九話 私を見下ろす瞳
アドフィル帝国での生活初日。ルーファス陛下は忙しいからと、執務室で許可を迫ってからは顔を合わせなかった。昼食も夕食も、私は長テーブルに座って一人で食べた。
小屋にあった机は小さくて、私とお母さまの食事をおくとすぐにいっぱいになっていた。お母さまが眠ってからは、小さな机の半分を一人分の食事が占領していた。
長いテーブルの端のほうに置かれた、一人分の食事。運ばれてくる料理は一品ずつで、何もかもが小屋での生活とは違う。
この生活に慣れないといけない、とは思わない。私がここにいるのは死ぬまでなので、長居する気はないからだ。
夜は長椅子で丸くなっていたはずなのに、二日目の朝も昨日の朝同様、ベッドで目を覚ました。
今日も誰かが運んでくれたのだろう。
そうして迎えた二日目、朝食を食べる時間はあるようで、ルーファス陛下と一緒に食事を食べることになった。
とはいっても、昨日と同じく会話はない。それぞれの前に置かれた食事をただ黙々と食べるだけ。
「ルーファス陛下」
最後の一品を食べ終えて、私の横を通りすぎて食堂を出ようとする彼に声をかける。ぴたりと足が止まり、赤い瞳が私を見下ろした。
このまま何も話さず過ごすという選択肢を私は選べない。何が彼の逆鱗に触れるかわからないのだから、取れる手はすべて打たなければ。
「今日は暇な時間はありますか? 帝国に来たのは初めてなので、色々教えてほしいです」
「……ヴィルヘルムにでも聞け」
「あなたの目から見た帝国が知りたいんです」
気難しく人に触れられるのを嫌う。つまりそれは、他人に介入されることを嫌っている、ということではないだろうか。
そう思い至った私は、これでもかと介入することにした。話すのも触れるのも、夫婦なら当たり前のことだ。
私の非にならない範囲で彼の機嫌を損ねることができる。最良の案に思えた。
「それにベッドまで運んでもらいましたし、庭園の許可ももらったので、そのお礼をしたいとも思っているんです」
「身の安全を保証しないと言った相手に礼か。ずいぶんと気楽なことだな」
吐き捨てるような言葉とは裏腹に、彼の瞳は真っ直ぐ私を捉えている。
赤色の中に映る自分に、そういえばこの人は私と話す時、いつも視線を逸らすことなく私を見ていた。
視線は冷たいし仏頂面だけど、私の目を見て話し、声をかければ足を止めてくれていた。
エイシュケル王国ではそうではなかった。私に妖精眼が宿っているのを嫌ってか、私の目を見て話す人は少なく、王様にいたっては顔を上げる許可すらくれなかった。
「あ、いえ、やっぱり、いいです。ごめんなさい」
慣れないそれに、私は胸がざわつくのを感じて言葉を翻す。
思わず顔ごと目を伏せる私の頭上に、小さなため息が降ってきた。
「……今ならまだ時間がある。何が聞きたい」
ルーファス陛下はどうやらあまのじゃくな気質のようだ。私の斜め横に椅子を用意させて、そこに腰を下ろしてしまった。
さっきまで立ち去りたいオーラに溢れていたのに。
「え、えーと……それは……」
机に肘を置いて頬杖をつき、こちらを真っ直ぐに見ていることが突き刺さる視線だけでわかる。
私はただただ、視線を机に落とし続けた。
真っ白いテーブルクロスには染み一つなく、木が剥き出しの年季の入った机で食事をしていた日々が懐かしい。
エイシュケル王国を出てからまだそれほど経っていないのに、何故か無性に帰りたくなった。
「……聞きたいことはないのか?」
「はい」
即座にそう返したのは、一刻も早くルーファス陛下に立ち去ってほしかったからだ。今はとにかく、庭園にでも行って毒になりそうな植物を探したい。
「あ、いえ、あります」
だけどすぐに、私の非にならない程度の不敬ではないといけないと思い返す。理由もなく呼び止めて時間を浪費させたのでは、殺されてもどちらもどちらになってしまうかもしれない。
「えぇと、その、少しでもルーファス陛下とお話したいと思って……だから、その……」
私はアドフィル帝国に興味があるわけではない。毒草については知りたいけど、それを直接口にするのは躊躇われる。
だから精一杯理由を捻り出す。
私はまだ嫁いできたばかりの妻だから、夫と二人の時間を過ごしたがるのはおかしくないはずだ。だけど、これでは庭園に行けなくなるかもしれない。
どうすればルーファス陛下を怒らせることができるのか、混乱する頭で必死に考えるけど、答えが見つからない。
「…………お前は、俺と話がしたいのか?」
「いえ、あ、はい」
「生憎、俺はお前と話したいとは思わない」
切り捨てるような声色にほっと胸を撫で下ろす。きっとこれで、殺してはくれないかもしれないけど、立ち去ってくれるはず。
彼がいなくなったらすぐに、私の今日の側仕えに声をかけて、庭園に向かおう。毒を作ることができれば、きっと落ち着けると思うから。
私が今混乱しているのも、日課である毒作りができないせいかもしれないから。
「だが、お前がアドフィルについて知りたいと思ったのはいい傾向だ。今日は俺について回る許可をくれてやろう」
いらないです、と答えることはできなかった。
さっさと席を立つルーファス陛下が扉を開けながら、ついてこいと言うように私を見ていたからだ。
これで断れば悪いのは私のほうだ。こくこくと頷いて、おとなしく後ろをついていくことにした。
そうして廊下に出たのだけど、ルーファス陛下は本当に私と話す気はないようで一言も発さない。どこに向かうのかも聞かされず、私と彼はただ黙々と歩いている。
前を歩くルーファス陛下がちらりともこちらを見ようともしないので、私は視線をあちこちに投げてどうすれば庭園に行けるのかを考える。
先ほどまでのようなざわつきは感じないけど、このままついていけば庭園には行けなくなってしまう。
だけど、庭園に行きたいと呼び止めればきっと、彼は振り返ってまた赤い瞳を真っ直ぐに私に向けるだろう。
胸が締め付けられるような感覚に、私は丁度あった脇道に逸れる廊下に飛びこむ。
ここに来たばかりだから、道に迷ったとでも言えば通じるだろう。後ろをついていくだけなのにどうして迷えるのか聞かれたら、全力でごまかそう。
どこに続くかもわからない廊下を、少しでもルーファス陛下から遠ざかるために走った。




