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宵闇に灯火の唄を  作者: 野木 千里
第二章
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43話

 久方ぶりの故郷の風だ。

 セメクの湿った空気とも、鳥人族保護区の乾ききった空気とも違う。暑さのわりには乾いており、海の香りがべったりと鼻腔に張り付く。

 ソラはセメク側の採掘場の天辺に背丈ほども長い面紗のついた扇子を持って腰かけていた。面右手にセメクとの国境である大河川が広がっており、今回唯一の淡水河川をまたがるように軍が配備されている。護衛の男たちが荷鳥に乗って岩壁あたりに控えていて、ソラの隣には鳥人族の村長がいる。彼がソラに御力の使用命令を出す。戦局を握っているのは後方部にいる国営族長のうちの一人だ。青と黒の旗を掲げている。ソラが持っている扇も同様の配色で、川の流れと恵に感謝する模様らしい。

 対するカプラ軍はやはり王太子の指揮の元集められたようだ。掲げられる旗も旗飾りも翡翠だ。金糸で王太子の紋章が縫い付けられている。荷鳥も馬も十分用意されている上に、訓練の行き届いた軍だ。

 王太子は護衛とラヒムと連れて、ソラから見て左手側の採掘場に席を設けている。川から最も離れた位置で、国営族長がいる方からはやや川の下流側にあたる。背後にも大きな川があるが、獣人族軍に対する罠だろう。国内唯一の塩川だ。顔こそ見えないものの、人数は確認できる距離だ。出来ることなら今すぐ飛んで行って、戦争は終わらせたほうが良いと提言したいくらいだ。装備品で王太子とラヒムは見分けがつくが、ソラや護衛が行くのは危険だ。たどり着けたとしても、文官であるはずのラヒムも相当腕が立った。勝てる見込みは薄い。

「あれが君の元主人か。まだ若いな」

 世話話でも、と村長は思ったのだろう。難しい顔をしたまま話しかけてくる。

「今年十五です。初陣ですが、座学も剣術も乗馬も、他の王子より頭一つ二つ抜けていますよ。油断なさらないよう」

 万が一にも彼に被害が及べば、今回の戦闘は収拾がつかなくなる。なにしろ相手は生まれただけでカプラ王国内に特需を生んだ男だ。怪我の一つでもさせようものなら相手軍は激怒し、セメク側の戦線は一刻ともたずに崩壊することだろう。

 王太子もソラを見ている。頭を下げたい衝動に駆られたが、そんなことをしては士気に関わる。

 その時、戦闘開始の鐘が鳴った。これがいつもの小競り合いでも軍事演習でもないことを双方に理解させるためのものだ。国が取り仕切る、手順が踏まれた戦争。王太子の栄えある初陣だ。隣に立つことができればどれほど誇らしいことだっただろう。

 前線は予想通り混戦している。始まったばかりだ、教科書で習った通りの戦いぶり。被害に大きな差はない。

「歌え!」

 突然叫ばれて、ソラは反射的に一節だけ叫ぶように歌った。

 文句を言う前に、前線の前から離散する矢の群れを見て血の気が引く。慌てて歌を続けて追い風を呼びながら、ソラは眼下に広がる戦闘を見た。

 荷鳥に乗った兵士たちがソラの様子を伺っている。

 どうやら向こうの狙いは早期決戦のようだ。恐らく王太子の鷹が戦乙女として強制従事させられていることになっているのだろう。それを奪還するのがカプラ軍の大義名分のはずだ。うまくいけば無傷で捕獲し、次の戦線でソラを戦乙女として活用することもできる。

 まだ王太子の元に戻るわけにはいかないのだ。絶対に連れ戻されるわけにはいかない。ソラは一際深く息を吸い込んだ。

 一番強く長く続く風を起こせばいいだけのこと。荷鳥を自分に近づけなければいい。

 ソラは扇子を揺らしながら、先ほどの歌を復唱した。呼歌の重ね掛けと言うらしい。ソラが扇子を振るのを見て、味方の弓兵たちが弓を引く。

「風の精霊よ

 我々の背にその息吹を

 追い風を翼に受けて

 あなたへ賛歌を

 愛し麗し母なる風よ

 我々を守り給え」

 歌の一節ごとに風が強まり、放たれた矢がカプラ軍の想定しない範囲まで被害を及ぼす。反対に、カプラ軍からの矢は前線まで届かない。向かい風で弱まった矢程度であれば、戦乙女の歌でなくとも鳥人族であれば呼歌で対処できる。

 不思議とソラは体の中からふつふつと浮かんでくる力が体中に満ちる感覚を味わっていた。先ほどまでの吐き気もない。見下ろす先のカプラの軍人が、化け物を見る目でソラを見ている。彼らは戦乙女の話を聞いたことがないはずだ。先の戦争の時、戦乙女が出たという話は聞かなかった。資料でも見たことはない。戦場に出ることを前提として育てられたソラが知らないのだ、今回のために連れてこられた兵士が知っているはずがない。

 自分の体が作り変えられるような恐怖と、新しい自分に生まれ変わるような高揚感。それは快感に近かった。

 随分長い間猛威を振るうようになった風は、ソラが扇を振った方へ流れる。初めてのことだったがソラは驚かなかった。そうできるという確信が何故か自分の中にあったからだ。

「おお、信じられん……」

 怯えるように村長が言った。

「ここまで風を当然のように使役する乙女は見たことがない。お前さん、体は辛くないか。しばらく歌わんでよい。これ以上は風に足を取られる」

 もう一節だけ歌ってはどうか、と思ったが、ソラは村長に言われるままに口を閉じた。歌えばわざわざ軍を動かさなくても、強風で王太子に旗を降ろさせ、立てないようにさせれば隙を作れるのに、それはしないという。

 腹の奥から何かが沸き上がっている感覚だ。歌って発散させたいが、それは望まれないというのなら我慢する他あるまい。

 しかし沸き上がる感覚を抑え込むのはあまりに辛く、ソラは岩場に座り込んだ。言葉一つ溢せば、今なら大雨を降らせられそうだった。被害が出ないよう、言いつけを破らないよう、ソラは口から歌が漏れ出ないように歯を食いしばった。

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