62話
「中央海流域って本当に年中晴れているんですね」
船の甲板に上がったソラは、晴れ渡る海を見てため息をついた。長距離の航海をするのは商船ばかりで、穏やかな雰囲気だ。大量に積み込んでいたのは柑橘類や麦の類だったらしい。一度近くまで来た船と何やら物々交換をしていた。船上病と呼ばれるものを防ぐため、海に出てすぐの船は長距離移動する船に柑橘類を売っているということをメフシィが教えてくれた。
ちなみに西大陸では脚気と呼ばれていると言われ、ソラはその病気のことがよく理解できた。
「荒れた海は恐ろしいですからね。ここは荒れる心配も風が止まる心配もありませんから安心です」
メフシィの言葉に、ソラとケビールは笑って返した。航海士の話では船で一月ほどでアャースクの不凍港にたどり着くとのことだが、大海流から抜ける時を見誤ると航路から逸れるため、大幅に時間と労力をを浪費してしまう。そうならないよう、乗組員が順番に遠くを見ている。ソラも試しに目を凝らしてみたが薄っすらとした山のようなもの以外何も見えなかった。これではどこなのか見当もつかない。
「なにかみえる?」
じっと陸地の方を見るソラにサーシャが問いかける。
「いいえ、何も。サーシャは見えますか?」
「私は、見えません」
「見えたら楽しいのに、残念ですね」
二人は霞のような山をじっと見つめ、肩を竦めて顔を見合わせた。
きっと今頃は北大陸の南部分の傍を通っているのだろう。陸の近くを通っていたのなら、南東大陸と北大陸の様式が混じりあった色とりどりの建物が目を楽しませてくれたはずだ。それ以北の北大陸特有の聳えるような城の荘厳な様子も見ることができれば、さぞ楽しい旅だったことだろう。
「ソラのいたお城、どんなところ?」
サヒル領主邸のことではないだろう。例えサーシャに話すのだとしても本当に王宮にいた頃の話をすればケビールに迷惑をかけることは目に見えていたので、ソラはさり気なく話題を変えることにした。
「アブヤドの村にお城はなかったんです。細い木でできたおうちが沢山あって、川に囲まれていて、とても綺麗なところでしたよ。今の季節はね、川の中に白いお花が咲くんですよ」
「白い花……見たいです」
サーシャがソラの話を聞いて目を輝かせる。ソラも初めて見たとき、川の中に引きずり込まれたというのにあまりの美しさに目を奪われ、息ができないことに気が付いたのは鼻に水が入ってからだった。もし機会があれば、そしていきなり水中に引きずり込まれないのであれば、また見たいと思わされるほどに美しい光景だった。
ソラは懐かしさに胸を締め付けられる思いで、サーシャに微笑んだ。
「また、是非」
「そんなこと言って。戻れると思う?」
ケビールが小さな声でソラを諫める。戻れるのかは戦況次第と言ったところだろう。ムルシドに確認したが、まだ戦況の情報は入ってきていなかった。
「……俺はもう戻れなくても仕方ないと思ってるよ」
早口のセメク訛りの言葉をケビールがソラに伝える。聞き取りづらいほど小さな声で告げられたそれは、ケビールが故郷へ戻りたいと思っていることの何よりの証左だ。
彼は暴走するソラを庇いさえしなければ、今頃故郷の家族の元にいたはずだった。戦の英雄として取り立てられ、次期族長候補のうちの一人に名乗りを上げて村人たちから歓迎されていたことだろう。もし、ソラが戦乙女ではないただの女だったのなら、きっと今頃夫婦としての生活を始められているはずだった。
「何年かかっても戻りますよ。それが私を受け入れてくださった皆さんに対する礼儀というものでしょう。第一、族長候補をお借りしたままでは失礼ですもの」
ソラはケビールに同じ言葉で返した。サーシャは聞き取れず不思議そうな顔をし、メフシィはいきなり訛りの強くなった二人の言葉に首を傾げる。
ソラの言葉を聞き取れたケビールだけは、少し顔を赤くして気恥ずかしそうに鼻の先を掻いた。
「そう? ならいいんだけど」
彼は一度も村に戻ることを前提としてソラに話したことはなかった。それはきっと、セメクに戻ればソラが国営族長たちに再び利用されるかもしれないという懸念があったからだ。たかが二、三日程度の戦で、あの老獪な連中がカプラとの利権争いを諦めるというのは考えづらい。
「でも国営族長になるのは嫌かも。ありゃ相当性格悪くなきゃ務まんないよ」
その言葉にソラは肯定も否定もしなかった。歴史の授業で習った、成熟しきってあとは腐り落ちる前の国家の気配を、あの族長会議でソラは確かに感じていたからだ。それを是正するか切り捨てるかはその時の改革派によって分かれるところだろう。先のカプラと鳥人族との戦いの後、当時の第二王子が父である国王と戦い、その首をもって改革を行ったように。




