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宵闇に灯火の唄を  作者: 野木 千里
第一章
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8話

 ソラはいつも通り柵の中からいつも通りの景色を眺めていた。折角雨季が明けて天気が続くと思われたのに、連日小雨が続いている。洗濯ができないの、と部屋付きの女官が汚れた服の代わりに寄こしたのは懐かしの貫頭衣かんとういだ。暗がりの部屋に閉じ込められていた頃とは打って変わって清潔なものだが、なんだか暗い気持ちにさせられる。

 ちゃんと見つけた銅貨を握りしめてアサドを待つが、その気配もない。

 雨なので行商も来ないだろう。身分の高い人間は王宮へ来ているのだろうが、そんな人々は第一後宮の裏の通路など通らずに、正面玄関から謁見室や議会へ続く広く絢爛な廊下を通る。

 王太子は仕事が忙しいようで、来ると連絡もない。暇になったソラの口から零れていくのは、暗い部屋で繰り返し歌わされた歌だ。


   可愛い金糸雀が歌う

   綺麗な籠の中

   その声は麗し

   外を恋うて鳴く

   その声もまた愛らし


 歌ってから、趣味が悪いわ、と小さく漏らす。ユルクにもらってもらえなければ、どんな目に遭わされたことだろう。いや、ひどい目に遭わされる前にあの待遇では病気になって死んでいたに違いない。

 雨は暗くて怖いと言ったら、ユルクは小さな灯をくれた。色付きの硝子をいくつも繋げて作られたそれは、火を灯すと部屋に素敵な色を落としてくれる。淡い緑の石を指して、僕の目と同じ色だよ、これでさみしくないよ、と手を握ってくれたあの温かさ。忘れることはないだろう。

「ソラってのはアンタね」

 王子と自分の良き思い出に水を差されて、ソラは驚いて顔を上げた。庭に女が立っている。豊かで長い黒の巻髪を惜しげもなく垂らしている彼女を、ソラはどこかで見た覚えがある。

「あなたは」

「イスティファ。この間ここに出し物をしに来た旅芸人って言えば分かるんじゃない?」

 あの見事な踊り子か、とソラは合点して返事をした。

 王太子が褒美を取らせた、見事な踊りの主だ。

「大変お見事でしたね。殿下も大層お喜びでしたよ」

 彼女は一体何をしに来たのだろう、と疑問を抱きながら、ソラは立ち上がった。ユルクの側室になりに来たのだろうか。気難しい王太子だがそろそろ妻の一人や二人いたってかまわない。旅芸人ということであれば話は難航するだろうが、旅してきた先の王室に一筆書いてもらえばすぐに解決しそうだ。ソラだって数年とおかずに嫁に行くのだろうし、特に関わりあうこともないだろう。

「アサドが死んだ」

 唐突に告げられた言葉が理解できずに、ソラは目の前の女性をぽかんと見つめ返すことしかできなかった。

 見れば見るほど綺麗な人だ。長いまつ毛に縁どられた瞳も黒曜石のようで、飲み込まれてしまいそうなほど。

「お礼だけ言いに来ようと思ってね。あの子、アンタに文字を教わってたんだって? 地面に沢山書いて練習してた。アンタが土産に持たせた芋や棗をこんなに甘いもの食べたことない、って喜んで食べてたよ」

「待ってください、どうして亡くなったんですか」

「はぁ?」

 軽蔑するような目だった。ソラにはどうしようもないことのはずなのに、まるで責めるような目だ。

「病気だったの。あの子言ってなかったの?」

 一度もそんなこと言われたことなどなかった。目に水の膜が張るのに気が付いて、ソラは自分の顔を抑える。アサドと最後に別れたときのことを思い出す。あと一回か二回来られると言っていた。きっとその後死んでしまうことは、自分で分かっていただろう。

 言えばソラが悲しむと思ったのか、それともそれまでに別れを告げるつもりだったのか。アサドはソラに伝えない、と判断したことは間違いなかった。

「……はい」

「最後はかなり辛い、とは聞いてた。医者に断られることがほとんどだから、いい医者には聞けなかったけど。薬なんて高いもの、そういくつもは買ってやれなかったし」

 言ってくれたら、宝石の一つや二つ喜んで渡したのに。手のひら一杯の翡翠だって、珊瑚だって、真っ白な貝殻だって部屋にあった。そんなにいいものではなくたって、ソラが刺繍した小さな座布団や手巾だっていくらでもあった。それがあれば医者にかかれなくても、薬や卵は買えたはずだ。

「でも良かったよ、アンタが名前の書き方を教えといてくれて。おかげで馴染みの客に名前を彫った首飾りが貰えた。墓なんて贅沢なもの旅芸人じゃ持てないから」

 そう言ってイスティファは服の中から木製の首飾りを取り出した。表が護符になっていて、裏面にアサドの名が彫られていた。首飾りは開けるようになっていて、中にアサドの髪と思しき柔らかい髪が入っている。

 本当に彼は死んだ。

 ソラに外の世界を教えてくれた、彼は死んだ。

 涙が止まってくれなかった。こんなに悲しい気持ちになるのはソラにとってもう随分と久しぶりのことのように思えた。

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