57話
メフシィ商会のムルシド皇子との謁見は、申請の三日後の午後に約束された。三日も待たせて申し訳ないと謝罪するソラとケビールに、メフシィは却って恐縮したようにこう言った。
「お二人は本当にただの使用人ですか? 市井の者からの申請であれば、謁見まで十日は待たないといけませんよ」
察しの悪いケビールの「今は暇なんじゃないですか」の一言で訝し気ながら納得はしてくれた。
さて、サヒル領主邸は主に三つの区分により役割を分けている。一つ目がムルシドとその金糸雀ライラが住む領主居住区、二つ目が使用人居住区、そして三つ目、領事館の役割を担う公務区である。公務区の建物は全部で六つあり、そのうちの一つが謁見室を含む領主の公務棟となっている。白い石造りの建物は至る所に石飾が敷き詰められており、その絢爛さはカプラの第一後宮とそう変わりないように見える。
「これはまた……随分と豪勢ですね」
メフシィが感嘆し、二人もそれに頷いて返事をする。庭にも冬が近いというのに多様に花が植えられており、まるでここは常春の国だと言いたげな様子だ。そういえば、とソラがメフシィに声をかける。
「メフシィ商会の本館も、このように色鮮やかな様子だと聞いたことがあります。なんでも北大陸有数の壁画技師が数百人がかりで書いたとか」
「いえいえ、祖父が使われなくなった修道院を買い上げただけですよ。そうですね、こちらの礼拝堂のような雰囲気でしょうか。石飾の代わりに金箔などを張り付けて、壁に直接色を付けます。機会があればぜひご覧いただきたいものです」
金箔と聞いて二人は顔を見合わせた。それはさぞ煌びやかなことだろう。ムルシドの指定する行先の近くに北大陸式の修道院があれば行ってみたいところだ。
色鮮やかに飾られた渡り廊下を越えれば、いよいよムルシドの謁見室だ。彼はいつもソラのところに直接出向いては巻物をどんどん置いていくばかりで、ソラが謁見室に参内するのは初めてのことだ。まして一護衛となったケビールは言わずもがな。
「メフシィ商会の会長をお連れしました」
ケビールの背丈の倍ほどもある扉が係の者たちによって開かれる。謁見室はソラの滞在している部屋を五つ六つ合わせたほども広く、護衛の数も十を超える。部屋の後方は数段高くなっており、その上には高い背もたれの椅子が置かれている。そこに座るムルシドも成年皇族らしく堂々とした振る舞いだ。
三人は深々と礼をした。
「ふむ、余への謁見目的は『違法奴隷商人の一覧提出』だったな。見せてみよ」
そう言われてメフシィがケビールに巻物を渡し、そこからムルシドの副官へ渡り、彼が軽く目を通す。ムルシドが見るのはメフシィが引いてからだろう。
「調査の必要がありますが、確認する価値はあるかと」
「そうか。メフシィとやら、よくやった」
「ありがとうございます」
メフシィは皇族への謁見は初めてなのだろうか。額に脂汗をかいている。サーシャの件は金貨数枚で皇族への繋がりを作る機会を設けるための出費だったのかもしれない。
「お主らこの者に助けられたそうだな、一体何があったのか。申してみよ」
ムルシドと目が合ってソラが答える。
「恐れながら、殿下。奴隷商人の違法行為を大市場で見かけて声をおかけしたところ、先方の不興を買ってしまいました。それを助けてくださったのがメフシィ様です。該当の奴隷を買い上げてくださいました」
二人の主人は天井を仰ぎ見た。彼が下を向くときは恐らく金糸雀を見下ろすときか、躓いた時だけだろう。ムルシドは恨めし気にケビールを見やり、ソラを思いきり睨んだ。
「このじゃじゃ馬が。後で躾けなおしてやるからな」
一体何をされるのかは分からないが、きっとそれなりに怒られるのだろう。居心地は悪かったが何度怒られても同じことをするだろうことは変わりないので、大人しく躾られることを覚悟した。カプラ王太子と同じ顔をしているのに性格が違いすぎる。ソラは翡翠色の瞳の主人の顔を思い出しながら寂しい気持ちを飲み込んだ。
「お主にはいらぬ手間をかけさせたようだな、メフシィ。領事館のほうでその奴隷は買い上げたほうが良いか?」
「いいえとんでもございません! 話を聞くに狼人街から誘拐されてきたようですので、アャースクまで送っていこうかと思います。仕事のついでに送ることになるので、すぐというわけには行きませんが。ですがムルシド殿下のお膝元でこのようなことを見過ごすわけにはいきせん。我が商会はこちらで長く商売をさせていただきたいと考えておりますので」
長くこの地で商売をしていれば、第五皇子御用達の印がもらえることもある。ソラが調べたところ、メフシィ商会の主産業は綿や繻子といった布製品が中心だ。金糸雀や領事館の女官が身に着ければサヒルの流行になることは間違いない。
「よかろう。金糸雀の春先の外套を誂えたいと思っておった。詳しくは追って使いを出す」
金貨五枚以上の儲けは出たも同然だ。メフシィの顔色がぐっと良くなった。
彼は顔を紅潮させて、前のめりになった。
「ええ、ええ願ってもないことです! 金糸雀様の瞳によく合う繻子も存分に用意してございます、はい!」
ソラは嫌な予感がしてメフシィの顔を見た。彼はソラをちらりと見、勝ち誇った顔をした。よく見れば目元に隈がある。彼が無駄な仕事をしていないことを願うばかりだ。
「鮮やかな黄色の布も、茶髪によく合う太めの赤色の繻子も、数多く揃えておりますので! 是非に!!」
ケビールが顔を覆った。どうやら彼はケビールの言った「下働き」をその場しのぎの嘘だと思ったらしい。やたらに親切だったわけが判明してソラも顔を伏せる。
ムルシドは三人の様子を見ていたのだろう、しばらく堪えていたが、すぐに我慢ならなくなったのか大口を開けて笑った。
「あっはっは! なるほどな、そうだな、お主が勘違いするのも致し方あるまいよ! だが目の付け所は悪くない、ははは! その件はこの娘が悪い。よかろう、余が繻子の一つくらい買ってやろうな、あはは傑作だ」
「結構です」
騎手を振り落とす直前の荷鳥のような顔をして、ソラはムルシドをじっと見た。彼はソラを可愛がってくれてはいるのだが、何せ扱いが乱暴だ。それに応えるのはこのくらいで丁度良いだろう。
ひとしきり笑い転げたムルシドは、ひぃひぃ言いながら椅子に縋りついていた。副官の目も冷たい。
「その娘は語学が堪能ゆえな、余の『妖力調査』の調査員なのだ。面倒ついでに狼人街へ連れて行ってやってはくれぬか?」
メフシィは目を丸くしてソラとムルシドを交互に見て、納得がいかない様子でムルシドを見た。
ソラはただただ申し訳なくて、部屋を出るまでずっとメフシィの顔を見ることができなかった。




