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宵闇に灯火の唄を  作者: 野木 千里
第一章
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0-1話

 人形がそこにいるみたいだった。

「どうですか、殿下。随分と従順になったのでそろそろ殿下にお渡し出来ると思いまして、ご用意させていただきました。ハーン・チィの新しい皇帝陛下もお持ちだとかで、きっと将来お役に立ちますよ」

 サグエル領主邸に行った時のこと。当時は鳥人族ちょうじんぞくの保護区周辺がとても荒れているからという理由で父上がよくそちらへ行っていた。父上が数名の護衛と一緒に視察へ向かい、僕はイーティバルと領主補佐に声をかけられて『お渡しするもの』を見に行くことになっていた。

 暗くて煙草の臭いが染み付いた部屋にその子はいた。痩せっぽっちでところどころに傷の見える体、虚ろな表情。

 それなのに服だけは上等で、体にも香油がたっぷり塗り込まれていた。香油を塗ったのは領主補佐なんだろうな、と手だけ色艶の良い彼を見て思った。

「殿下ももうすぐ六つでしょう? 今はそんなことを思われないかもしれませんが、何年か後にはお妃を受け入れられることだと思います。そのための練習台をご用意させていただきました」

 つまり、目の前の可哀想な女の子を姫君だと思って、姫君と接する練習をしろということだろう。僕はその時そう解釈した。

「貴様殿下によくもそんな下品なことを!!」

 後ろにいたイーティバルがいきり立って領主補佐を怒鳴りつける。

 僕はイーティバルが怒る声が怖いな、と女の子が心配になってそちらを見ると、大きな日差しの色の目に一杯涙を浮かべて震えていた。それなのに領主補佐は彼女に目もくれないで僕にばかり話しかけてくる。

「手足もすっきりしていて、きっと殿下のお気に召しますよ。今脱がせましょうか? なに、男には必要なことです。閣下、金糸雀カナリアですよ何をお怒りになっているんですか?」

 領主補佐は丸い顔をますます丸くして笑っている。

「殿下にはきちんとした教育をする。サグエル領主補佐、越権行為だ」

「本を見て男に教わって、どうして情を育むことを覚えるんですか。姪が嫁ぐかもしれないんです、手をかけてやりたいという親心がわかりませんか?」

 大人たちが言い合っている。こんなに可愛くてこんなに可哀想な女の子を放って置いて。僕は彼女の前に立った。多分そうするのがいいと言われたんだろう。細い足を長椅子に放り出して座らされている。

「ほら御覧ください。この綺麗な足の形を」

 そう言って領主補佐が彼女の服の裾を捲ろうとした。恥ずかしくてたまらないだろうに、女の子は目をうるませるだけで何も言わない。こんなにひどいことをされているのに抵抗一つしない。胸が苦しくなって領主補佐が服を捲るのをやめさせる。

「やめてあげて。僕にくれるんでしょう? 僕の思う通りにしていいはずだよ」

 それを言うと領主補佐は少しつまらなさそうな顔をして、彼女の服から手を放した。

「……僕はユルク。君は?」

 僕を見る女の子の眩しそうな顔が、少し悲しそうに見えた。

「ソラ、ともうします」

 僕が彼女の手を取って立たせると、大きな翼が落ち着かなさそうに震えているのが目に入る。故郷ではさぞ立派な翼だと褒められただろうと思うほどだ。こんなに翼が大きくてこんなに可愛い女の子を彼女の両親は売ってしまったのだろうか。きっと帰るところがないに違いない。

「そう、ソラっていうんだね。僕とおいでよ。とびきり大切にしてあげる。怖いことからも悲しいことからも、僕が全部守ってあげるよ」

「ウソだもん……」

 ソラは零れ落ちてしまいそうなほど大きな目に、たっぷりの涙を浮かべて僕を見た。握りしめている手が震えて腰が引けている。

「このッ、殿下に向かって何という口の利き方だ!」

 僕の手とソラの手が離れた。あ、と思う間も無くソラのほっぺたを領主補佐官が打った。

「ごめんなさい、ごめんなさい!」

 大粒の紅玉髄べにぎょくずいのついた頭環サークレットが床に落ちて音を立てる。領主補佐官はソラを打ったかと思えば髪を引っ張って床に引きずり倒してしまう。ソラが声を上げて泣こうがおかまいなしだ。

「やめろ!」

 そんな僕の声も領主補佐官の耳には届いていないようで、彼は目を血走らせながらソラを床に引き倒し、更に手を上げようとした。

「本当に申し訳ございません! すぐに! 躾直しますので!!」

 ソラは自分の何倍も大きな男に押さえつけられて、翼を大きく広げるが逃げ出すことはできないでいる。

「僕はやめろと言ったんだ! 何を」

 領主補佐官の分厚い手が振り上げられ、僕は慌てて彼からソラを引き離そうとした。

 その時、領主補佐官の振り上げた反対の肘が僕の額を打ち付けた。

「サグエル貴様!! よくも殿下に手を上げたな!」

 イーティバルの怒声が響く。領主補佐官が驚いた顔をして僕に手を伸ばしてくるのが不快で身を引けば、ずれていた頭環が床に落ちた。

「大変申し訳ございません」

 領主補佐官が慌てて床に落ちた頭環を拾おうとする。

「それに触らないで」

 頭環は母上の遺品を加工して作らせたものだ。彼に触られるのは我慢ならなかった。

 僕が頭環を拾い上げようと身を屈めると、床に血が落ちた。どうやら額が切れてしまったらしい。

「殿下、すぐに手当を」

 イーティバルはそう言って近くの護衛に医者の手配をさせ、僕に自分の手巾を差し出した。彼の手巾を額に当て血を拭う。

 イーティバルが領主補佐官に冷たい声で言い放った。

「痴れ者が。殿下に傷を負わせるとは、どういうつもりだ。ミガルティと戦争でも起こすつもりか」

「い、いえ私はそんなつもりでは……」

 イーティバルに睨まれた領主補佐官は真っ青になってブルブルと震え、身を縮こまらせている。彼は僕達に付き添っていた護衛に部屋の外に連れ出されていった。

 僕はまだ床の上に座り込んで震えている少女の前に屈んで、乱された髪をそっと撫でて整える。頭を触られる度に震えるソラが哀れだ。

「もう大丈夫だよ。君をいじめた人は二度と君の前には現れないよ」

 彼女を安心させようと微笑みかけると、ソラは眩しいものを見るような目で僕を見てきた。小さな震える手を両手で包み込み、ぎゅっと握り込むと震えは徐々に収まった。

「ありがとうございます、でんか」

 今にも泣き出しそうな顔でソラが言った。思えば彼女の泣き顔しか見ていない。

 ほっぺたに幾筋もついた涙の跡が痛々しくて、僕は自分の手巾で彼女の涙をそっと拭ってあげることにした。この子の笑顔が見たい。うんと大切にして、心から笑えるようにしてあげたい。

「僕が君を守るからね。とびきり大切にしてあげる。怖いことからも悲しいことからも、僕が全部守ってあげるよ。だから僕とおいで」

 そう言った時のソラの顔ときたら!

 お日様だって恥ずかしがるというくらいに眩しい笑顔を僕に向けてくれるものだから、僕はやっぱり彼女を世界で一番大切に育てようと思った。

 

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