27話
新年祭の日となった。一年のうちで一番寒い日の翌日あたりにするということになっているらしい。男性たちは皆で作った刺繍や織物、籠や銛などを持って市場に行き、女性たちは食事の支度をする。料理はまだからっきしなソラは、洗い物に掃除、麺麭の成型など次から次へ頼まれごとをこなす。ちなみに麺麭の上にかける布にも刺繍がしてある。男性たちからもらった布が余ったので、ソラが作った。
「ソラさん、麺麭を運んでくれるかしら。申し訳ないけどターリクも一緒に」
「はい、もちろんです。ターリクさん、お手伝いしてくださいね」
「ソラちゃん女の子だから僕が全部持つ!」
族長夫人に頼まれて、ソラは族長の末息子のターリクと一緒に皿一杯の麺麭を抱えて宴会場まで運ぶ。その姉のジュジュは一心不乱に友達と羹の下準備をしている。木の実や干果物は既に会場に並べられていた。広場には天幕まで張られて大賑わいだ。外は寒いが天幕の中は暖かい。
「ターリクさんは力持ちですね」
「うん! 僕将来は父ちゃんと同じくらい力持ちになるんだ!」
曇り一つない眩しい笑顔だ。新年祭を迎えて六つになると言っていた。きっと六つの頃と言えば、本来であればこんなに元気で明るいのだろう。アサドの顔を思い浮かべて、ターリクの顔を見る。目の前の少年は楽しくてたまらないのか笑顔を絶やさない。眩しいほどの笑顔にソラの胸が締め付けられる。
「僕、新年祭のお願いはもっと背が伸びるようにって川の精霊にお願いしようと思うんだけど、ソラちゃんはどんなお願いごとにする?」
「お願い事ですか?」
「うん、皆お願い事書いた板とか麺麭とかをね、船に乗せて川に流すの」
「楽しそうですね」
祭祀らしい行事が行われることを理解してソラが頷く。そうでしょ、と誇らしげに胸を張る少年の姿が、ただただ眩しい。
ソラの願いは一つだけだ。王太子が鳥人族の市民権獲得に向けて働いていることの成果がありますように。この先ずっと、それ一つだけだ。
ナダとウルファに頼まれて粘土板に三人分の願い事を書いた。ナダは「イスハークとの赤ちゃんに恵まれる」でウルファは「兄に結婚相手ができて静かになりますように」だった。ソラは隅の方に「主人の願いが叶うように」と刻んでその面を下にして船に乗せる。
小さな船にはろうそくが乗せられ、族長が一つずつ川に流していく。皆好きなところでその光景を眺めるらしい。日が沈みかけたところにぽつりぽつりと揺れながら川下に流れていく船が幻想的だ。天幕から食べ物を持ってきては、皆酒を呷ったり火に当たったり、それぞれ楽しんでいる。ナダがイスハークとべったりくっつきながら温かい飲み物を飲んでいるのがほほえましい。ウルファと二人で離れた場所から見守ることにしたソラは、のんびり景色を眺めていた。
「いいなぁ、ナダ。私も早くお相手決まらないかな」
「ウルファはすぐ決まると思いますよ。細かいところにもよく気が付きますし、料理もとても上手だし」
ウルファは今日の食べ物の準備で引っ張りだこだった。魚を捌いていたはずが麺麭の竈で次々と麺麭を引き上げていたり、野菜を切っていたと思ったら揚げ物を山盛りお皿に盛っていたり。揚げ物も羹もとても美味しい。
麺麭の成型くらいしか料理に携わっていないソラは恥ずかしいくらいだった。
「そんなこと言ったらソラなんて、もうケビールさんにいいですよって言ったら決まりじゃない」
「いくら自由にして良いといっても、今の私の腕では飢えて死んでしまいますよ」
謙遜でもなんでもなく事実だ。ソラはまだ麺麭の成型と、硬すぎか茹ですぎの豆の羹と、魚の塩焼きしか作れない。食材が豊富なセメクにいるのにその食生活では流石にケビールが可哀想だ。
「簡単な作り方とか教えてあげるよ」
「ウルファには教えてもらってばかりですね」
それなのに嬉しくてソラは笑ってしまう。ウルファも誇らしげに笑った。
「私は何教えてもらおうかなー? カプラの言葉とか?」
「ふふふ、こちらの言葉より得意ですよ」
「よく考えたらソラ、こっちの言葉で読んだり書いたり計算したりしてるんだね。ご主人に仕事させられてたの?」
元『金糸雀』ということになっているので、そう受け取られても仕方あるまい。ウルファのことは信頼しているが、明かすことはまだできそうになかった。いえいえ、と反射的に返事をしてから、ソラはいい言葉を探して黙り込んだ。
そして、主人の顔を脳裏に思い浮かべて思わず微笑みを漏らした。
「……教えるのが好きな方でしたから」
ウルファは何か言いたげだったが、そこに立ち入るのはいけないと感じ取ったのだろう。何も気が付かなかったかのように話を切り替えてくれる。
「いるよね、賢い女が好きな金持ち。知ってる? 隣の村の族長さん、奥さんが五人もいるんだけど、皆字が書けて物知りばっかりなんだって。それで働かせるんじゃなくてずっと家に居させてるんだからもったいないよね」
「きっと話し相手が欲しいのだと思います。そういう方、いらっしゃいますから」
王太子もそうだった。ソラと話したいからといって色んなことを教えてくれた。歴史の先生が教えてくれないような鳥人族の歴史も彼に習った。知りたいと言えば本も貸してくれたし、その本の内容を議論してくれた。
おかげでソラは食いっぱぐれることもなく、初めて訪れた村でもこうして大切にしてもらえている。もったいないことなど一つもなかった。
「あ、兄さんが呼んでる。ソラごめん、一人で大丈夫? 一緒に行く?」
遠くで手を振っている兄に気付いたウルファが申し訳なさそうに尋ねてくれる。もう日が沈んできたというのに、大きな仕草で離れていてもよく見える。よく見れば、後ろに少し年上の青年が立っている。邪魔をしてはいけないだろう。
「実は疲れてしまって。今日は休もうと思っていたんです」
「そっか。おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
さりげなくウルファが食べ物を広げていた布を持って行ってくれる。ソラは彼女を見送って、残っていた茶を呷った。誰かがくれた蜂蜜を溶かして甘くしていたのだが、今のソラには甘すぎた。
誰もいない洗い場で茶器を洗って持って帰る。仕方のないことだが、この場で一人きりなのはソラだけだ。皆家族や大切な人と新年を祝っている。ソラは懐から髪飾りを出してそれを見ながら帰ることにした。くすんだような金細工で、優しい色合いだ。
もし二人がこの場にいたら、もっと新年祭も楽しかったことだろう。ありえない妄想がソラの頭にたちこめる。あの頃は美しい鳥籠が自分の住処で、温かくて、いつだって二人が顔を覗かせてくれた。それが当たり前だった。
夜道は暗くて怖いだけではないのだと、ソラは月に照らされながら歩いて、胸の内側に燻る寂しさを知った。




