友へのきもち
「あ、あの…彼女とかいますか……」
恥らいながらも、それは告白に近い言葉だった。目の前の女が明らかに自分に好意を向けている証拠である。それを汲み取って「いない」と俺は答えた。女は安堵して俺のもとを離れる。なんてわかりやすいアプローチだろうか……。うれしい反面迷惑が勝っていた。
俺はそれを北上に吐露した。
「そうなの? で、いないって答えたんだよな、そのあとは」
好奇心旺盛な北上は矢継ぎ早に追門するが、俺はそれが面白くない。
「特に、なにもだよ。そのままだ。先週から視線感じるって思ってたけど、まさかな」
「ついにお前も彼女もちになるか」
「決まっていないし、付き合う気はない」
そっけなく言い放ち俺は北上のもとを立ちさる。
付き合うなんて多分一生ないだろう。もう、四十路のおじさんだ。北上にしてみれば俺は生き遅れおっさんだろう。俺からも北上は三十路後半のいいおっさんにしか見えない。
互いに連れ合いはいない。
北上には昔妻子がいたが、いざこざがありつい一昨年に離婚している。愛娘は大好きらしいが、再婚する予定はないらしい。俺に至ってはその場しのぎの恋愛、いや遊びで今に至る。まともなパートナーさえ見つけることもなく、ただ年々歳を重ねる。お互い独り身だなと語らうような仲だと北上は思っているだろう。
北上はいいやつだ。たとえるなら子犬系のおじさん。面立ちはそんな感じで、常に笑っている印象だ。打って変わって俺は背は高いがコミュニケーション能力に難あり。親しい友人、職場の人間以外はテリトリー排除が徹底している。俺にアプローチをしてきた女に一度年齢を聞かれたが断固として教えなかった。単に外見の年齢と実際年齢のイメージがかけ離れているからだ。極端に頭皮が薄いわけでも、若く見えるでもない。俺の外見的イメージは、温和で妻子持ちのいい父親像らしい。実際結婚などしたことがない俺にとってはありがたいイメージではない。彼女もいないのに妻子持ちの父親像。雰囲気が大人で落ち着いているというそれだけが先走って俺の内面を誰も見ないような感じだった。だからか、年齢を誰に聞かれても教えるようなことはしなくなった。教えてしまって彼女や妻はいないことに愕然とする驚愕の声を聞きたくはない。
「よ……よかったら来週の土曜日にご飯でもいかがでしょうか……」両手を交差させながら彼女は俺に言う。
「来週は仕事なんだ」
明らかな嘘だ。彼女と俺は同じフロアでの従業員で作業タクトも似ている。予定などない。
あからさまな嘘に彼女は気付くこともなく落胆したままとぼとぼと俺のところを後にした。
「なんで、断ったの?」
「来週は予定があるんだ。」
「嘘だね、トヨの予定なんで自宅警備以外何もないじゃないか」
「自宅警備ってなんだよ、予定があるったらあるんだ」
「ふーーん……」
北上はそれ以上何も言わなかった。
面白くなさそうな顔で自分の持ち場に戻っていく北上を横目に、俺の腹の中がもぞもぞと蠢いていく。
いつからだろうか、自分が普通じゃないことに気づいたのは。
やり場のない感情と気持ちが心の内側をぐるぐる回っていく。
どうして休み時間にいつもお前と談笑していると思う?
どうして些細な伝言や、仕事の笑い話を先にお前に話すと思う?
何故、彼女の話をわざわざ話したと思っている。
親しくなるつもりはない。ただ、自分に好意を寄せていることが肝心で、それを北上がどう反応するか気になっただけだ。
どうお前が返すか、些細なことでも、動作でもあればそれだけでうれしいのに。
そう思ってしまう、焦がれしまうこの気持ちをどうすればいいのか。
北上の無神経な所、そういうところだ。俺の気持ちなんてより世間体、四十路のおじさんの心配をしている。何故、こうも独り身を貫くのかなんて、言えてしまえばどんなに楽でどんなに残酷な事だろうか。
手元からするりとすりぬけていく北上が安易に想像でき、それが苛立たしく、哀しい。
いっそ、吐き出して楽になりたい、そして驚いたその顔をくしゃくしゃにしてやりたい。
そしてなかったように、今までの関係を築けばいいのだ。
それからしばらく彼女は俺に話しかけてこなくなった。ありがたいことに、彼女の視線は別の方向へ向いていることを知る。女心と秋の空とはよく言ったものだ。その情報は北上の耳にも入ったのだろう、あれ以降聞いてくる様子はなかった。
「キタは再婚しないのか」
不意に出た言葉がそれだった。
酒の勢いというものだろう。久々に酒を交わし、二軒目の居酒屋でつい口からこぼれた言葉に俺はしまったと思う。聞いてはいけないワードだ。
「……なに急に」と綻んだ表情で聞いてくる北上に対し、俺は言葉を探す。この手の話題は顔に似合わず苦手な北上にそれをぶつけたことを後悔する。
「……」
だんまりする俺に、北上はたこわさを口に運び日本酒を呷る。
「再婚ねぇ……ないかな。このままが一番いいかなトヨと」
ニカっと北上は満面の笑みを俺にお見舞いしそのままテーブルに突っ伏してしまった。
「……は?」
それは思ってもいない回答で、そして俺はこの紅潮した顔をどうずればいいのか。
深い意味はないことは確かなのに、北上から出た言葉がリフレインしていく。その言葉だけで嬉しくて泣きそうで、でも叶わないことを俺自身がよく知っている。
寝息を立てる北上を眺め、俺は残った日本酒を口に運び「俺もだよ」呟くしかなかった。
続かない