17話
ソラは王宮の裏口から馬車に乗せられて出発した。見送りのほとんどが野次馬だったが、結い上げの日に話を聞いてくれた女官たちと、祝いの出し物をするために舞台に上がっていたイスティファだけは門出を祝うために来てくれていることは確かだ。それぞれ門出は別の意味を指すが。
ラヒムは最後に小さな包みを渡してくれた。おそらく馬車の中で使う毛布だ。ソラは恥ずかしくて、なかなか開けられずにいた。だが、もうそろそろ十日が経過しようとしていて計画の実行も近い。おそらく作戦の決行場所となるだろう森に差し掛かっている。時刻は夕刻に差し掛かりかけて箱の中身が見えなくなりそうだった。
贈り物を見ずに行くのは失礼な気がして、またとても勿体ない気がして、ソラは贈り物に手を付けることにした。上等の宝飾品や衣類はこの先持っていくことができないことは、本人も重々承知しているが。
「失礼します」
意を決してソラは箱を開ける。箱の中に横たわる汚れた麻袋に、ソラは自分の目を疑った。
王太子が手にすることなどなさそうな、ソラ自身見るのは初めてな位汚れている。違和感で胸が激しく脈打っていた。
破ってしまわないようにそっと袋を開ける。そしてソラは小さく息を呑んだ。
使い古された、アサドが持っていたような銅貨。銀貨もある。不揃いで小さな宝石類も入っている。煤けたような色の金と柘榴石の髪飾りも入っていた。一緒に入っていた、小さくて赤い雫のような石の耳飾りと揃いのような色の。
ソラはその耳飾りを知っていた。人攫いに取られていたと思っていた、五つの頃のソラが付けていたものだ。きっと、ずっと持ってくれていたのだろう。
信じられなくてラヒムからの贈り物も手に取る。中に入っていたのは本当に質素な外套だ。花嫁が着るのには全く似つかわしくない、だが着たまま空を飛ぶことができるよう翼が出せるようになっている。
「……知ってたんですね、二人とも」
そのうえで止めるのではなく、ソラを追い出すのでもなく、贈り物をくれた。しばらくソラは思いふけっていた。そして決意して着せられていた絢爛な服を脱ぐ。王宮で誂えられた最高級の髪飾りを髪から抜き取った。香油を塗り込まれた美しい髪が背中を叩く。
大粒の翡翠の耳飾りは、赤い小さな耳飾りに。手や足を飾っていた宝石類はすべて外し、背中が大きく開いた服に着替える。腰紐には王太子からもらった麻袋をしっかりと括り付ける。ユルクが用意してくれた髪飾りで髪をまとめ上げ、ソラは外套を羽織った。
それ以外は全部置いていこうとしていたが、惜しんだ指が今まで身に着けていた髪飾りを拾った。
途端に、馬車が横なぎに倒された。ものすごい衝撃がソラを襲う。
馬車につけられていた灯りが火を放つ。
「いかん、いかん! 盗賊だ、逃げろ!! 誰か『鳥』を連れて逃げろ!」
馬車の運転手が声を荒げる。
「『金糸雀』なんて贅沢なモン積んでんのか、当たりだなァ!!」
すさまじい怒号だ。警備にあたっていた男たちが必死になってソラを馬車から引きずり出す。誰も『鷹』とは口に出さなかった。訓練が行き届いた兵を送り込んだのは、王太子からの最後の土産だろうか。ソラが自分で逃げようとしているのではない、と誰かに伝えようとしているように思えた。
誰かの放った矢がソラの外套を掠める。
ソラをかばった兵士が悲鳴を上げた。守りが崩れた。
王宮の兵士たちは想定より多い盗賊の数に、誰も彼も必死に戦っている。今しかあるまい。ソラは暗い木々の中へ駆け出す。誰かが叫んだ。
「そのまま行け! ご主人様の馬車が半日遅れで来る! それまで耐えろ!!」
ごめんなさい、ソラは心の中で謝罪する。
空を飛ぶための文言が全く思い出せない。言葉なしでは浮かび上がるくらいが精一杯だった。鳥のように空を駆ける自分の姿はありありと思い描けるのに、『呼歌』だけが思い出せない。翼は冷たく冷え込む風を抱えようと大きく広がっているというのに。
何か、言葉を。
なんでも良かった。ソラ自身が飛び立てるだけの力が、王太子のためと決意した瞬間が嘘にさえならなければ。もしかしたらイスティファはただソラをそそのかしたかっただけかもしれない。死ぬ前に一度、何かをしてみたかっただけなのかも。それでも良かった。
ユルクが鳥人族の解放のために動く、それがいつか大きな功績となって彼の王位を支えうる力になりさえすれば。
「『呼べ、風の音――……』」
曖昧な記憶に残る歌ではなかった。
だが、ソラは記憶の片隅にある音を思い出して、きっと間違えて覚えているだろう言葉を紡いだ。
「呼べ、風の音
止まり木を灯りに呼べ
寄る辺は月夜に
私は空を駆ける
風よ吹け
もう地を這わぬよう」
即席の歌は粗末な仕上がりだった。それでも一迅の風がソラを助けるように吹き抜けた。
広げていた翼が風を拾って彼女を地面から引き離す。久方ぶりに使う空を飛ぶ能力に酔って、ソラは猛烈な吐き気に襲われた。
自分を諫めるために、彼女は胸いっぱいに突き刺さる冷たい風を吸い込む。使い慣れない翼は不格好にはためいて中々早くは飛んでくれない。
「もっと、もっと高く、お願い」
祈りながらソラは月の浮かぶ空に翼をはためかせ続けた。次第に雨季の始まりらしい冷たい小雨が降り始め、大きな鳥が空を飛び去って行く様子を隠す。ただ一つ、彼女の主人の目の色を意識した小さな靴がばたつく足から落ちていった、それ以外は全て。
そして、彼女は雲に隠れて消えた。




