20話
水浸しの女の子に着せられる服はなかったので、彼らは近くの村でちょっとしたものと服を交換して彼女に差し出してやった。顔を拭き、水と少しの食べ物を食べた『金糸雀』は落ちこんだ様子だったが、それでも礼を述べた。
背筋をピンと伸ばして深く礼をする様が典雅で、元の持ち主が透けて見えそうである。
「本当に、なんとお礼申し上げれば良いか……。なにかお礼が出来れば良いのですが」
「いや、良い。お前さん逃げ出してきたんだろう? 何も持ってはおるまい」
金糸雀は首を振って、外套の中に手を突っ込んで薄ぼけた銀貨を取り出す。逃げる途中で宝飾品でも売ったのか、それともどこかで稼いだのかは不明だ。隊長は彼女に銀貨を握りなおさせて頑として受け取らない。
「では下働きを」
「それもいらん」
「では何を……?」
困り果てるその表情に、行商たちは不思議に思う。元金糸雀だというのならば、職業柄女の武器を使いそうなものだが。現に娼館にいる元金糸雀は自らその門を叩いた者がほとんどだという。主人と床を共にしたことがないのだろうか。確かに成人するには少し早いが、結い上げまで済ませておいて何もしないとは、彼女の主人は物好きだ。
「儂の姉が、とある村に嫁いでおる。最近足腰が辛いと言っておった。行ってやってくれないか」
彼女は感動で目を潤ませて、本人にとってはそうではないのだろうが、もったいぶって礼をする。まるでおとぎ話に出てくるお姫様みたいだ、と誰かが言う。まさか本当に王子の元から逃げ出してきたのだと聞いたら、さぞ驚くことだろう。
少女は心優しい行商に連れられて、とある村へ到着した。少し開けた場所に鳥小屋があり扉は開け放たれている。荷鳥たちは思い思いに広場で草を啄んだり、小屋の中で眠ったりしている。行商の連れている鳥たちも荷物を降ろされて、広場に放してもらう。彼らは次々に桶に入った水を飲み、地面にどっかりと座りこんだ。
「ここからは蓮で移動する。来なさい」
「はい、お爺様」
金糸雀の言葉を聞いて、男たちは噴き出すのを堪えた。爺さんと悪口を言ったことはあるが、確かに彼女からすれば完全に祖父の年齢だ。隊長に睨まれながらも男たちは耐えきった。
隊長は金糸雀を軽々抱えると、池に浮かぶ大きな蓮の葉に金糸雀を乗せる。大蓮の葉は皿のように平らで分厚いが、人を乗せても川を下っても揺らがないのはセメク国に生えるものだけだ。初めて大蓮の葉に乗るのか彼女はわぁ、と漸く年相応に笑う。
男たちも次々に蓮に乗り込み、水中の紐を手繰り寄せる。茎を切った葉に括り付けたものだ。村と鳥小屋の間を移動するなら、魚人族以外はこれが一番手っ取り早い。
「お嬢さん見てみろよ、白花藻の季節なんだ」
一人が川の中を指さすと、少女はますます顔を輝かせて川を覗く。水面からでも川底に咲き誇る小さな白い花がありありと見える。水中で揺蕩う姿が涼しげだ。水に触れてみたくなったのだろう、少女は川に手を伸ばす。
「待て、あまりのぞき込むと」
隊長の忠告は少し遅かった。
金糸雀の手に、水かきのついた手が絡みつく。あ、と声を上げる間もなく大きな水しぶきが上がった。白花藻の存在を彼女に知らせた男が口々に責められる。
「お前のせいだぞ!」
「絶対あの子この辺の風習なんて知らないぞ!」
「お前潜って迎えに行け!」
つまらない争いを後目に少女が川面に顔を出す。水を飲んだのだろう、咳き込んで手と足と翼を暴れさせている。溺れているのか、と男たちが合点するより早く、犯人が少女を蓮の上へ引き上げた。可哀想に自慢の大きな翼までずぶ濡れだ。本能的に振るわされた翼から飛んでくる水滴で濡れながら男たちは犯人を見る。
「なんで鳥人の子がこんなとこにいるんだよ!? お嬢さんごめんな、まさか泳げない子が川を覗くなんて思わなかったんだ」
見るからに筋肉質で同世代の女性たちから絶大な人気を誇りそうな青年が、目を白黒させている。短髪から水を払って、欲のない様子で少女の翼の下をさする。
「儂が連れてきた」
「大叔父さん」
隊長と青年は顔を見合わせ、蓮の葉をせっせと村まで運ぶ。突然水に引きずり込まれて恐ろしかったろうに、少女が泣き出す様子はない。
「……なぁ、お前だったら見ず知らずの女の子水に引きずり込む自信ある?」
「ないね」
「お前は?」
「まぁ、自分に自信がなきゃ絶対しないと思う」
彼らは非難の目で青年を見据え、それに気づいた青年は極力後ろを振り返らないようにして村へ急いだ。
女性を水に引きずり込むこと、それは魚人族にとって求婚と同等の行為だ。盛大に上がる水しぶきで愛の大きさを表すのだが、すぐさま村中に広まるため、恋人同士かよほど他の男に対して牽制したい時にしか使えない。それを初対面の少女にするということは、自分は振られないというよほどの自信があるのだろう。
「自分に自信があったとして、あの子にするか?」
男たちは、明らかに主人に大切に育てられてきたであろう澄んだ瞳の少女を見て、全員が否と返事をする。彼女は表情の一つ、仕草の一つですら気品に溢れている。並の男が彼女に対して何かしようと思うことすら憚られるほどに。




