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シリアスバージョン

「く…殺せ」


 姫騎士シュネーヴァイスは今、確かにそう言ったはずだった。戦場で独り、虜囚の辱しめを受け、手持ちの装備に愛馬を奪われ、両手を胸の前で縄で戒められた状態で。誰もが全ての自由を奪われた彼女に、侮りと無惨の蔑視を与えていた。そのはずだったのに。


 次の瞬間、悲鳴も苦悶の叫びも待つ暇もなく、厳寒の森を(はす)に舞う雪つぶての中に熱い血と腸が吹き飛び、悪臭極まる死の湯気が立ち込めるおぞましい光景が現出した。


 丸腰のはずの姫騎士の手の中に、なんと突然、大剣が出現したのだった。それでも辛うじてそのことは、斬殺された誰かの目には、留まったには違いない。


(今、何が起きた…?)


 そのとき魔導士ベーゼヴィヒトは、囚われたシュネーヴァイスの眼差しを見ていた。自分を殺せと言いながら、雪のつぶてが舞う薄曇りの空を、どこかぼんやりと見上げていたその眼差しを。姫騎士の眼差しはなぜか、真冬の晴れ空のようにどこか高く澄んでいた。


 アクアマリンに潤う瞳の色が、余りに鮮やかに澄みきっていたせいもあるだろう。それは雪国生まれのこの公女が恐らく未だ見るところではない南洋の陽を()けた海原(うなばら)の色にも似ていた。


 この公女、なるほど異端だ。


北嶺(ノルデンバーグ)』のふたつ名で知られ、豪雪と峻険な山岳に閉じ込められたシュトルツ公国にあってシュネーヴァイスのような人間は他に存在しない。


 吹きだまりの根雪のようにくすんだ白い肌に、うつむき加減の碧眼、潤いの少ないコーンブロンドの髪を持っているのが、シュトルツ人の特徴であった。


 しかるに彼女は広い海原のような蒼い瞳に、光を弾く褐色の肌、そして突き刺さるように毛先の細かい銀髪を持っていたのだ。


 初代シュトルツ公は狼心侯(ヴォルフスガスト)と陰口を利かれ、そのあまりのいくさ上手と残虐非道な気性で辺境に追いやられたとされる。狼と熊しか住まわぬこの『北嶺』の住民はすべて、徴用された奴隷兵の末裔であった。


 公国家と、徴用兵の血の交わりは表面上、厳格な身分制度により、否定されているが、この異端児が産まれるにあたっては何か、異様な理由があったに違いない。


「アロガンドの兵よ、侵略にむしろ感謝する」


 シュネーヴァイスは、どこまでも不敵に微笑した。恐らくこれは、ただの虚喝(はったり)ではない。この異端の公女の境遇がこれを言わせているのだ。


「王の器なき父も、戦略の何たるかを知らぬ叔父も、大剣一本振るえぬ腰抜けの兄たちも、無能な大臣どももみな、追い出してくれてありがとう」


 恭しくシュネーヴァイスは、一礼したが誰も取り押さえるものがいない。


 自分の身の丈よりも長い刃渡りの剣を自在に振るって背後の番兵二人を斬殺した後では、まず唖然とするより手がなかった。


「聞け…そしてその目で見よ。余こそは、狼心侯たる大シュトルツの『力』を受け継いだ真なる末裔」

 と、シュネーヴァイスは、悠々たる声音で言った。

「この姿と女の身体のせいで『北嶺』に永らく封じ込められてきたが、どうやらお前たち侵略者のお陰で外の世界へ出られそうだ」

「ほっ、ほざけッ!」

 アロガンドの兵たちはそこで、ようやく我に返った。この女は捕虜ではない。本人は、はなからそのつもりでここにはいないのだ。

 目的は、奇襲。

 降るつもりも、慈悲を乞うつもりもなかったのだ。それを理解できるアロガンド兵が一人とているだろうか。


(シュトルツ公家の軍勢は、潰走中(かいそうちゅう)なんだぞ…!)

 ベーゼヴィヒトは、血が出るほどに唇を噛み締めた。

(敗走ではない。潰れ、消え去ろうとしているんだ)

 それなのにこの女はなぜ今さら、嬉々として戦っているのだ?


 広大な軍事展開力と魔導兵術の革新によって、近隣諸国を併呑してきたアロガンド大帝国の前では、難攻不落の『北嶺』も、なす術もなかったはずなのだ。


 昔ながらの戦術の公家の兵たちは、一瞬で蹴散らされ、公家一族は散り散りに逃げ、代々の家臣たちは続々、降伏を願い出る始末。


 現在、シュトルツは国家の体を成していない。城は空っぽ、国民は置き去りになり、アロガンドは戦後処理の段階に入ろうとしていた。


 残党狩りと民情把握を兼ねて後衛兵が派遣されたのだが、魔導士ベーゼヴィヒトもその一人にすぎなかった。身分は視察員(オブザーバー)に過ぎない。


(もし、父さんが殺されなかったら…)


 彼はその場にいなかっただろう。古来からベーゼヴィヒトを名乗る魔導の名家はいぜん、彼の父が守っているはずだったからだ。


 その父親が、三日前に亡くなった。シュトルツ城陥落直後であった。城の北に広がる山林で何者かに斬殺されたのだ。たったの一太刀で身体が半分になっていた。


(戦場になど、行きたくない)


 魔導士はおのれの血で書いた呪縛署名(スペルバウンド)によって、魔力を継承する。ベーゼヴィヒトは、父の死体からその冷えた血で継続契約を結ぶことを強いられたのだった。


