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宵闇に灯火の唄を  作者: 野木 千里
第二章
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55話

「はいよ、奥方。包んでやるから布貸してくれ!」

「ありがとうございます」

 屋台の主人はまだ揚げたての熱い麺麭を葉で包んで、それをソラから受け取った布で覆ってくれる。家で子供が待っていると思われたのかもしれない。現にその場にいる子供たちは包みの布をかけてもらっていなかった。店の近くには麺麭、串焼き、果物などすぐに食べられるものを売っている屋台が並んでいる。

 ケビールはソラを待っている間、もう少し腹持ちの良いものを探してくれているようで見当たらない。辺りを見渡していると、恰幅の良い裕福そうな金髪の男に声をかけられた。

「失礼、ご婦人。あなたの身元保証人はどちらに?」

 南東大陸の文化として、結い上げをした知人ではない女性に直接話しかけて良いのは必要がある時と身元保証人を尋ねる時だけという決まりがある。それを思い出してソラは頷いた。

「今は外しております」

「そうか、保証人が来るまで一緒にいてもよろしいかな?」

「はい、どうぞ」

 まだ雨季が始まったばかりとはいえ、もう随分と冷え込む。海が近く風も強いからだろうか、一層寒く感じた。北大陸に近いこの辺りでは、四季があると教科書に書いていた。今は丁度秋の頃だろう。セメクでも収穫が終わり、白花藻の盛りの季節だ。戦が長引いていなければ、ケビールとの結婚式も終わっているはずだった。

 縫いかけの花嫁衣裳を思い出し惜しい気持ちになっていると、通りの方から怒鳴り声が聞こえた。

「おいテメェ、ボサっと歩いてんじゃねぇ!!」

 何事かと声の聞こえたほうを見やれば、筋骨隆々といった容姿の男が手枷と足枷をはめた子供の胸倉を掴んで持ち上げている。子供は痩せており、お世辞にも満足に食べさせてもらっているようには見えない。肌が異様に白く、手足の長さに肉の量が見合っていなかった。その上殴られたためか青痣まで手足の至る所につけられている。

 金髪の髪の中から、白く柔らかい獣の耳が見える。獣人族だ。

 ソラは頭に血が上ったような感覚に襲われた。

 戦に負けた国から奴隷が排出されることは少なくないと習ったことがある。奴隷である以上勤めが終わるまでは市民権が与えられないし、途中で主人に手放され帰るあてのないまま、より酷い目に遭う者もいるということは知識の上で知ってはいた。だが、奴隷に食わせることもしないまま、足が覚束なくなるまで乱暴に扱うというのは完全な法律違反だ。ソラを捕えていた王太子の前の主人でさえ、ここまではしなかっただろうという有様だった。

「ご婦人、憤るお気持ちも分かりますが……」

 男が止めてくれる。それで分かった。これは珍しいことではないのだ。

 ソラは一気に奴隷商人と思しき男の前へ躍り出ると、その自分の腿よりも太い手を払って奴隷を自分の後ろへ逃がした。

「……ご存じないのかもしれませんが、この帝国内で奴隷を乱暴に扱うことは許されませんよ」

「あ? なんだテメェ」

 市場の日常が塗り替わる。人々は息を呑んでソラ達三人を見守っている。小さな声で、あの子の保証人は誰だ、という声が聞こえた。

「聞こえませんでしたか。おやめなさいと言ったのです。奴隷だからと言って年端もいかぬ子を殴って良い言い訳にはなりません」

 激昂した男が今度はソラの胸倉を掴んだ。子供が後ろで小さな悲鳴を上げる。

「部外者が口出しすんじゃねぇ! 俺ンとこの商品だ!!」

 分厚い拳がソラの頬を殴りつけた。その拍子に面紗を留めておく飾りが千切れて地面に落ちる。男が生唾を飲んだ音が聞こえた。罪悪感からではない。目の前の生意気な女が大金に化ける可能性を感じて、商機に興奮したのだ。

