36話
麗しき空の精霊よ
眩い顔覗かせて
あたたかな息吹をひとつ
恵みの雨を手のひらに
私は小鳥、今日もまた
雨が恋しく歌う朝
時刻は昼過ぎだ。こんなでたらめを歌って雨が降るのであれば確かに治水より楽だ。
胸の内で毒づきながら歌い上げたソラは、頭上を眺めた。これで一切雨に恵まれなければいっそ楽で良かったのだが、憎らしいことに分厚い雲に覆われはじめている。
野次馬が昼餐を取りながら頭上を眺めている。子を成したばかりだろう元雨乞乙女は産後の肥立ちが悪く床に臥せているらしく、姿を見ることは叶わなかった。
ぽつり、と雨がソラの手元に落ちてきた。気持ちも込めずに歌ったにも関わらず雨が振ってきたことがにわかに信じたくなくてソラが頭を抱える。
「私、自然教については全然詳しくないんですよ」
「知らずにこんだけ威力があるっていうのが恐ろしいよね。一体何を考えながら歌ったの」
クナトゥラが気味悪そうにソラを見ている。
「天上神です」
「チチェクさんに似てて良かったね。不細工だったら雷に打たれて死んでたかもね」
笑顔の脅しにソラは震えあがった。歌えと言ったのは彼らだというのに、事前に確認もしてもらえなかった。ケビールが隣で「大丈夫、俺も力を使う時はいつも適当にやってるから関係ないって」と慰めてくれるが、魚人族のそれと鳥人族の能力は似て非なるものだ。
本降りとなった雨から逃れるべく、村長の家に皆で引っ込む。外を走り回っているのは子供たちだけだ。
「あなたがソラの婚約者のケビールくん?」
ソラの母がケビールに声をかけた。ケビールは真剣な顔をして母に向き合った。
「はい、そうです。ちゃんとしたご挨拶も出来ないままに決めてしまいましたが、近々結婚式を挙げたいと思っています。お義母さんにも祝っていただければ幸いです」
ケビールの言葉を聞いて、母は少女のような笑顔を浮かべた。どうやら二人の結婚に反対をする気持ちはないようだ。
「まぁ、そうだったのね。ソラとは小さい頃に別れちゃったから、こんな嬉しい話を聞けるとは思わなかったわ。本当に、嬉しいわ。ありがとう」
そう言ってチチェクは少女のような笑い声を上げた。部屋には彼女の軽やかな声と雨の音だけが響いている。村長は窓の外を見遣り「それにしてもよく降る」とひとりごちた。
「一度でこれだけ降れば十分だ。可能なら十日に一度、難しければ二十日に一度で良い。来てもらえるだろうか。報酬と言ってはなんだが、花嫁衣裳にかかる費用一式をこちらで持とう。それから、紅玉髄も必要なだけ用意しよう。どうか頼む」
頭を下げる村長の傍には必死に用意しただろう白い絹と金糸、それから山盛りの紅玉髄が置かれている。
「いや、申し訳ない。花嫁衣装はもうこちらで用意しましたので報酬は結構です。その代わり、俺としては彼女と早く結婚がしたくてたまらないんです。務めは収穫期の直前まででお願いします」
「む。確かに収穫期に雨は不要だな。雨季の始まりまで頼みたかったが、致し方ない。そこまで頼みたい」
「こちらこそ」
ソラに返事をさせないように、食い気味にケビールが話を進める。なぜ、と問いたかったがこういう時は発言を控えるに限る。
野次馬たちが客人に興味を示して窓から覗いてくる。
「カルハマンの娘さんだって」
「生きてたのか! もうどこぞの金糸雀になってしまったとばかり」
「チチェクのあの嬉しそうな顔をご覧よ」
概ね歓迎するような雰囲気だ。二人が到着した時の剣呑な雰囲気は消えている。
単によそ者に警戒していたのだろうか。それとも、少人数の来客で何か村にとって不利益があったのだろうか。
「待て、カルハマンのとこの子って茶髪じゃなかったか」
誰かがそう言った。
やはり村には長い間滞在しない方が良さそうだ。
「夕飯くらいは食べていくでしょう? 長旅だったもの、それに母さんソラと話したいわ」
期待に目を輝かせて母が懇願してくる。自分のことを思えば、早く村を発った方が良いに決まっている。村人たちがソラのことを国の人間に言う前に、噂が広まる前に出ていかなくてはならない。
