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宵闇に灯火の唄を  作者: 野木 千里
第二章
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28話

「夜道を一人歩きか、お嬢さん」

 後ろから声をかけられて、ソラは立ち止った。同時に胸を撫でおろす。

「ケビールさん」

 走って追いかけてくれたらしい。ケビールが息を切らせて立っている。手には灯も持っていて、怖い顔をしていたのに、ソラの顔を見て破顔した。

「寂しかったのに一人で帰ろうとしてたの? 俺を呼べばよかったんだよ」

「楽しまれているのに呼べませんよ」

「そう? 俺が抜け出したいなって思ってるかもよ?」

 それは流石に嘘だ。ソラにだって分かる。

 寒くて川に入れなくて鬱憤が溜まった村人たちが、皆楽しそうにしていた。美味しい食べ物だって沢山あって、家族で色んな話をしていた。友達とだって話したいだろう。

「俺さ、あそこにいると時々胸が詰まるんだ」

 族長の息子で友人が多いケビールでもそう思うのか。意外に思ったソラは彼の隣に立つ。そして話の続きを促した。

「一昨年、二つ下の妹が死んだんだ」

「ご病気ですか?」

「いや、事故」

 そう言ってから彼は、事故かなぁと呟いた。

「ウチの成人の儀式ってさ、この雑木林の向こうにある沼でするんだ。その年成人する奴らが沼に行って、皆でヌシの鱗を拾う。このヌシがすごい凶暴なヤツでさ、だから戦うこともある。一昨年は俺たちと、一つ下の奴らが成人の儀式を受けることになってたんだ。サーラ怒ってさ、自分も受けたい、自分も今年成人したいって。それで喧嘩になって……」

 ケビールの手が震えていた。ソラは手に持っていた髪飾りを懐にしまう。あの日そうしてもらったように、彼の手に自分の手を重ねたいと思ったからだ。

「沼に行くかもしれないって思ったのに、出て行ったアイツを追いかけなかった。俺たちいつだって一緒だった。アイツの結婚相手は俺が良いヤツを探してやりたいって思ってた。なのにさ、追いかけなかったんだ。俺のせいだと思う」

 もし、自分が遺体で見つかっていたら、きっと王太子もラヒムも同じことを言っただろう。ソラは何も言い出せなかった。しばらく考えて、それでもいい答えは見つからなかった。

「……サーラさんのことは分からないですが。今、私は、ケビールさんに自分のせいだと自責して欲しくないです。その、上手く言えなくてすみません」

「妹を守るのは兄貴の責任だ」

「全てケビールさんに責任が? なぜ?」

 それでは奴隷だったソラと同じだ。全ての責任を主人が持ってくれていた。ソラの仕事はその枠の中で生きることだった。結婚相手を自分で選んでいい場所なのに、妹だからといって責任を兄に持たせる必要があるのか。彼女にはその理由が分からなかった。

「分からないけどぉ……」

 嗚咽交じりの声を聞いて、ソラは隣を見た。これ以上ないほどの号泣だ。正直ものすごく困惑したが、手巾で顔を拭ってやることにした。これでは精悍な顔立ちも台無しだ。

 彼はソラの手巾を受け取り、鼻水を思い切りかんだ。もう手巾はあげよう、と彼女は決意する。

「こういう時って抱きしめて慰めてくれるもんじゃないの?」

 鼻を啜りながらもケビールは笑った。もう泣き止んでいる。ちゃっかりした男だ。だがそのおかげで、もうソラは寂しくなくなっていた。

「伺いますが」

 一歩近づいて、ソラはケビールを見上げた。ナダがイスハークにこうしているのを毎日見せられている。こうすればどんなに言い争っていてもイスハークは大きな体を丸めてナダの話をちゃんと聞く。女の技だとナダは言っていた。

「私が結婚をお約束していない方にそうすると、また大変なことになるのでは?」

「なるねぇ……厳しいねぇ……」

 小さい子に話しかけるような口調にソラが眉根を寄せる。もう成人している。子供扱いはまっぴらだ。

 ちゃっかりしているケビールは、ソラの小指に自分の小指を絡めてきた。

 信じられなくて隣を見ると、ケビールは赤花藻の季節でもないのに顔を真っ赤にしてソラを見ていた。

「……仕方ない方ですね」

 本当に仕方なかったわけではない。暗くて寂しい夜道を一人で歩くのはソラには辛かった。

 暗いところにはいい思い出がない。痛い思いをして、寂しい思いをして、主人に対する裏切りに胸を焼かれて。だが、今初めて辛くない夜の思い出ができた。

「へへ、俺もう寂しくなくなっちゃった。ソラちゃんは?」

「あなたは本当に、乾季の雨雲のような方ですね」

「雨季の雨雲じゃなくていいの?」

 意味を理解して返されて、ソラは彼から目が離せなくなってしまった。カプラでは乾季の雨雲と言うとすぐに泣き止む子供を指す。雨季の雨雲は、いつだって近くにいて煩わしいのに、それで自分が潤う、即ち家族や大切な人を指す。きっとこの村でその言葉を知っている人間はそう多くないだろう。これは郷愁だろうか。それともまた別の感情だろうか。

 ケビールが顔を覗き込んでくる。その意味を理解したのに、ソラは手を顔の前にかざすことができなかった。

 絡ませた方と逆の手を握られる。

 ケビールはすぐさま顔をソラから離した。薄い耳たぶが赤く染まっている。

「……鱗貰ってよ」

 ソラは恥ずかしくて地面を見ることしかできずにいる。ケビールの方は上機嫌で、手をゆらゆら振りながら歌でも歌いそうな雰囲気だ。

「ウチにお嫁さんに来てよ。絶対大切にするから」

 求婚の言葉だけは、月光の瞳の男と同じなのか。

 返事をしないソラを見て、ケビールが微笑んでいる。青白い月光が彼の頬を照らしているのが、涙の筋のようで悲しげだ。申し訳ない気持ちになったが、ソラはそれでも返事ができなかった。

 どちらか返事をしなければ、彼も困るだろう。

 そう思うのに、喉が締め付けられるようで声が一つも出ない。はい、ならこれからのことを考えなければならない。もう誰も、ソラの代わりに考えてくれはしない。それが怖いのか、それとも元婚約者に対して申し訳なく思う気持ちがそうさせるのか、ソラには分からなかった。

「ごめんなさい、どうお答えすればいいか」

 分からないなら断ってしまえばいい。そうすればたちまち結婚のことは考えずに済む。そこまで理解できているのに、その返事が出来なかった。

「ケビールさんは親切な方ですし、嫌だとも思いません。ですが……その、自分でもどうしていいのか分からなくて」

 みっともない弁解を聞いて、ケビールはソラの頭を優しく撫でた。

「それだけ分かってて答えが出ないなら、返事を待つよ。急かしたりしないから、ゆっくり考えて」

 すみません、ソラは謝った。それでも足りないような気がしてもう一度謝ったが、それに関して返事をくれるほど彼は優しくなかった。

 暗い夜道を熱い手に引かれてソラは歩いた。もう振り払うことも出来ると知っていて、何も言わずに彼に連れられて行った。

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