一緒に狼人街まで行きますよ。安心してください」

「違う!」

 珍しくサーシャが憤慨して声を荒げた。涼し気な印象を受ける目元が吊り上げっていた。

「ソラと一緒が、ハーンチーも、ミガルティも、ずっと! お手伝いする! お願い、連れて行って」

 この少女は、自分と一緒にこの先の旅も同行したいと言っている。家族の元に戻れば、この先ずっと幸せに生きていけるはずだ。だが、ソラの旅はそうではない。ミガルティに戻った後、きっとしばらくの後また別件の仕事が入るはずだ。ムルシドが満足するまでか、それとも代わりが見つかるまでの間だけなのかは分からないが、とにかくまた旅に出ることがあるかもしれない。

 その仕事に、これから花嫁衣裳の準備をする若い女の子を連れて行くわけにはいかなかった。

 だが、自分も結婚前に王太子の元を去った身だ。自分で決めたことを曲げないと言うのなら、きっと彼女は勝手についてくることだろう。

「サーシャ、お母さんが悲しみますよ」

 ソラの言葉にサーシャが首を振る。

「もう、私は大人。弟と妹、六人いて、三人になった。食べ物、ない。だから、いるの良くない」

 よほど貧しい街なのだろう。だが考えてみればそれもそのはずで、アャースクは雪が深く食べ物の確保が難しい。人数の少ない狼人は最も雪深い場所へ追いやられ、そこでの生活を余儀なくされている。

 もしかすると、サーシャは親に売られたのかもしれなかった。戻ったところで行き場がないかもしれない。

 だが、金貨一枚が払えなくて苦しんでいるソラが、金貨二枚だと言われた彼女をメフシィから買い上げることは現実的ではない。また、ムルシドから仕事をもらっている立場上、独断で連れていくことは難しい。

「ありがとう。でも、皆と相談しないといけません。だからメフシィさんに内緒にしたいと言うのなら、今の話は聞かなかったことにします」

 サーシャは何か言いたそうにしていたが、ソラの言っていることは理解できたのだろう。難しい顔をして、窓の外をしばらく覗いて悩み始めた。ソラも、振り始めた雪をぼんやりと眺める。

 やがて、粉のように細かい雪になった頃、消え入るように彼女は言った。

「分かった。相談、して」

 淡い海の色の瞳が、炎のように煌めいている。

 生まれ故郷に戻らないと決意することがどれほど辛いことなのか、朧気にしか覚えていないソラには分からなかった。ただ、思い出だけを持っていく辛さは知っているつもりだ。サーシャのそれは、あの日の月夜、ソラが王宮を出ていくと決めたのときっと同じものだろう。

 彼女のことを思えば止めてやるべきなのかもしれない。

 ソラはしばらく悩んで、サーシャが決めたことだと思い至ったので彼女に微笑みかけた。ソラに外套や古ぼけた硬貨を贈った彼らも同じ気持ちだったのかもしれないと思いを馳せながら。

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