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宵闇に灯火の唄を  作者: 野木 千里
第二章
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53話

 ケビールは護衛としてムルシドに雇われることになっており、どうやら体を元通り動かす厳しい訓練を課せられているようだった。体の筋が張って痛いのだという彼は、部屋に訪れたソラを見て顔を輝かせてお茶を入れてくれた。

 護衛の宿舎はソラが現在寝泊まりしている部屋よりも二回りほど小さい。部屋には小さな火鉢が備え付けられており、そのおかげで暖かかった。

 砂糖は入らないが温かいお茶をありがたく飲みながら、ソラは肩掛けを自分の体に巻き付けなおした。

「本当はすぐ会いに行きたかったんだけど、訓練が終わってすぐ寝ちゃってて。ごめんな」

「いいえ、私の方から来ればよかったのですけれど」

 部屋には古ぼけた丸椅子が一つ置かれているだけで、他は寝台に座る他ない。来客であるソラは丸椅子に腰かけている。

「その髪飾りは?」

 髪に挿された木製の髪飾りを見てケビールが首を傾げる。結い上げが終わった女子が髪を下ろしているのは流石に可哀相だと宛がわれたものだ。新しいものを手に入れるまでの間貸与されることになっている。

「新しいものを買うまでの間貸していただきました」

 王宮にいた頃支給された髪飾りは金細工の上に宝石が散りばめられた一級品だ。そんなものを挿していれば一目でソラがユルクの鷹であることが分かってしまう。人の口に戸は立てられないものだ。不用意な行動は避けねばなるまい。

「そっか。今度給料貰ったら買いに行こう」

「はい、是非」

 ケビールがソラの手を取って優しく擦る。部屋に良いやすりを置いてもらっているので、ソラの指先は綺麗な曲線になっていた。朝一番に柔らかな形に削ることがここ三日の日課だ。巻物を読みやすいようにとそうしていたが、好いた相手に触られて怪我をさせまいか気を揉む必要がないのはいいことだ。

 初めての口付のことを思い出してしまいなんとなく後ろめたい気持ちになっていたソラは、ケビールの目をじっと見つめる。首を傾げられてはしたないことをしていたことに気づき、彼女は赤面した。

 ケビールは気分が良くなったのか、ソラの期待に応えて唇を軽く食んですぐに身を引く。

「……どこで覚えたんだよ、その顔」

「えっ? いえ、はしたないことをしたな、と思って」

「ふーん……。まぁそういうことにしておいてあげる。俺に会いに来ただけならもう一回したいけど」

 ケビールの言葉で当初の目的を言い出す機会が出来たので、ソラは慌てて、いえ、と断りを入れた。すかさずケビールがむくれるが、ソラは咳払いをして気恥ずかしさを誤魔化すことにした。

「実はムルシド殿下から、呼歌の研究に協力するようにと打診がありました。その関係で他種族への聞き取りなどをご所望なのです。別大陸への調査も任務の一環に入っておりまして、長期間ミガルティから離れることになるので、まだ返事はしておりません」

 それを聞いてケビールがなんとも言えない顔をしている。

「……それって断れんの?」

 断れないだろうことは分かっているだろう重々しい表情だ。もちろん、断れるはずがない。使い道があるからソラは殺されずに済んでいるのだ。協力しないとあらば良くて国外追放、最悪の場合ケビールと揃って処刑されることになるだろう。

「それでも、先にあなたには伝えておきたくて」

 こんなことになった手前それに甘えるのは申し訳なく、ソラは彼の顔を見ることができなかった。

 うろつく視線の先はまだはっきり残っている、彼の手のひらに刻まれた刀傷だ。

「……そっか」

 ケビールは静かな声でそう言って、窓に取り付けられた織物を見ている。考え事をしているようだ。

 ソラの持っている飲み物が無くなりお替りのお茶も冷え切ったところで結論が出たらしい。突然彼はこう口走った。

「皇子様さ、俺たちが頑張って仕事終えたら結婚式の許可出してくれるかな」

「ごめんなさい、仰りたいことの意味が分かりません」

「だから、真面目に仕事したら俺たちにミガルティでの居場所くれるかな、って」

 その言葉にソラははっとした。

 二人は現在、ムルシドの庇護下でしか生きられない。突然湖に飛び込んだ招かれざる客であることに変わりはなく、また親もいない未婚の男女が二人きりでは何もできない。家を買うことも、子供が生まれる時に産婆を呼べるかも怪しい。なぜなら後ろ盾がなく、社会的な信用もないからだ。

 ソラとてケビールと共に生きたい。だがそれ以上にこの最悪の事態に対する申し訳なさが先立つ。そして、心の片隅ではずっとこう思い続けていた。

 彼には悪いことをした。村に戻って自分以外の誰かと結婚したいと言われても、決して引き留めることはしないでおこう、と。

「あとできれば俺も一緒に行きたいなー。ソラちゃんモテるから、長い間出られたら同行者への嫉妬でどうにかなりそう。ね、頼んどいてよ。それくらいならいいでしょ」

「ケビールさん」

 ソラは立ち上がって、彼の腕の中に納まった。当然のように受け入れてくれるケビールのなんと寛大で、心強いことか。

「あなたの同行の件も、結婚許可の件も掛け合ってみます。本当にありがとうございます」

 族長一家には大変申し訳ないことだが、当分の間この眩いほど優しく真っすぐな青年をソラは独占させてもらうことにした。そして、できることであればできるだけ早く彼の出身地であるアブヤドの村へ行きたいという微かな希望も込めて、ソラは閉じた瞼の裏側で村人たちの顔を一人ずつ思い出すことにした。

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