 男はソラの顔をよく見るべく、顎に手をかけた。

「おいおい……こいつァとんだ上玉じゃねぇかァ。へへへっ、ちょうどいいや。お前も娼館に高く売りつけてやる」

 このまま民草に埋もれて生活をするつもりなのであれば、ソラはこの可哀相な奴隷を助けてはならなかった。女性は守られなくてはいけない。それはなにもただ自分を抑圧するためのものだけではなく、こうして力で言うことを聞かせようとする無作法者から守ってくれる男性に危害を加えないためでもある。それでもソラは耐えられなかった。

 鷹として仕事を割り振られ育てられたためではない。王太子が甘やかして彼女を育てたからではない。ただ、生まれ持っての気性が目の前の出来事を許せなかった。

 ソラは男の手を払った。

「奴隷を乱暴に扱うだけでなくその品性のなさ、恥を知りなさい!!」

 男はいよいよ頭に血が上って、ソラをもう一発殴ろうと振りかぶった。

「まぁまぁ、お待ちくださいそこの方」

 男の拳を止めてくれたのは、ソラに先ほど話しかけてきた金髪の男だった。鷹揚な話し方で交渉への慣れを感じさせられる。長い間商売で身を立てていることが見て取れた。

 男は人受けのする笑顔を浮かべながら商人の肩を優しく叩き、さりげなく商人とソラの間に割って入った。

「なんだお前、このバカ女のイロかァ?」

「申し訳ありません、私こういう者でして。親戚筋の子なんですが、少々箱入りと言いますか……。ですが、血筋は間違いありません。怪我をさせればご主人のご商売に差し障るかと。しっかり言い聞かせておきますので。ほら、リリー。謝罪なさい」

「あなたは……」

 男が北大陸の言葉でソラを窘める。

『リリー、伯父様の言うことが聞けないのならお父様に迎えに来てもらうよ』

 話を合わせろと男が目で合図しているので、仕方なくソラは従うことにした。なんにせよこの場を収めてくれようとしているのだ。

「おじ様、ご無礼をお許しください」

 屈辱だったが、自分ひとりで解決できなかったから彼は助けてくれたのだ。唇を噛みながら北大陸式のお辞儀をすれば、奴隷商人は溜飲が下ったらしい。分かれば良いんだよ、とその場を立ち去ろうとする。

「おい、お前」

 声をかけられた奴隷がうずくまったまま息を呑む。

 この子供がまたひどい目に遭うと想像しただけで、ソラは胸が苦しくなった。助けたいが手段がない。

「……この狼人ろうじん、いくらだね」

 信じられない話だが、金髪の男は確かにこう言った。

「金貨二枚だ」

 金色の硬貨が奴隷商人に支払われる。言ったよりも多い金額が支払われたのだろう、男はみるみるうちに機嫌を良くして笑顔で人ごみの中に消えていった。

 その憎たらしい背中を見送って見えなくなった時、ソラは自分の足の震えから立っていられなくなり、その場に膝から崩れ落ちた。

「すいません、通ります、すいませ……ソラ!」

 ケビールの声が聞こえて、ソラの手を引いて立ち上がらせてくれた。呆れ半分、安心半分といったところだ。

「何やってんだよ! 知らない人に迷惑までかけて! すいません、ご主人。婚約者が相当迷惑をかけたみたいで」

 謝罪をするケビールを見て、金髪の男性は不思議そうな顔をしている。通常成人した親族が務める保証人を、明らかに別種族のケビールが勤めているので無理もなかった。

「……このご婦人の保証人はあなたなのですか?」

「はい、諸事情で。本当は俺が見ていないといけないのに、ご迷惑おかけしました。本当にありがとうございました」

 ケビールは黙ってソラの後頭部を押さえて一緒に頭を下げてくれた。ソラがどれほど無謀な喧嘩を売ったのかは自分が一番よく分かっている。

「頭を上げてください。実はあなたと話がしたかったのです。少し時間を設けてはいただけませんか」

 金髪の男にそう言われて、ケビールはソラと男を交互に見た。そして、少し不安げに男の申し出を受け入れた。

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