優しい岬
広く美しい空が、オレンジ色に染まる頃、岬に一人の女が現れた。
彼女は、ふらりふらりとおぼつかない足取りで、岬の先端部、つまりは崖っぷちまで行くと、立ち止まる。
そうして、しばらく凍りついたように動かなくなった後、唐突に泣き崩れた。粗い地面に膝を着いて、しくしく、ひくひく、泣き始めた。
荒れ狂う波のせいで、彼女が何に嘆き、悲しんでいるのかは分からない。分からないけど、あの様子から察するに、ただ事ではないのだろう。
だから彼女は、この岬に来た。
昔から、自殺の名所として有名だったこの岬に、自殺しに来た。
氷よりもずっと冷たい海に、その身を投げるつもりなのだろう。
――そうはさせない。
僕は急いで物陰から飛び出し、叫んだ。
「待ってください!」
しかし、波が岩にぶつかる音は、もっと大きくて、僕の声はそれにかき消されてしまう。
女はおもむろに立ち上がり、崖を、海を見詰める。
このままでは――まずい!
走った。とにかく走った。不安定な岩場を転がるように走った。
「待ってください!」
いきなり腕を捕まれた女は、一瞬、身体をビクンとさせてから、振り向いた。
涙で化粧の流れ落ちた、ありのままの彼女の姿が、そこにはあった。
「あなたは……誰? 何で私を止めるの?」
今にも消え入りそうな、そういう声だった。
「僕は……」
僕は……
「僕はさっきまで、貴方と同じ気持ちだった者です。でも、見ての通り僕は死んでません。死ねなかったんです。飛ぶ直前に考えちゃいました。両親が悲しむ様子を、泣いている姿を。そしたら――死ねませんでした」
僕は涙をボロボロ零して、呟いた。
「あなたには――あんな思いさせたくない」
女は僕に抱きついてきた。ごめんなさいごめんなさいと何度も謝ってきた。
「いいんですよ」
そう言って、僕は彼女を抱きしめた。
*
それから僕達は、海を見詰めて色んな事を話した。
生きる事。死ぬ事。家族の事。他愛もない話を交し合った。
気がつけば、彼女は笑っていた。
着飾っていない、純粋な笑顔で笑っていた。
僕も笑顔だった。
すっかり世界が闇に染まった頃、女は「ありがとう」と言って何処かへ消えてしまった。
結局、最後まで名前を知ることがなかった女に、僕は手を振った。
「さようなら――そして、お疲れ様、僕」
ただの闇に変わり果ててしまった岬を背に、僕は思う。
……やっぱり、演技の練習にはもってこいだな、この岬は。
泣いて笑える実力派俳優。
いつか自分が、そう評価されるのを夢見ながら、僕は岬を後にした。
人の生死を描く話は、何処までが許されるのか分かりにくいので、大変です。とりあえず、これは規定範囲内だろう。と、勝手に解釈している自分。