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宵闇に灯火の唄を  作者: 野木 千里
第二章
34/142

31話

 お茶を入れなおして、二人は向かい合った。ソラが何気なく上座に座ったのに気が付いて、ケビールが不審な顔をする。祭りでも食事でも、ソラが必ず下座に座ることを彼は知っているからだ。王宮内で仕込まれたことなので彼がどのくらい把握しているのかは分からないが、少なくともいつもと違うことに違和感を覚えていることだろう。

 ソラは深く息を吸った。鷹として仕事をしたことはほとんどない。晩餐会や宴に招かれた程度だ。だが、鷹として必要な教育は全て受けた。結婚式に向かう前日まで。

「私が王宮から出てきた理由をお話いたします」

 ケビールが息を呑んだ。

 彼からの縁談を受けるにしろ蹴るにしろ、伝えるつもりはなかった。自分の仕事は終わったものだと思っていたからだ。だが、まだ仕事が残っているのであれば話は別だ。

「ご存じの通り、私は結婚式の前日に旅芸人の一座と盗賊の一派からの協力を得て、馬車から逃げ出しました。『鷹』でいることに嫌気が差したのでも、結婚相手に不満があったわけでもありません。むしろ、そうですね。婚約者は私のために子を成すまで数年間王都で暮らす約束をしてくれるような方でした。王太子殿下に貰われてから九年間、私は殿下に尽くして参りましたし、これからも機会があればそうしつづけるつもりです」

 どう言えば齟齬が生じないか、彼の疑問に全て答えることができるのかソラには分からなかったが、言うしかあるまい。これ以上黙っているのは不徳というものだ。

 王宮訛りのカプラ語は聞き取りづらいらしく、ちょっと待って、と声がかかる。

「じゃあ、『鷹』でいるつもりだったし、婚約者も嫌いじゃなかったけど、王太子のために出てきた?」

「はい」

「続き、聞いていい?」

 恐らく使い慣れない『鷹』と『王太子』の単語だけが随分と王宮訛りの、ソラから聞いたままの発音だ。そこだけ強調されるようでソラの耳には気持ち悪く残る。だが、ケビールがかなり達者にカプラ語を話すということは理解できた。

「王太子殿下は長い間、鳥人族への市民権付与に向けて尽力なさっていました。ですが、私を奴隷として傍に控えさせている以上、説得力に欠けるという意見もございました」

「そりゃそうだろうな」

 恐らくそこに異議を唱える人間は少ない。

「家族同然の奴隷を処分できるほど、殿下は無慈悲ではありません。特別に私に市民権を与えたとして、なんの解決になりましょうか。結婚して鷹として働いたとしても、身分に変わりはありません。私がいなくなれば、殿下の奴隷はいなくなります。鳥人族の市民獲得への障害が一つなくなりますから」

「それはなんかおかしくないか?」

 ケビールは憤って声を上げた。ソラは首を左右に振るが、納得できないらしい。手に持った茶器が震えている。割れてしまうかもしれないな、とソラはそれをじっと眺めることにした。

「そんなことしたって、あの王子様が悲しむだけだろ? 第一、ソラちゃんがいたから頑張ってたんじゃないのか。出てきちゃ意味ないだろ」

 彼の言い分こそ、人として正しいのかもしれない。だが、国中の誰もが、ソラとその主人に人の心を持った子供としての感情を持つことは願っていなかっただろう。だから二人はそれに答えた。そうして育ってきたソラは胸を張ってこう言うことができる。

「この政策こそ殿下の未来の王位をお支えすると確信しております」

 彼には到底理解できない考えだろう。

 幸せになるために努力するのであれば、きっと容認してくれただろう。だがこの件に関して幸せになれる人間は、少なくとも王太子とソラではない。それ以外の囚われの鳥人族だけだ。それも、今代ではなくこれから生まれてくる子供たちか、さらにその子供たちか。そういう途方もない話だ。

 この先は最悪の打診となる。下手をすれば村を追われることになる。近く控えたナダの結婚式に出席できないかもしれない。口に出さずともケビールには伝わったらしい。険しい顔をしている。

「忘れろと仰られるのであれば、昔のことは全て忘れます。ですが、私は私というだけで、いつかきっと軋轢を生みます。庇って欲しいとは言いません。守ってほしいとも。ただ、ご迷惑をおかけする可能性があることが事実だということを知っておいて欲しいのです」

 このまま人草の中に埋没していくこともできるだろう。過去のことを忘れて、ただ人より不器用な妻として微笑むことも。そうするのであれば、村の純朴な若者の誰か一人を選んで微笑みかけるだけでいい。絶対に族長に選ばれないような、さえない男であれば飛びつくだろう。苦労ひとつさせないよう頑張ってくれるに違いない。

『俺がソラちゃんに惚れてるの知っててこの話するか……』

 自国語で彼は呟いた。

 彼は違った。『守られていればいい』とも『過去の辛いことを忘れろ』とも、あんなに傍にいたのに、一度たりとも言わなかった。

 過去を全て隠して、ともすれば婚姻関係を揺るがす秘密を抱えて彼の元に嫁ぐという選択肢もあった。そのくらいの情を抱くほど、彼は真摯にソラに向き合ってくれた。

『でもものすごく納得した。そりゃ惚れちゃうよ』

 その顔が愛しいものを見つめる優しいものだったので、ソラは度肝を抜かれた。

 この男は、一人の人間が背負うには重すぎる話を聞かされて尚微笑むのか。ソラも彼に心惹かれる理由が分かって、笑みが漏れた。

 ケビールが自分の首飾りを外して、ソラの方へ手を伸ばす。彼女は黙って頭を下げて、それを受け入れた。

 逞しい腕が、ソラをそっと抱き寄せた。

『黙ってても俺一人上手く使えたろうに』

 それでもちゃんと伝えたかったのだ。あなたを騙して蔑ろにするつもりはないと。

 伝わったかは分からないが、これで彼に隠していることはなくなった。それが彼の真摯な対応への返事になっていれば良いのだが。

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