 戦場で悪名高い者の名、それがベーゼヴィヒト。あまたの呪いや黒魔術を駆使して、戦場で陰の働きをする。後ろ暗い死を司る魔導士が、この家の初代であった。


 戦場稼ぎと暗殺で財を成した名家の内実は、無惨なものだった。

 呪われた魔導の力を過信し、或いは恐怖し、精神の均衡を喪うもの、僅かな財産の分け前のために身内を殺すもの…ベーゼヴィヒトになる前、彼はそんな家に産まれたことを呪っていた。


 しかし署名契約した今は、運命に抗うことは出来ない。表の世界では恐れられるものの人殺しと蔑まれ、呪いで金儲けをする一家と揶揄されるのが、ベーゼヴィヒトの名にまつわる負の遺産であるから。その運命から彼は、逃れられることが出来なかった。 


 もし、自分がこのシュトルツ侵攻に加わらなかったのなら。


 悪名高いベーゼヴィヒトであった父が突然、殺されなければ。


 自分には、どんな新しい世界が拓けていたんだろうか。



「下郎ども」

 と、シュネーヴァイスは丸腰のまま、手のひらを開けて敵前に立つ。さっき戒めを切り裂いた剣は、なぜか跡形もなく消えていた。

「殺す前に、我が家の『誇り(シュトルツ)』の真の意味を教えて遣わそう。…それは『誓い』の魔導により、この心に埋め込まれた剣」

 シュネーヴァイスは、己の胸の膨らみにそっと手を当てる。胸元を寛げるとその谷間には小さな切り傷があった。

「この剣は、幼い頃に心臓へ撃ち込まれる。剣を振るうに相応しき器なきものは、再びその剣に出逢うことはない。故に公家ではただの血統を証明するための、ただの儀式と化していた」

 だが、と、シュネーヴァイスは、胸に当てた拳を柔く握る。

「心の獣を飼い慣らし鍛えれば、その剣はこの手にいつでも顕れる」


(何もないところから剣が…!)


 その手から、剣が顕れたのはそのときだった。柄から鍔、そしてまばゆい煌めきを持った刃が飛び出すと、シュネーヴァイスは並み居る軍勢に殺到した。


 剣はなんと、まばゆい黄金(デュンケル)である。刃渡りは、長い。常寸を越えてどこまでも伸びていく。

 しなりを加えてその長剣を、シュネーヴァイスが自在に振ると、兜と鎧の隙間から首筋を断たれて、五体の重装歩兵が、おびただしい血飛沫を天高く噴き上げて倒れた。


「『獅子王(ロヴェケーニッヒ)』…それが余の剣の名だ」


 物干し竿のような長剣を、シュネーヴァイスは軽々振った。ヒュン!と言う甲高い風切り音ともに、新雪の上に血泥の線がたなびかれた。


「今の余の心は『自由』だ。故に教えてやる。この『獅子王』は取り出しはもちろん、刃渡りも自由な長さで引き出すことが出来る」


「ほざけッ!」

 槍を振り上げて迫ってきた重騎兵に向かって、シュネーヴァイスはそれを刺突()き出してきた。当然、騎兵はその剣を槍の柄で払い落とそうとする。

(なんだ…!?)

 だが馬上から槍を振るった騎兵の目前で、それは槍より長い刃渡りになり、そのまま喉を串刺しにした。

「ぐがっ…!」

 また新たな死体が倒れる。

 その騎兵から剣を取り上げると、それはなんと、今度は細身の短剣サイズになった。

 後進した剣士の顔めがけて、シュネーヴァイスは短剣を投げつける。

「ふぐっ…!」

 剣は右目を貫いた。しかも、命中した瞬間、獅子王は短剣サイズから元の長剣に戻り、眼球ごと脳髄を刺し貫いたのだ。


 こと剣技に関してはこのシュトルツ家の鬼子には、死角がない。


「魔導士」

 と、シュネーヴァイスは、茫然としているベーゼヴィヒトに声をかけた。

「前に見た装束だな。あの男とは違うようだが」

 言われた瞬間、彼は、はっとした。もしかして、父を殺したのはこの姫か。

「ベーゼヴィヒトとか言ったか。あの魔導は中々使えた。余の軍勢に迎えたかったが、無駄だった。法外な報酬を吹っ掛けられてな」


「…あの人らしい」

 と、ベーゼヴィヒトはほくそ笑んだ。この家に名誉なんかない。あるのは目先の欲望だけだ。


「お前はどうする?戦わぬのか?」

「別にいい。殺せ、…今の僕には戦場の栄誉も、汚名も要らない」

 ベーゼヴィヒトは、杖を棄てた。


 潮時と言うやつではないか。魔導で悪名を馳せた家にとどめを刺せる。そんな生涯なら本望だ。


「なんだ、降参するのか?」

 シュネーヴァイスは、無邪気そうに目を丸くした。

「あんたが、三日前殺したのは僕の父だ。こんな家業にうんざりしている。ここで、戦死して家を絶やしたい」

「お前、血統が憎いのか」

 するとシュネーヴァイスは、弾けるように笑った。まるで、思わぬ宝物を見つけた子供のようだった。

「だったらそれは間違いだ。血統に復讐したいのなら抗え。力の限り逆の方向へ走ればいいのだ。お前の人生はお前のものではないか」

「あんたは、そうしているのかも知れない。僕より、絶望していない。僕の家の人間がしてきたことは悪夢だ」

「それがどうしたのだ。これからのお前の生きざまで塗り変えたらいい。余もそうするつもりだ。余もお前もここから始められるのだぞ。生まれてきてしまったこと。それは変えられないのだから」

 残忍なはずのシュネーヴァイスは、拍子抜けするほどの明るさで言う。

「余の軍門に降れ。お前の生きざまで絡みつくしがらみを、余の下で塗り変えてみせろ」







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