21話
大人たちが大切な話をしている。
乾いた服を貸してもらい、濡れた髪を簡単にまとめたソラは、真剣に話し合う大人たちの様子を静かに見ていた。しばらく預かってほしい、姉の世話をさせる。主人のところから逃げて来たのだから故郷に帰してやるべきだろう。もう帰れないと言っていた。
自分が『鷹』であったことを言うべきか、と思ったが、真剣な様子に中々言い出せずにいる。その上、自分を川に引きずり込んだ青年がじっと見つめてくるのだ。気まずくてたまらなかった。
ソラはどこかでその目を見たことがあった。見覚えがあるということは十中八九王宮で見たことがあるということだ。出入りの宝石商でも仕立て職人でもなさそうだが。
「お嬢さん、カプラ王太子の『鷹』だろ」
そう言う青年の表情は先ほどソラを川から引き揚げた時とは違い、ひどく冷たいものだ。真剣に話し合っていた二人が驚き自分を見てくる。部屋で話を聞いていた行商たちの息を呑む音が聞こえる。
「あのさ、黙ってたって分かるんだけど。それで隠してるつもり?」
なにも、親切で連れてきてくれた行商たちの前で言うことではない。自分の正体が迷惑をかけることが分かりきっていたから言えずにいたというのに。だが言い逃れは難しいだろう。
「……どうしてお分かりに?」
「俺、乾季に入る頃と、つい最近王宮に行ったんだよね。その時第一後宮の裏庭通ったって言ったら分かるんじゃない?」
そういえば、ちょうどそんな時期に行商が裏庭を通った時、誰かが立ち止った気がしていた。だがまさか顔を覚えられているとは。
「ケビール、本当か」
涼し気な目元をした青年が父親を見遣る。
ソラはそれ以上、青年も親切な老人も見ることが出来ずに視線を落とした。黙っていたことで却って事態が悪くなるとは思っていなかったのだ。彼らには申し訳ないが、出ていくしかあるまい。多少の路銀ならある。近くで布でも買って、手巾や座布団掛けでも売りながらどこか落ち着けるところを探す他あるまい。幸い気候や植生を見るに、セメク国だろうと予測できた。国を跨いだのだ、追っ手は考えづらい。
「騙すような真似をして、申し訳ありませんでした。失礼しま、」
草を編んで作った小さな家から出ようとして、ソラは大きな手に掴まれて逃げるのを阻止された。もどかしい気持ちになる。どこまで邪魔をするつもりなのか、と相手を見ると、ケビールと呼ばれた青年が眉間に皺を寄せてソラを見下ろしている。
「なんで王子様のとこから逃げてきたわけ?」
答えたくなくて首を左右に振る。
「結婚相手とかいう男が、俺たちから刺繍糸買ってた。悪い奴には見えなかったけど」
ラヒムのことだろう。それにも首を振る。
別に、逃げ出したくて逃げて来たのではない。その優しい二人を裏切ることになろうとも、命を賭してでも王太子の足枷になるまいと、覚悟して出てきたのだ。昨日の今日で、人にそう易々と口にできるような思いなどでは決してなかった。
あの温かい場所で、何も考えずに幸せになろうかと何度心揺らいだことか。きっと大切にしてもらえた。誇りをもって仕事もできただろう。
でも、全部捨てた。
分かっていて全部捨てた。
『アタシは、馬鹿にされたら自分で怒るけど?』
イスティファの言葉が胸の内で蘇る。馬鹿にされているのかそうでないのか、ソラには区別がつかなかったが、目の前の男に胸の内を抉られ続けていることだけは確かだ。
「必要以上のことを貴方に話す筋合いなどありません」
じっと相手の目を見る。負けるものか、と下着に縫い付けた小さな銅貨を服の上から確かめる。
「私はカプラ王国王太子の『鷹』でした。彼の国に連れ戻すつもりなら抵抗します。追い出されたとて不満はございません。ですがここに置いていただけるのであれば、村のために尽くします。これ以上の言及は不要でしょう」
青年の父親が唸った。他の権力者を呼ぼうとしないあたり、恐らく彼がこの村の長なのだろう。行商の人々は何も言わなかった。気にかけてくれた老人にソラは申し訳なく思う。彼にだけは最初から伝えるべきだっただろう。
気圧されたのか何なのか、ケビールは眉尻を下げて謝罪する。
「いや……そうだよね、ごめん。俺としては、一人暮らしのばあちゃんも心配だし、しばらくいてもらって構わないけど。『鷹』だし字くらいは……待って、言葉もか、あれ、そうすると外国語も話せる? 西大陸の言葉も?」
話がいきなり飛躍して、ソラは問われるがままに首を縦に振り続けてしまう。字も書けるし外国語も主要な五語くらいは使える。全て主人が手配した先生に習った。
ケビールは父親の方を見て、さっきまでの険悪な様子がまるで嘘だったかのようにソラの手をぶんぶんと振った。
「この子しばらくいてもらおう。十二分に学があるんだ、悪い話じゃない! 足がつかなきゃいいんだよ、ただの『金糸雀』だったことにすれば誰も疑わないだろ?」
「それはいいがケビール……。その子はそんなことをしに来たのでは」
止める族長をソラは制した。
「構いません。どの道帰る場所はありませんので、仕事をいただけた方が助かります」
族長はうんうんとしばらく考え込み、本当に困った様子で、うむ、と言った。
「行くところがないのであれば仕方あるまい……。村での暮らしのことは私の母についてよく学びなさい。村の仕事も手伝ってもらおう。その代わりに君の生活に必要なものは我々が揃えよう。結婚の相手は……」
族長は言葉を紡ぎながら行商たちの方を見た。身振り手振りで何かが伝わる。ケビールが、ケビールが、と皆必死な様子だ。
ケビールは父親から目を反らせた。ソラはそれで大変なことになりそうなことを察知して族長の顔色を伺った。すると、見る見るうちに族長の顔が真っ赤に染まり、彼はこう叫んだ。
「お前、初めて見る娘さんを水に引きずり込んだのか! いい年をして恥を知れ!!」