だが、十年ぶりの母の声だ。自分が覚えていなくても、彼女の願いならば一つ二つ聞きたくなるような不思議な感覚がソラを襲う。
判断がつかず、ソラはケビールの手を握った。
「お義母さん、実は村に用事が残っているんですよ。もちろん今晩くらいは泊まっていきたいんですが、無理を言って出てきたんです。俺が族長の息子なもので、二人の仕事がどうしても多いんです。ね、ソラちゃん」
やはり長期滞在は危険だ。ソラの欲求とは別に、状況で判断するなら今すぐにでも発ったほうがいい。多少村長とは話さなければならないだろうが。
「はい。お母さん、わがままを言ってしまってごめんなさい。ありがたいことにお仕事をいただいていますから、もう戻らないと。本当は沢山お話したいのですけれど」
そう言いながら母の手を握る。情も思いもあったものではない。打算で伸ばした手に涙を流す母親に罪悪感を募らせながら、ソラは微笑んだ。胸の内は自分に対する嫌悪感でいっぱいだった。
十年ぶりに会ったのに。あの暗がりであんなに助けを求めて呼んだのに。こんなに泣いてくれているのに。
だが、今の状況を母に伝えることも危険に思われた。
「分かったわ。そうよね、もうお嫁に行くんだもの。忙しくて当たり前だわ」
「本当にごめんなさい。結婚式には来てくださいね」
これも大嘘だった。それなのに母は喜びの涙を湛えて何度も頷く。この十年、どれほどソラを思ってくれていただろうか。再婚をした様子もない。まだ若かった彼女が味わうにはあまりにも強烈な苦痛と孤独だったのではないだろうか。
申し訳なく思いつつも、ソラは村長に向き直った。
「二十日に一度参ります。私のことは口外なさらないように村の方にもよく言ってください。巡回は何日に一度で、どなたが?」
一介の兵士であれば、遭遇したとしても上手く誤魔化すことができるだろうが、顔見知りと出会ってしまえば言い逃れはできない。絶対に確認しておかなければならないことだ。
村長は言いづらそうにしばらくもごもごと言っていたが、ソラの経歴を思い出したらしい。重々しく口を開いた。
「巡回は不定期だから何とも言えないが、乾季の間に二、三回。昼前頃に来ると思う。今までは国王軍の兵士だったが、『鷹』が盗賊に攫われてからは王だか王子の副官だという男が来る。難しい顔をした、四十前後の……」
ぞっとしてソラは口元を抑えた。ラヒムだったとしても鉢合わせれば最悪だが、想定できる人物はより悪い。
神経質で、軍人としての歴も長く、少しの違和感も見逃さない男。ソラが王宮で一番怖くてたまらなかった男だ。
「イーティバル閣下……!」
彼と鉢合わせて無事でいられる自信がない。ラヒムであれば多少の情があるので、見逃すまではいかずとも、ケビールに危害を加えることはしないだろう。だが、あの男であれば下手をすれば二人とも殺される。果たして二人で済ませてくれるのかも怪しい。
「……最悪だな」
ケビールが声を絞り出した。
一目見ただけで一介の軍人でないことが分かる威圧感なのだ。ケビールも行商で王宮に訪れた際、彼に一瞥されて、その鋭い眼差しに肝を冷やしたことを思い出したのだ、と彼は付け加えた。
「村長、条件を変えさせてくれ。俺たちは朝日が昇る前に来ることにするし、雨乞が終わればすぐに発つ」
「だが」
「見つかったら俺たちだけじゃ済まされないぞ。こっちは国営族長に話を通しておく。村人全員に箝口令を敷いてくれ。でなけりゃ雨乞乙女は他を探してくれ。ソラ、帰ろう」
ソラもケビールもこの話が危険極まりないということはよく分かった。だが手放しで断れる相手でもあるまい。これ以上、条件が悪化する前にこの場を去るべきだとふんだ。
彼らの心情を理解しているのか、村長の息子のクナトゥラが荷鳥を連れてきてくれる。荷鳥はまだ旅の疲れが取れた様子ではないが、二人のただならぬ気配に気が付いてか頬を摺り寄せてくる。
二人に荷鳥を渡す際、クナトゥラが小さな声で言った。
「すまん」
それがどういった意味で発せられたものなのか分からなかったが、どちらにせよ、『鷹』の捜索が行われていることを知って二人を呼び寄せたのは彼らだ。許すなどと不用意に発言ができるはずもない。




