50話
ケビールが鈴で呼んでくれた女官は、ソラの体を手巾で拭いて清潔な寝間着を着せてくれた。背中が刳り抜かれた鳥人族用のものだ。自分の下着を返してもらい、腹のあたりに縫い付けた銅貨を確かめてソラは安堵した。いよいよ財産は麺麭一つ分と成り果ててしまったが、あるとないとでは心強さが違う。
女官は獣人族を見慣れているのか、おしゃべりをしながら二人のために軽い昼餐を用意してくれた。棗の浮いた乳粥だ。たっぷりの蜂蜜が入ったそれは、ソラには美味しくてたまらなく、ケビールには甘すぎたようだった。ソラが全て食べきる間、彼は忌々し気に乳粥をつつきながら付け合わせの豆と麺麭を食べて空腹を紛らせていた。もしかするとミガルティ式の料理が口に合わないのかもしれない。カプラ王宮では亡くなった正妃がミガルティの元皇女で、その死後も彼女を悼んでミガルティの料理が時折出ていたため、ソラには慣れた味だったが。
「領主様のおなり!」
その言葉と共に、サヒル地方領主が部屋に入ってきた。怪我人二人に大げさなことだが、護衛が五人も付き添っている。二人はいよいよ牢獄に押し込まれる覚悟を決めて深く頭を下げていたが、一向に沙汰が下らない。
「うむ、良かろう。顔を上げよ」
張りのある声に促されて顔を上げ、ケビールは口を閉じ忘れ、ソラは顔を引き攣らせた。
年のころは二十歳あたりで見間違えはないだろうが、顔がユルク王太子と瓜二つだ。髪も黒く、同一人物だと言われれば信じる者がいてもおかしくない。ただ、ユルク王太子よりも顔立ちがやや派手で、目は透き通りそうな紫色だった。
「王子様!」
ケビールが思わず声を上げ、領主は満足げに微笑んだ。
「うむ、余はミガルティ帝国第五皇子のムルシドである」
サヒル地方はミガルティの帝都から随分離れているので、ソラは完全に油断していた。二人はカプラ王国の晩餐会で数回会ったことがある。最後に会った時ミガルティ帝国内は五人の皇子の皇太子争い真っただ中で、まさか王宮の外で、ましてミガルティ国内の辺境地で会うことなど想定していなかった。予定であれば彼は王都近くの土地を宛がわれるはずだったのだから。
ムルシドはその鮮やかな色の目でソラをじっくりと眺め、優美に笑った。
「やはりユルクの鷹であったな。可哀相に、この男にそそのかされて駆け落ちでもしたか? ん? いや、そそのかしたのはお主か! でなければユルクから鷹を取ろうなどと愚かな考え、凡夫には思いつくまいよ」
言いたい放題だが、ソラは返事ができなかった。運が良ければ忘れているかと思ったが、流石に王太子の鷹を忘れてくれてはいなかったらしい。黙り込んだままのソラのことを気にも留めない様子で話し続けている。
「愛いなぁ、間夫のほうは殺してお主だけでも余の金糸雀として飼ってやっても良いが。そうだ、動けるようになれば余の褥に来い。もうユルクの元へは戻れまいが、それならば生活の保障はしてやれるぞ。もう一人金糸雀がいるから毎晩は可愛がってやれんが」
手の甲に這わされた指先を振り払うべきかソラは悩んだ。
皇子はソラを金糸雀として側に置いても良いという。しかもソラがユルク王太子を裏切って戦場で敵対したことを知らないらしい。ケビールを国に返してもらうことを条件にムルシドの金糸雀になればケビールは助かる。後で真実が明らかになってソラ一人絞首刑になったところで、もう何度も死にかけた命だ、惜しくない。
歌はあまり知らないし、本職と比べると劣るが踊りも嫌いではなかった。身内の贔屓込みだろうが王太子は上手だと褒めてくれた。そのうち朝まで踊りあかせるようになるだろう、と金糸雀の仕事について盛大な勘違いをしていることを知りもしないでソラは真剣な面持ちだ。
「褒めていただけなくても、仕事であれば一晩中踊りあかせるよう努力いたします。歌も、声が出なくなるまで歌い続けましょう。ですからこの方の命を奪うことだけはお許しください。お願いします、本当に、駆け落ちなどではないのです」
絶対服従を示すために、ソラは手のひらを天井に向けてムルシドの方へ深く頭を下げた。剣を突き立てられるかもしれない恐怖からソラは震えた。
「訳の分からんことを言うな」
冷たく言い放たれて、ソラは必死で縋った。
「金糸雀として、お仕事を全うします。異国の歌でもご要望とあらば」
「こんなことを言いたくないが、あやつ相当に趣味が悪いな! 本気でお主のような女子を鷹にしておったのか? というかお主それなりに一緒におったのだろう、教えてやらんか!」
「えっ、俺? ごめんなさい?」
いきなり自分の方へ話が飛び火してケビールは慌てて謝罪する。
ムルシドは深くため息をついて肩を竦めた。眉間に寄せた皺を揉み解して、ケビールに指で指示をする。
「そ、そのー……。ソラちゃん、気を悪くしないで欲しいんだけど。金糸雀って歌って踊るのが仕事じゃなくて……。その、主人と褥を共にして……寝るっていうか……えっと。口付とか、色々するのが仕事なんだけど」
逆らえなかったケビールが解説してくれるがいまいち要領を得ない。
「えっ何故そんなことを?」
「う、うーん、そう言われるとなんでだろうな。金糸雀飼えるんだから嫁さんの一人くらい、けちることないよな?」
二人は顔を突き合わせて悩み、それから大変無礼な目でムルシドを見た。危うくケチの汚名を着せられそうになったムルシドがケビールに拳骨を食らわせ、ソラの頭を撫でた。




