001「ある魔物の誕生」
真っ黒い闇の中でオレは目覚めた。体はまだない。
意識を包み込む水晶体。そこから見える黒一面が少しずつ外の風景となって見えてきた。視覚能力が備わり始める。オレの体が作られ始めたのだ。
この世界のどこかの魔王によって、人間の住む世界に魔物の種が撒かれた。そして芽吹いた。持っている記憶と知識はその種子に埋め込まれていた記録である。
思い出した……。オレは――、オレの名はフォルリッヒ。種を撒いた魔王が気まぐれに付けた名前だ。
知識は自身が粘魔だと教えてくれた。
視界にいくつもの光が見える。周りに集まった水分が水晶体の発する魔力に反応していた。それが魔の成分に変わりつつあるのが分かった。
そして刻まれた記憶が意識の中で語りかける。
『人間を狩れ。そして強くなるのだ』
それは魔物、スライムの本能。オレを生み出した魔王からの命令でもあった。
「さてと……」
体もそれなりに大きくなってきたので、オレは自分の能力把握に努める。
スライムは水分をまとった魔物で他の魔獣、魔物に類する手足などはない。しかしどうすれば良いのかはオレの記憶が知っていた。
ブヨブヨした球体を弾ませたり、地面に接触している部分の水分を循環させたりで移動ができる。
人間を――などと魔王は言っていたが、この体でいきなりは無理難題であろう。
最初は小さな虫、次は少し大きな虫を体内に取り込んでその命を喰らった。
「こんなんで強くなれるのは、いつになるのやら……」
今はただ、本能のおもむくままに生きるしかない。幸いこの近くには、オレを襲おうとする不逞の輩はいないようだ。記憶に刻まれている敵の気配は感じなかった。
太い木の幹にへばり付いて上へと登る。緑の地平線が赤く染まっていた。
「夕日……」
オレにはこれが夕日だと分かった。燃える太陽が地の先に沈み始めている。
様々な記憶がオレの中で目覚め始めていた。今眺めている美しい景色は人間の世界だ。多くの仲間は魔族の世界に暮らし、人間と魔族はこの地で殺し合いを繰り広げている。オレは敵地に送り込まれた先兵なのだ。
◆
しばらくして、オレは小動物も食えるようになっていた。相変わらず動きは遅いので、獲物が現われる場所でじっと待ち伏せをする。これがスライムだ。
ただただ待つ。時間はいくらでもあった。時間? そう、この世界には時間という概念がある。
その時間を使って、オレはこの世界で何をするのだろうか。いつまでもこうして、ただ待つだけなのだろうか?
また空が暗くなり、再び明るくなった。ただただ待ち、そして罠に掛かった獲物を喰らう日々。
この単純を、オレはどれほど長く続けたのだろうか?
そしてある日、オレは初めて敵の姿を見た。記憶によるとその二人は男で、大人と呼ばれる成長体だ。
「これが人間か……」
一人は森の動物を担いでいた。それが食料になるのはスライムのオレと同じだ。木の陰から覗きながら興味が湧いた。
「ついて行ってみるかな」
強くなる為にはより強い者を、喰らわなければならない。オレは次の目標を人間に決めた。相手に見つからないように離れたまま必死に後を追う。
人間は危険を感じないのか、警戒もせず後ろも振り返らないでどんどんと進んで行く。この森は魔物の住処なのに情けないかぎりだ。
辺りが薄暗くなった頃、オレは体の粘度を高めて高い木に登った。そして人間が向かった先を見る。家と呼ばれる人間の住処が数十もかたまり、周囲には畑と草地が広がっていた。村と呼ばれる単位だと記憶が教えてくれる。
「オレは人間を喰らえるのだろうか……」
この弱く小さな体でそれはムリだと思いつつ、本能がこの場を離れるなと告げた。
◆
村の近くに居着いてしばらくしてから、オレは初めて魔物の気配を感じた。
「初めまして。スライムさん」
「んっ?」
近くにいるのか、頭の中に声が響いたのでオレは辺りを見回す。が、相手の姿は見えない。
「ここよ。上よっ、上!」
見上げると木の枝に魔物の鳥がとまっていた。小型の鷹だ。
「あの人間たちを狙っているのか?」
「うん、でも数も多いし強い人もいるし、私たちにはまだムリよ」
「そうだな……」
スライムとファルケで人間を獲物にするのは確かにムリがあるだろう。魔物の本能が獲物、人間の周囲にオレたち魔物を集めているのだ。
「他に仲間はいないのか?」
「いたちがいるわ。後で紹介するわね。私はリザーベルよ」
「うん。オレはフォルリッヒだ。フォルでいいよ」
「これで魔物が三体かあ……。魔人が来ればあんな集落全滅させてくれるのに」
そんな強力な魔族のおこぼれにあずかるのが、オレたち弱い魔物が生きる道なのだ。しかし魔獣や魔人がどこにでもいるわけではない。
ずっと、ずっと。たった一匹だったオレに仲間が出来た。