18話
可愛い金糸雀が歌う
綺麗な籠の中
その声は麗し
外を恋うて鳴く
その声もまた愛らし
荷車に腰かけて、美しい黒髪の女が歌っていた。露出の高い派手な服を着ている。旅の一座の踊り子だ。彼女の視線の先には、月と雲の間を飛ぶ鳥の姿が映っていた。本来であればもう少し仕事があったのだが、とうとう体が動かなくなってしまった。節々が痛み、常に痛み止めの薬草を齧っていなければ卒倒してしまいそうだった。
仲間たちはどうやらしっかり仕事をしてくれたらしい。
絶対に見つかるし、捕まれば絶対に処刑できる大きな仕事があるけどしてみない、と必死に貯めた金を見せたとき、仲間たちは驚いた。本当は可愛い弟分の病気の治療のために貯めた金だった。でも、どんなに金を積んでも、医者に体を差し出しても治せなかった。
実のところ、彼が死んでしまう前に少しでも楽しみを与えてくれた女の子に、女は深く感謝していた。文字なんて逆立ちしたって誰も教えてくれない。そんな贅沢、旅芸人の女には誰も許さなかった。
『これ、アサドって書くんだって。これは花。まだうまく書けないけど、イスティファはこう』
嬉しそうに爪を土だらけにして文字を書く弟の顔を思い出して、彼女は笑った。
思い返せば惨めな人生だった。たった一つ、信仰するものが違うというだけで人々に疎まれてきた。弟のために金が必要だったから、好きでもない男とも寝た。気づかれれば相手の女に売女と罵られた。誰もが自分たちを塵のように見た。
踊っている時だけは、皆自分を綺麗だと褒めそやした。褒美ももらえた。
『それがお前の最期の願いだな。俺たちも信じてるぜ、いつか同じ立場のやつらが足蹴にされない日が来るってな。そのためならやってやるよ』
泣きながら仲間たちは賛同してくれた。元よりなにも持てない人間の集まりだ。夢くらい持っていたいと願ってしまう。
「……王太子の『鷹』を拐うよう盗賊を焚きつけたのは、お前か」
落ち着いた声が背後から聞こえた。この騒乱の中で、これほど落ち着いて馬を走らせることが出来ることができる人物は一人しかいない。
「花嫁くらいまた探せばいいじゃないか。寂しいだろ、一晩金貨三枚にまけてやるよ」
「俺は妻以外は抱かない主義だ」
唸るように男は言った。剣が鞘から抜かれる音がいやにはっきり聞こえる。
どの道じきに病気で死ぬのだ。無事『鷹』も逃がした。今殺されようと彼女の知ったことではない。
「悪いがお前にはここで死んでもらう。殿下の命だ」
女は笑った。途端に剣を背中に突き立てられて悲鳴を上げる。病気で体を蝕まれるものとは違う、想像を絶する痛み。それでも地面には這いつくばりたくなくて、仰向けに荷車の上に倒れこんでもだえ苦しんだ。
痛みに視界が霞むが、目を閉じることは惜しく感じられた。碌でもない人生だったが、最後に自分の成果をしっかり目に焼き付けたかった。
何かが顔の横に叩きつけられた。
女ははじめ花嫁に逃げられた哀れな男の拳か剣の切っ先だと思ったが、叩きつけられたものを見て、血を吐き出しながら盛大に笑った。
緑の布を使って、たっぷりの刺繍で飾られた小さな靴。
同じ色の美しい鳥を逃がしたばかりだ。靴を落としてしまうほど必死になって、明日に向かって飛んでいる。
「最高だ、本当に、最後の最後に、最高の――」
そして彼女は事切れた。
真っ赤な花束を抱いて、喜びに満ち溢れる花嫁のような顔をして。宵啼鳥と揶揄された哀れな女はもうそこにはいなかった。
男は雲に覆われた空と落ちてきたものを交互に眺めて、眦に浮かんだ涙を拭う。たっぷりと長く息を吐いてから、思い切ったように小さな靴を自分の懐にしまった。
男は馬に跨ってその場を後にする。ぽつりぽつりと振り出した雨は、惨めな男を容赦なく打つ。
「俺って本当、天上神にめちゃくちゃ嫌われてるな……」
彼はその夜拾った靴のことを、生涯誰にも話さないと決めた。満月と同じ色の目をした女の子を、逃がしてあげようと決意するほど深く愛してしまったことも一緒に。
本当は一目見た時から気になっていた。第二後宮にいる王女たちとはまた違った、不思議な雰囲気の鳥人奴隷が神秘的に見えた。王太子が手塩にかけて誰より無垢に育てた本物のお姫様。自分はずっと一緒に王宮に住むことはできないから、と諦めるつもりだったのに。
自分の目と同じ色の石がついた髪飾りを選んでくれただけで満足するつもりだったのに。
あの夜、聞いてしまった。彼女が王宮を主人のために出ることを旅芸人の女にそそのかされて決意してしまったのを。それならば、と自分の心が揺らいでしまった。
それならば、ほんのひと時だけでいい、彼女を自分のものにしたい。
朝日を浴びるまでその欲望に苛まれ続け、眠れないまま出仕し、主人の前で頭を地面に擦り付けて願い出た。
「殿下の『鷹』を私に下賜してください。絶対に大切にします。俺にできることならなんだってします」と。
嘘ではなかった。あの少女が主人のためと選んだ道の手助けをしたい。そのためなら自分のものにならないと分かっていても、結婚を申し出る。王太子は誰かに見咎められることも厭わずに、自分に深く礼をして感謝を述べてくれた。まるで娘を託す父親のように。
自分の気持ちに折り合いがつけられなくて冷たくしてしまった。もう少し大切に、自分にだけ向けられる笑顔を噛みしめれば良かったという後悔はずっとある。そのせいで疎ましく思われていると勘違いされてしまった。そんなところが腹立たしくなって、愛しくて、思わず口をつけてしまった。
彼女と自分はもう会うことはないだろう。彼女があの美しい鳥籠の中に戻ることもないだろう。
男は自分の唇に触れた。あの口づけの意味を、無垢な花嫁が気づいて恥ずかしさに頬を染めている様子が見たかったと夢想しながら。
「宵闇に灯火の唄を」 一章 完




