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宵闇に灯火の唄を  作者: 野木 千里
第一章
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11話

 最近夜遅くまでイスティファと話し込んでいるからだろうか、折角のユルクとのお茶の時間だというのに、ソラは眠くてたまらなかった。慣れ親しんだ住処だが、入り組んだ王宮を脱出しようと思うとかなり骨が折れる。部屋の柵をせっせと切り出すのは音も出るため現実的ではない。壁は石造りなのでそちらもあまり期待できない。

 ソラの結い上げの儀式の際、儀式の直前の湯あみか直後の宴会で人に紛れて逃げ出すという案が今のところ一番現実的に思われる。それも儀式の主役であるソラの傍らには王太子が付き添うことが予想されるので難航しそうだった。

 これは王宮で火事を起こす他ないというイスティファに、流石に死傷者が出ることは、とソラが止めた。

「どうしたの、なんだか浮かない顔をしているね」

 柔らかく微笑んでソラを気に掛ける主人へ罪悪感が募る。

 今すぐイスティファと出会う前の自分に戻れるとしたら、きっと喜んでそうしただろう。あの日の呼びかけにも答えず、尊大にこう言えばよかったのだ。「私は王太子の『鷹』と心得てのお言葉ですか」と。そうすればきっと彼女は呆れかえってソラに何も伝えなかっただろうし、ソラはあの小さな銅貨をいつ返せるだろうかとぼんやり考えるだけで済んだのに。

「……いえ、その」

 言い淀むソラをユルクが訝しんでいる。何か言わなければ、でも、何を。

「殿下、恐らく件の」

「なるほどね。でもそれならもう教えてあげようか」

 珍しくラヒムがソラではなくユルクに何かを言わせようと促している。ソラがラヒムを見るが、目も合わせてくれない。いつもとあまりにも違いすぎるその様子に、ソラの目はすっかり覚めてくれた。

「君の結婚相手が決まったんだけど、今言ってもいいかな? 後でちゃんと誰かに通達に行かせるから、これは僕の独り言になっちゃうんだけど」

 せっかくのおめでたい知らせだというのに、ユルクまでなんだか歯切れが悪い。もしかして外国に行くことになってしまったのかもしれない、とソラはますます不安になる。あるいは、前の飼い主の親戚筋が相手なのかもしれない。ソラは意味もなく茶を飲み干した。底に溜まっていた茶葉がやたらに苦かった。

 イスティファにあんなことを言った矢先に『鷹』を辞めることになったらお笑い種だ。その場合の未来はおそらく想像を絶する苦痛に満ちているだろうが、王太子の元を去る胸の痛みが減るだけだ、ソラにとっては些末事に違いない。

「今聞きます」

 ソラの頭の中にあったのは、脱出計画の変更の可能性だけだった。

 虚ろだった目に生気が戻ったことにユルクは気を良くしたのだろう。気恥ずかしそうに咳払いして茶器を置いた。

「君の夫はサグエル・ビルダグ・ラヒム。君のことを大切にすると言ってくれたよ」

 聞き覚えのある名前だ。聞き覚えどころか呼び慣れた名前だ。

 そして、主人が自分のよく知った人を選んでくれたことを理解したソラは、当事者の顔をじっと見たまま動けなくなってしまった。

 ラヒムはソラを見ることもできずに、顔を赤く染めて視線を地面に落としながら仕事をしているふりをしている。木の実を袋から出し入れしたところで事実は変わらないし、無駄に蜜柑を剥いたところで今は誰も食べてくれない。

「……そう、ですか。確かお勤めが終われば本家に養子へ行くと仰っていたので、その」

 嫌われてはいなかったのか、とソラは安堵した。

「そうだね、そう言っていたね。今年いっぱい僕の副官を勤めあげたら、妻を娶って領主として勉強しに養子に出る、って」

「ラヒム、大丈夫ですか。あなたそう何人も女性を愛せるほど器用では」

 現実逃避のためかいらぬ心配をするソラの目の前に、ラヒムが指を一本立てて見せた。相変わらず顔は真っ赤でソラの顔を見てくれやしない。

「ソラの他には一人だけ、跡取りを産んでもらうために貰うだけ」

「余計なお世話でしたね、すみません」

 肩を竦めるソラを見て、ラヒムが笑った。淡い灰色の目が煌めいた。

 月長石と同じ色をしている。ちょうど、結い上げのための髪飾りに翠玉と一緒についていた柔らかい色の飾りのような。

 まさにラヒムがその髪飾りを勧めてくれたことを思い出して、ソラはようやく赤面した。

「さぁ仕事に戻ろうかな。ラヒム、ソラ、剥いた蜜柑食べておいてね」

 肩の荷を下ろしたユルクは、胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込んで庭を立ち去ってしまう。庭の端に立っていた護衛たちは野次馬がしたかったのか、惜し気に何度も二人を振り返りながら王太子の守りを固めるべく急ぎ足で立ち去っていった。

 目の前に三つも皮の剥かれた蜜柑を並べて、二人は目も合わせずに食べ始めた。

「……いつ、決まったんですか」

「昨日」

「いつから私をもらおうと思ってましたか」

「教えない」

 詳しく聞きたいソラは蜜柑をちっとも食べず、これ以上聞かれたくないラヒムは二つ三つまとめて口に入れ、茶で流し込むといったことを繰り返していた。

「ごちそうさま! じゃあ俺戻るから早く行くよ!」

「待ってください!」

 立ち上がろうとした途端に腰にしがみつかれて、ラヒムは情けなくも敷物の上に突っ伏した。

「嫁入り前の女の子のすることじゃないよ! はしたないな!」

 ソラを押しのけながらラヒムは必死に敷物を片付ける。王太子が座る敷物なのに適当に巻かれて可哀想な有様だ。

「……だって、ラヒムに利益がないわ。そんなのおかしいと思います」

 普通の女の子ならいざ知らず、ソラは鳥人だ。王太子の『鷹』といえども、これ以上の地位や名誉が必要ない者にとって結婚相手として選んでもらえる自信など、ソラにはなかった。たとえ相手が彼女を悪く思っていなかったとしても。

「今分からなくていいよ、そんなこと」

 突き放すような言い方が彼らしからぬ。恥ずかしいにしても、もう少し言い方というものがあっても良いだろうに。

「……分かりました」

 もしかするとユルクがどうしてもとラヒムに頼んだのかもしれない。その引き換えに家のためになることを提案した可能性だってある。

 むしろ、ラヒムが困ってくれていた方が助かる。ソラは自分に言い聞かせた。

 悪からず思っていたって、きっと迷惑に思っていることだろう。自分がいなくなった後、たった一人迎えると決めた女の子をできるだけ大切にして幸せになってくれれば、罪悪感も薄れるというものだ。

「ところでラヒム、サブラバ様との仲は相変わらずですか?」

 久方ぶりの快晴だというのに、なんだか空模様が怪しくなってきた。

「ああ、相変わらず天上神にはめちゃくちゃ嫌われてるよ」

 結婚式の日は間違いなく雨だ。

 今となっては少しどうでも良くなっている花嫁衣裳だが、長い時間をかけてこだわりぬいて作ったのだ。雨に濡れて台無しになってしまうのは、流石に少ししのびなかった。

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