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宵闇に灯火の唄を  作者: 野木 千里
第二章
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54話

 金貨一枚。ソラとケビールが結婚し、式を挙げるために必要な金額である。

 麺麭一つが小銅貨一枚、小銅貨六枚で銅貨一枚、銅貨で三十枚で銀貨一枚、銀貨四十二枚で金貨一枚。ちなみに金貨が六十枚揃うと大金貨とも交換できる。交換が許されるのは登録された資産家と許された身分の者だけなので、ただの自由民として登録が許されたばかりの二人には何の関係もない話だが。

ムルシドの護衛としての給金が一月に銀貨二十枚なので、ケビールの給金だけであれば結婚式の費用を貯めるのに三か月働かなければならない。他国に調査に行くということで色を付けてくれるそうだが、式を挙げられるのは随分先になりそうだ。

二人の自由民登録のための銀貨二十枚は既に給金から前借している。

 それを早く返してしまいたくて、ここのところ二人は内職に精を出していた。赤花祭のときに村の青年たちから大量に頼まれたおかげで、ソラは随分刺繍の手が早くなっていた。これを売ってきて欲しいとケビールに頼みに行った時、彼も丁度内職の商品がそれなりに揃ったようで「それなら次の休み、市場に行かないか」と誘ってくれた。折れた腕の骨が治ったことで、外出して生活用品を多少買い足したかったのも理由の一つだろう。

 そういうわけで今二人は北大陸と南東大陸の交易の要、サヒルの大市場にいるのだが。

「銅貨十五枚ってとこかな」

「へぇ、しけてんね。これが十五枚っておっちゃん目利き大丈夫か?」

 ケビールがソラの刺繍細工でふっかけだしたのだ。

 今現在彼が持っているのはソラが手習いに作った手巾だ。手持ちがほとんどなくて、大した布が買えなかった。それで銅貨十五枚と言ってくれているのだ、まだ良心的な方だとソラは思った。西大陸から来たと思われる布屋は多種多様の布を取り揃えており、目利きは悪くなさそうだった。それなのに自信満々のケビールにソラは後ろで見守ることしかできない。

「そっちの色が多い座布団かけなら銀貨一枚と銅貨十五枚で買ってもいいよ」

「安すぎ。知らねぇの、この子の作品ウチの国じゃ人気過ぎて手に入るのに二月もかかるんだ。そんなんじゃ売れないね」

 嘘ではない。

 嘘ではないのだが、ソラは刺繍で身を立てているわけではない。人だかりまでできて皆言いたい放題だ。

「兄ちゃんそりゃ言い過ぎだ」

「いやいや親父さんの目利きが悪い。ありゃもっと払ってでも欲しい」

「お前さんが買ってやれよ」

 王宮出入りの宝石商がいないことを祈りつつ、ソラは面紗ヴェールを深く被りなおした。また居所が発覚したら今度こそ逃げ場はないだろう。ムルシドなら「やぁ、傷が治るまで預かっていたぞ。誘拐犯の首はくれてやろう」と笑顔で二人を突き出すに違いなかった。

 そうこうしているうちに店頭での騒ぎが気になったのか、奥から女性が顔を覗かせた。西大陸の人間だ。彼女はソラの刺繍にちらりと目をやり、それから店主の頭を拳で殴った。随分強い訛りのある邯志ハーン・チィ語でソラには聞き取れなかったが、もう一度殴られる前に店主が降伏し、ケビールに頭を下げてきた。

「すみませんでした。もう一度だけ査定をさせてください」

 随分と腰が低くなった店主に野次馬がざわめきを上げる。

 店主はソラの刺繍を一枚ずつ丁寧に見て、最初の手巾と座布団掛け、小物入れ等全部で八点の商品を丁重に受け取り、銀貨を差し出してきた。

「拝見いたしましたが、どれも素晴らしいものでした。珍しい意匠ですがとても繊細で品が良く、きっと色んな方に気に入っていただけるでしょう。是非、私どもに買い取らせてください。あと一月ほどはこちらにいますので、その間に出来上がったものがあれば、またよろしくお願いいたします」

 全部で銀貨十五枚での買い取りに野次馬がどよめく。

 ケビールは売値に満足が行ったのか満面の笑みだ。ソラの手を掴んでその場を立ち去った。ソラは自分の刺繍に高値がついたことが信じられず、何度も何度も振り返りながら店を後にした。

「さて、俺の籠も多少の金に化けてくれたし、昼ご飯でも食べて帰ろうか」

「その……ケビールさん、あの、とてもいい匂いがするんですけれど……」

 ソラの視線の先には揚げ麺麭の屋台がある。セメクでも見たことはあったが、おつかいの最中に買うようなことはなかった。ケビールは揚げ麺麭か、と若干不満そうなものの、高揚している様子のソラの顔を見て銅貨を握らせてくれた。

「じゃあ俺の分も買ってきてくれる? 俺も何か食べられそうなもの買ってくるから、買ったら絶対に店の傍にいて」

 ケビールはそう言ってソラに銅貨を二枚渡してくれた。気の良さそうな店主が子供に群がられながら麺麭を揚げている。その上その揚げた麺麭に砂糖や蜂蜜をかけてくれるらしい。麺麭の香ばしい香りと砂糖が少し溶ける香が混じりあってなんとも言えない良い香りがする。

 初めてのお使いに心躍らせながら、ソラは手汗でべたべたになった銅貨を店主に差し出した。

「揚げ麺麭二つください」

「はいよ! 砂糖と蜂蜜どっちがいい?」

「お砂糖がいいです」

 子供たちが鳥っ子だ、鳥っ子だ、と物珍しそうにソラを見るが、その目に嫌悪感はない。揚げ麺麭を買うお小遣いをもらえるような市井の子供が、獣人族に対して恐怖も嘲笑もしない。話す言葉は近いのに、山脈一つであまりにも状況が違う。それがソラには羨ましくもあり、一層主人の掲げていた法改正を早く進めて欲しい思いにさせられる。


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